ざれば即ち曰く、破徳なりと。むしろ蕃野《ばんや》の真朴にして、情を包むに色を以てせざるに如《し》かんや。
 人の中に二種の相背反せる性あり、一は研磨《けんま》したるもの、一は蕃野なるもの、「徳」と云ひ、「善」と云ひ、「潔」と云ひ、「聖」といふ、是等のものは研磨の後に来る、而して別に「情」の如き、「慾」の如き、是等のものは常に裸躰ならんことを慕ひて、縦《ほしいまゝ》に繋禁を脱せんことを願ふ。この二性は人間の心の野にありて、常に相戦ふなり。
 電火は人を戮《こ》ろすと謂ふ。然り、渠《かれ》は魔物なり。然れども少しく造化の理を探れ、自からに電火の起らざるべからざるものあるを悟れ、天の気と地の気と、相会せざる可からざるものあるを察せよ。自然界に於て猶《なほ》此事あり、人間の心界何ぞ常に静謐《せいひつ》なるものならんや。風雨|軈《には》かに到り、迅雷忽ち轟《とゞ》ろく光景は心界の奇幻、之を見て直ちに繩墨の則を当て、是非の判別を下さんとするは、豈《あに》達士の為すところならんや。
 人は常に或度に於て何物かの犠牲たり。能《よ》く何物にも犠牲たらざるものは、人間として何の佳趣をも備へざる者なり。何を
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