一種の攘夷思想
北村透谷
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)悖生《ぼつせい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)我|軽舸《けいか》を
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「さんずい+(くさかんむり/奔)」、83−上−3]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)惴々《ずゐ/\》たる
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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三千年を流るゝ長江|漫※[#「さんずい+(くさかんむり/奔)」、83−上−3]《まんばう》たり、其始めは神委にして、極めて自然なる悖生《ぼつせい》にゆだねたり、仲頃、唐宋の学芸を誘引し、印度《インド》の幽玄なる哲学的宗教に化育せられたりと雖《いへども》、凡《すべ》ての羣流《ぐんりう》、凡ての涓※[#「さんずい+會」、83−上−5]《けんくわい》を合せて、長江は依然として長江なり。満土を肥沃し、生霊を育成し、以て今日に至らしむ、この長江、豈《あ》に維新の革命によりて埋了し去ることあらんや。
われは心酔せる欧化思想を抱けるものにあらず、我国固有の思想なる三千年来の長江は、我|軽舸《けいか》を載せて奔《はし》らしむるに宜《よろ》しきを知るは、世に所謂《いはゆる》国粋論者なる者に譲るところなきを信ず、然るも彼の舶載せるものと云へばいかなる者をも排斥し尽さんと計るものには、同情を呈する事|能《あた》はず、況《いは》んや、気宇|甕《かめ》の如く窄《せま》き攘夷思想の一流と感を共にする事、余輩の断じて為すこと能はざるところなり。
余輩は綿々たる我皇統を歴史上に於て倨負《きよふ》するの念なきにあらず、然れども滔々たる世界の共和思想の逆流に立つて、どこまでも旧来の面目を新にする勿《なか》らん事を、熱望するものにはあらず、要するに世界の進歩の巨渦に遡《さから》つて吾運命を形《かたちづ》くる事は、人力の為す可からざるところなるが故に、吾人は思想上に於て苟《いやし》くも世界の大勢に駆らるゝ事ある時には、甘んじて其流勢に随はんと欲するものなり。
吾人は我邦の公共事業の舞台に立つて役者《えきしや》たる者が、少しく気局を濶大《くわつだい》にせん事を願うて止まざるなり、之を政治家に例すれば、県治の政事海にあるものは論争常に県治の中に跼蹐《きよくせき》し、之れを全国の政事海に徴すれば、奔馬常に狭少なる民吏の競塲に惴々《ずゐ/\》たるに過ぎざるなり。
高言壮語を以て一世を籠絡《ろうらく》するを、男児の事業と心得るものは多し、静思黙考して人間の霊職を崇《たか》うせんと企つる者は、いづくにある。東西両大分割の未来の勝敗を算して、おもむろに邦家の為に熱血を灑《そゝ》ぐものいづくにある。杳遠《えうゑん》なる理想境を観念して、危淵に臨める群盲の衆生を憂※[#「口+金」、第3水準1−15−5]《いうぎん》する者、いづくにある。
自然の趨勢《すうせい》は逆ふこと能はず、吾は彼の一種の攘夷論者と共に言を大にし語を壮にして、東洋の危機を隠蔽せんとするにあらず、もし詳《つまびら》かに吾が宗教、吾が政治、吾が思想、吾が学術を究察する時は、遺憾ながらも、吾は優勝劣敗の舞台に立つて遜色なき事能はず、未来に於て我《わが》豊葦原の民族の消長いかんは、今之を断ずることを得ざれども、此儘にして推し行かば、遂に自然の結局を奈何《いかん》ともすべきなからむか。
つら/\思ふに、寂滅為楽の幽妙なる仏味と宗教的虚無思想が吾人の中に存して、吾人の生霊を支配せし事久し、貴族的思想の族長制度と印度教との父母より生れて、堅く其地歩を占め、以て平民的共和思想の発達を妨げ居たる事も既に久し、空漠たる大空を理想とする想像に富める哲学者は多けれど、最後の円満なる大理想境に思ひを馳《は》する者はあらず、何事も消極的に退縮して、人生の霊現なる実存を証《あかし》することなく、徒らに虚無|縹渺《へう/″\》の来世を頼む、斯の如くにして活気なき国民となり、萎縮しやすき民人となりて、今日の形勢には推し及びぬ。
われらが尤も悲しく思ふは、一国の脊膸《せきずゐ》なる宗教の力の虚飾に流れ、儀式に落ち、活きたる実際的能力を消耗《せうかう》し去りたる事なり、耶教は近く入れり、故に深く責むべからずと雖、其入りたる後の有様を言へば、満足すべき結果には遠し、仏教は漸く其質を変じて哲学的趣味を専らにし、到底人間を仮偽の虚栄世界、貪慾世界、迷盲世界より救ひ出して、実在の荘厳なる円満境に引誘するの望みなし。而して一種の攘夷論者は此有様を以て上々なる社界の組織と認め、永遠にのぞみをかくべき邦家ぞと信ず。
欧洲の文明国と関聯し
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