て得たる利益は、いづくにありや。荒縦なる仏国|生《うまれ》の自由主義、我に於て甚だ有難からず、絶望より転化し来れる独露あたりの虚無思想、我に於て得るところありと云ふ可からず、頑迷にして局量狭き宣教師的基督教思想の我国に益せしことのすくなきは、世の人の普《あま》ねく認むるところ、法政経済等の諸科学は、未だ以て我国の未来の運命を確固にしたりとは言ふべからず。欧洲今日の毒弊として識者の痛斥すなる皮相文明の輸入、吾人にとりて何かあらむ。此点に於て吾人は、吾党の攘夷論者と同情なきにあらず、然るも吾人の輸入を厭《いと》ふは、攘夷といへる一般の厭忌《えんき》にあらずして、攘偽文明といへる特種の性質を帯びて、欧洲の文明国にあるものとし言へば直ちに輸入し来らんとする軽佻《けいてう》なる欧化主義者流と反対の位置に立たんとするものなり。
 然れども※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1−14−30]《も》し夫れ、彼にありて極めて高潔、極めて荘重なる事業と認むべき者あらば、吾人は邦と邦との隔離を遺忘するに躊躇《ちうちよ》せざるなり。吾人は東洋の一端に棲居するが故に欧洲の大勢を顧眄《こべん》するの要なしと信ずる一種の攘夷論者の愚を、笑はんとす、世界は日に狭《せば》まり行きて、今日の英国は往日の英国の距離にあらざる事を思ふべし、況んや理想境には遠近なきものを。彼の事業もし我が理想境の事業と同致ならば、我は奮つて彼の事業を佐《たす》くべし、彼の事業もし我理想境と背馳せば、吾は奮つて彼の事業を打破すべし、此点に於て我等は、一種の攘夷思想と趣を同うする事能はず。
 世界万邦の思想は、相接引するの時となれり、東西南北の区劃は政治地図の上にこそ見れ、内部文明には斯かる地図なからんとす、この好時代に生れて、思想界に足を投ずるの栄を得たるもの、誰か徒為《いたづら》に旧思想を墨守し、狭隘《けふあい》なる国家主義を金城鉄壁と崇《あが》め、己れと己れの天地を蠖屈《くわくくつ》の窄《せま》きに甘んぜんとするものぞ。
 幽玄なる哲学者カントが始めて万国仲裁の事を唱へてより、漸く欧洲の思想家、宗教家、政治家等をして、実際に平和の仲裁法の行はるべきを確信せしめたり。十九世紀の当初、米国に平和協会の設立ありてより英独仏以西等の諸国雷応して、この理想を貫かん事を力《つと》む、ブライト、コムデンの輩は英国に起りて熱心に此理想を実行せん事を図り、大陸の大政治家も亦た頻《しき》りに此理想を唱道せり。
 人は理想あるが故に貴《たふと》かるべし、もし実在の仮偽なる境遇に満足し了る事を得るものならば、吾人は人間の霊なる価直《かち》を知るに苦しむなり。理想なくては希望もあるまじ、希望なくては生命もあるまじ、唯だ理想あるのみにては何の善きを見ず、吾人は理想を抱くと共に、理想の終極まで貫き到らん事を望むべきなり。
 日本には外交の憂患|尠《すくな》し、故に平和協会の必要を見ずと云ふ論者多し、これ将《は》た一種の攘夷論者にあらざらんや。日本は天照皇大神以来の神国なれば外寇《ぐわいこう》の懼《おそ》るべきものなし、故に平和主義の必要を見るなしと言ふは純然たる攘夷論者の言分なるが、これらの論者は強ひて咎《とが》むべきにあらず、前に言ひし一種の攘夷思想を抱けるものは、今日の新鮮なる生気を以て立てる宗教家、思想家の中に多きを見て、慨歎なき能はず。欧洲の思想家、宗教家は日本を以て、新思想|悖如《ぼつじよ》として欧洲に対峙《たいぢ》すべき覚悟あるものと見做《みな》しつ、遊説者を派して、平和協会に応援するところあらしめんとせり、而して吾人もし、我邦は世界の極端にあるが故に、世界の出来事と世界の運命には関《かゝは》り知るところあらずと言ひて、この高潔偉大なる事業に力を借すことなければ、彼等果して我を何とか言はむ。
 直接に痛痒《つうやう》を感ぜざればとて、遠大なる事業を斥《しりぞ》くべきにあらず、況んや欧洲のみに戦争の毒気|盈《み》つるにあらずして、東洋も亦た早晩、修羅《しゆら》の巷《ちまた》と化して塵滅するの時なきにしもあらず、いかんぞ対岸の火を見て、手を袖にするが如きを得んや。
 且つ夫れ、東洋と西洋といづれの業《わざ》にも相離反するを免かれざるは、思想あるものゝ太《いた》く憂ふるところなり、つひには東西の相共に立つ可からざるは源平二氏の両立すること能はざるが如くなりはてんは、うたてからずや。この時にあたりて、この平和協会の事業の如く、東西の思想家が心を一にし、力を協《あ》はせて、神聖なる道心を以て、相提携するを得るは、豈《あに》快なりと言はざる可けんや。われらは宗教を以て、講談の囈語《げいご》にて終るべきものとは思はず、正統非正統の論争、遂に黒白を分つの要あるを知らず、吾人の前に横《よこた》はれる実際問題の、斯
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