ふ事なかれ、我等が苦痛は一時のものなり、我等が永遠の生命《いのち》は何物と雖、奪ふ事能はざるべし」と。再び曰く「何事も神の聖意より出でざるはなし、死も生も」と。蓋《けだ》し露国の農民の信仰を代表する者にして、死も自然の者なれば、刺《はり》多き者として悪《にく》まれはせで、極めて美くしき者とまで彼等の心には映るなり。「神は彼女を取り去れり、彼女が至るべきところは、彼女の如き美くしき心ある者ならねばかなふまじきによりてなり、彼女の死はいたむべきものならず」と言ふも、亦たこの平民的詩人なり。吾人はトルストイ伯によりて、露国の平民を知るを得つ、彼等が鞏固《きようこ》なる宗教上の観念を涵養《かんやう》しつゝあるを見て、露西亜の将来に望むところ多からざるを得ず。
 トルストイ伯は理想派詩人にはあらず、彼は理想を抱ける実際派なり、何となれば彼が写すところ、公平無私に農民の状態を描出し、其欠所を隠蔽することを為《な》さゞればなり。もし彼が貴族の家に生れ、顕栄の位地に立つべき身を以て、農民を愛撫し、誠信を以て世に屹立《きつりつ》するに至りたる来歴を問はゞ、

     彼は長く生命を疑ひしなり。

 彼が出生を尋ぬれば、千八百二十八年のことなりしとぞ。貴族の栄華は、彼をして虚《むな》しき世のものをあさりめぐるの外《ほか》に楽しみとてはあらずと、思はしめにき。爵位の如き、娯楽の如き、学芸文事|悉《こと/″\》く一たびは彼を迷はせしことあれども、遂《つひ》に彼を奴僕となせるものあらざりき。人生彼に向つて常に暗惻たり、何の為に、何の故に、人は世に生息するやと疑ひ惑ひつゝ、月日を暮らす事多かりき。人生は神が玩弄《ぐわんろう》する為に製作したる諧謔《かいぎやく》にあらずやとは、彼がその頃胸間に往来しける迷想なりき。彼は世を教へんとて、世を救はんとて著作をなせり、然れども著作の真意すでに誤りたれば、世の人はさておき、己れを安《やす》むるの効《かう》もあらず。彼は悲しめり、然り、彼は迷想の極にのぼりて、今は自殺の外に、万事を決し疑惑を解くものあらずなりぬ。然れども伯は※[#「門<言」、第4水準2−88−64]冥《ぎんめい》なる迷想の中《うち》より、生活の一|秘鑰《ひやく》を覚りはじめたり。「神よ爾《なんぢ》は我等を爾の為に造りたまへり、故に我等は爾を得るまでは我等の心に安みを得る能はず」と言へりし
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