かなと嘆じたる事ある程なれば、厭世の真相を知りたる人にしてこれに勝つほどの誠信あらん人は、凡俗ならざる可し。ポープの楽天主義の如きは蓋し所謂解脱したる楽天にして、其|曾《か》つて唱ひし詞句に「凡《すべ》ての自然は妙術なれば汝の能く解する所ならじ、凡ての偶事は指呼に従ふものにして汝の関する所ならじ、凡ての不和は遂に調和なる事も汝が会《くわい》し得る所ならじ、一部に悪と思はるゝ所のものは全部に善、傲慢《がうまん》に訊《と》ふ勿《なか》れ、誤理《ごり》に惑はさるゝ勿れ、凡《およ》そ一真理の透明なるあらば其の如何なる者なるを問はず、必らず善なるを疑ふ勿れ。」と云ふ一節あり。蓋し斯の如きは人生の圧威を自力を以て排斥したりと思惟する者にして、抑も経験の結果なり。凡そ経験なきの思想には斯の如き解脱、思ひも寄らぬ事なり。
 偖《さ》て誠信の以て厭世に勝つところなく、経験の以て厭世を破るところなき純一なる理想を有《も》てる少壮者流の眼中には、実世界の現象|悉《こと/″\》く仮偽なるが如くに見ゆ可きか、曰く否、中に一物の仮偽ならず見ゆる者あり、誠実忠信「死」も奪ふ可らずと見ゆる者あり、何ぞや、曰く恋愛なり
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