、然れども余は別に説あり、請ふ識者に問はむ。
合歓綢繆を全うせざるもの詩家の常ながら、特に厭世詩家に多きを見て思ふ所あり。抑《そもそ》も人間の生涯に思想なる者の発萌《はつばう》し来るより、善美を希《ねが》ふて醜悪を忌むは自然の理なり、而して世に熟せず、世の奥に貫かぬ心には、人世の不調子不都合を見初《みそ》むる時に、初理想の甚だ齟齬《そご》せるを感じ、実世界の風物何となく人をして惨惻《さんそく》たらしむ。智識と経験とが相敵視し、妄想と実想とが相争戦する少年の頃に、浮世を怪訝《くわいが》し、厭嫌《えんけん》するの情起り易きは至当の理なりと言ふ可し。人|生《うまれ》ながらにして義務を知るものならず、人生れながらに徳義を知るものならず、義務も徳義も双対的の者にして、社界を透視したる後、「己れ」を明見したるの後に始めて知り得可き者にして、義務徳義を弁ぜざる純樸なる少年の思想が、始めて複雑解し難き社界の秘奥に接する時に、誰れか能《よ》く厭世思想を胎生せざるを得んや。誠信は以て厭世思想にかつ事を得べし、然れども誠信なる者は真《まこと》に難事にして、ポーロの如き大聖すら、嗚呼われ罪人《つみびと》なる
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