やば》と称する者と相争ひ、相睨《あひにら》む時期に達するを免れず。実世界は強大なる勢力なり、想世界は社界の不調子を知らざる中《うち》にこそ成立すべけれ、既に浮世の刺衝《ししよう》に当りたる上は、好《よ》しや苦戦搏闘するとても、遂には弓折れ箭《や》尽くるの非運を招くに至るこそ理の数なれ。此時、想世界の敗将気|沮《はゞ》み心疲れて、何物をか得て満足を求めんとす、労力義務等は実世界の遊軍にして常に想世界を覗《うかゞ》ふ者、其他百般の事物彼に迫つて剣鎗相|接爾《せつじ》す、彼を援くる者、彼を満足せしむる者、果して何物とかなす、曰く恋愛なり、美人を天の一方に思求し、輾転反側する者、実に此際に起るなり。生理上にて男性なるが故に女性を慕ひ、女性なるが故に男性を慕ふのみとするは、人間の価格を禽獣の位地に遷《うつ》す者なり。春心の勃発すると同時に恋愛を生ずると言ふは、古来、似非《えせ》小説家の人生を卑しみて己れの卑陋なる理想の中に縮少したる毒弊なり、恋愛|豈《あに》単純なる思慕ならんや、想世界と実世界との争戦より想世界の敗将をして立籠らしむる牙城となるは、即ち恋愛なり。
 此恋愛あればこそ、理性ある人間
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