遠大なる問題なるを信ず。吾人は苟《いやし》くも基督の立教の下《もと》にあつて四海皆|兄弟《けいてい》の真理を奉じ、斯の大理を破り邦々《くに/″\》相《あひ》傷《そこな》ふを以て、人類の恥辱之より甚しきはなしと信ず。吾人は言ふ、基督の立教の下にありと。然れども吾人、豈《あに》偏狭|自《みづか》ら甘んぜんや、凡そ道義を唱へ、正心《せいしん》を尊ぶもの、釈にも儒にもあれ、吾人|焉《いづく》んぞ喜んで袂を連ねざらんや。吾人は政論家として若《もし》くは経世家として、是《この》問題を唱道する者にあらず、尤も濃厚なる、尤も着実なる宗旨家として、善く世の道理力と人の正心とを対手《あひて》として、以て吾人の天職を尽さんとするにあり。
抑《そも/\》、平和は吾人最後の理想なり。墳墓の外《ほか》吾人に休神せしむる者|終《つひ》に之《これ》なからんか、吾人即ち止《や》まむ。然れども苟《いやし》くも円満なる終極の天地を念々《ねん/\》して吾人の理想となし得る限りは、「平和」の揺籠《ゆりかご》遂に再び吾人を閑眠せしむる事ある可きを信ず。人と人との間、邦と邦との間に猜疑《さいぎ》騙瞞《へんまん》若し今日《こんにち
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング