ぬたで》」とを合はせ綴ぢて附録の如くす。「小説評註」は純然たる諷刺《サタイア》にして、当時の文豪を罵殺せんとする毒舌紙上に躍如たり。然《しか》れども其諷刺の原料として取る所の、重に文躰にありしを以《も》て見れば、善く罵りしのみにして、未だ敵を塵滅するの力あらざりしを知るに足らむ。
「油地獄」と「犬蓼」とは結構を異にして想膸一なり。駒之助と貞之進其地位を代へ、其境遇を代ふれば貞之進は駒之助たるを得可く、駒之助は貞之進たるを得べし。然り、駒、貞、両主人公は微かに相異なるを認るのみ、然れども此暗合を以て著者の想像を狭しと難ずるは大早計なり、何となれば著者の全心は、広く想像を構へ、複雑なる社界の諸現象を映写し出《い》でんとにはあらで、或一種の不調子《インコンシステンシー》、或一種の弱性《フレールチイ》を目懸けて一散に疾駆《しつく》したるなればなり。一種の不調子《インコンシステンシー》とは何ぞ。曰く、現社界が抱有する魔毒、是なり。一種の弱性とは何ぞ。過去現在未来を通ずる人間の恋愛に対する弱点なり。
 緑雨《りよくう》は巧に現社界の魔毒を写出《しやしゆつ》せり。世々良伯《せゝらはく》は少しく不自然
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