ちつとも出なかつた。源吉は何處かイラ/\して、じつとしてゐられなかつた。好加減にして出てきた。外へ行かうとして、教室の戸をあけると、殘つた四、五人が相談をしてゐた。
「源吉君、殘つて一つ相談に乘つたらどうだ。」と、若い一人が云つた。
 源吉は口のなかで、煮え切らない返事をして、外へ出た。
「それどころか!」源吉はさう思つてゐた。

 源吉は自分の考へが、皆に何んとか云はれる筈だと思つた。百姓は後へふんばる牛のやうだつた。理窟で、さうと分つてゐても、中々、おいそれと動かなかつた。けれども源吉はそんなケチな、中途半端な、方法はなんになるか、と思つた。何故、そこから、もう一歩出ないのか、さう考へた。
 源吉は小さい時から、はつきりさうと云へないが、ある考へを持つてゐた。源吉の父親が、自分の一家をつれて、その頃では死にに行くといふのと大したちがひのなかつた北海道にやつて來、何處へ行つていゝか分らないやうな雪の廣野を吹雪かれながら、「死ぬ思ひで」自分達の小屋を見付けて入つた。その頃、近所を平氣で熊が歩いてゐた。よく馬がゐなくなつたり、畑が踏み荒らされたりした。石狩川の川ブチで熊が鮭をとつてゐるのを、源吉の父が馬を洗ひに行つた途中見て、眞青になつて家へかけこんで來たことがあつた。夜になると、食物のなくなつた熊が出てくるので各農家では、家の中にドン/\火を焚いた。熊は一番火を恐れた。源吉は小さい時の記憶で、夜になると、窓から熊が覗いてゐる氣がして震へてゐたことを覺えてゐる。――その時から二十年近く、源吉の父親達が働きに働き通した。
 母親から、源吉が聞いたことだが――その頃父親が時々眞夜中に雨戸をあけて外へ出て行くことがあつた。母親は、用を達しに行くのだらうと、初め思つてゐると、中々歸つてこなかつた。一時間も二時間も歸つて來ないことがあつた。母はだん/\變に思つて、それを父にきいた。父は笑つて、「畑さ行つて來るんだ。」と云つた。それ以上云はなかつた。
 いつかの晩、母があまり變に思つたので、後をついて行つた。すると父が眞暗な畑の中にズン/\入つて行くのを見た。その時には母も何かゾツと身震ひを感じた。母は、少ししやがんで、そつちの方をすかして見てゐると、父は畑の眞中に、立つたきり、じいとしてゐた。十分も、二十分も。それからその隣りの自分の畑の方へ行くと、又、やつぱり立つたまゝしばらくさうしてゐた。と、今度はそこから一寸離れた自分の畑に歩いて行つた。母にはちつとも、そのことが分らなかつた。
 あとで、母はとう/\その晩のことを云ふと、
「馬鹿だなあ」と云つて笑つた。「俺なア、俺アの畑が可愛《めんこ》くてよ。可愛くて。畑、風邪《かぜ》でもひかなえかと思つてな。」
 そして、眞面目に「お前だつて、目さめれば、源や文が風邪ひかねえかつて氣ばつけて、夜着かけてやるべよ。」と云つた。
 が、何時の間にか、その生命のもとでのやうな土地が、「地主」といふものに渡つてゐた。父親は、ことに、死ぬ前、そのことばかりを口にして、グヂつてゐた。源吉は、それをきく度に、子供ながら、父親の氣持が分ると思つた。源吉が地主の足にかじりついたのは、さう無意味な理由からではなかつた。「畑は百姓のものでなければならない。」さう文字通りはつきりではなくても、このことは、源吉は十一、二の時から、父親の長い經驗と一緒に考へてきてゐた。
 源吉は然し、やつぱり外の百姓達と同じやうに、さういふことを、たゞぼんやり考へてゐた(――考へてゐたとは云へない程度であつたが)が、そのぼんやりした考へ? が、今度は、源吉自身の經驗で、少しづゝ形をとつてきた。そしてそのことが、もう一歩思ひ切つた跳進をしたのは、校長先生の話したことであるやうだつた。こんな簡單な、分りきつたことを、然し百姓は一生がかりで分つた、或ひは分らずに終ふことさへあつた。分らずに終ふことが、かへつて多かつた。
「分つてるべよ、地主から畑ばとつかへすのさ!」――かう源吉が云つたのは、理窟でなかつた。源吉はさう背後で云はせる父親の氣持も感じてゐたのだ! 源吉は歩きながら、こんな事が分らない、そして又そこ迄行かうとしない百姓に、心から腹を立て、「勝手にしやがれ、俺ア俺アだ。」と思つてゐた。

      七

 源吉が、集會の途中、醉拂つて歸つてきた。札幌に行つてゐる勝から、手紙が來てゐた。
 ――札幌にも雪が降つた。やつぱり寒い。俺達には冬が一番堪へる。朝六時には工場へ行く。冬の朝の六時つたら、俺達若いものだつて身體の節々が痛んで來るほど寒い。油でヒンヤリ[#「ヒンヤリ」に傍点]する帽子をかぶり、背中を圓くして、辨當をブラ下げて出掛けてゆく。俺の前や後にも、やつぱりさういふ連中が元氣のない恰好で急いで歩いてゆく。工場では、ボヤ/\してはゐられない。六時から晩の五時迄、弓のつる[#「つる」に傍点]みたいに心を張つてゐなけアならない。俺が來てから、仲間の若い男が二人も、機械の中にペロ/\とのまれ[#「のまれ」に傍点]てしまつた。ローラーから出てきた人間はまるで大幅の雜巾のやうなヒキ肉になつて出てきた。
 一人の方の嬶が、それから淫賣をやつて子供を育てゝゐるといふ評判をきいた。
 工場が、大きな機械の※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る音で、グアン/\してゐる。始めの一週間位は、家に歸つても、頭も、耳も工場にゐるときと同じやうに、グアン/\して、新聞一枚も讀めなくなつてしまつた。俺は、このまゝ馬鹿になつて行くのかと思つた。
 夜五時になつて(今では眞暗だ)汽笛が鳴る、さうすると人を喰ふ機械から歸つてもいゝといふことになる、身體も心も、急にガツたりする。歸るのが、イヤ[#「イヤ」に傍点]になるほど疲れてゐる。其處へそのまゝ坐つてしまひたい位だ。俺はかう思つた――百姓は、かういふ工場で働いてゐるもの等より、もつと低い、馬鹿らしい、慘めな生活をしてゐても、あの野ツ原で働くのが、どんなに過勞だと云つたつて、空氣がいゝ、まるで澄んだ水のやうに綺麗な空氣だ。空氣のなかには毛一本程のゴミも交つてゐない。働きながら、歌もうたへる。晝には、畑の眞中に、仰向けになつて、空を見ながら、ぼんやりしてゐたり、晝寢も出來る。ところが、どうだ、こゝは! 俺はこの工場の中を、君に知らせたいのだ、然し、どう知らせていゝのか俺には一寸出來ない。まるで、それに比らべたら、場末のグヂヨ/\した大きな「塵《ゴミ》箱の中で」働いてゐると云つてもいゝ。工場の中は、暗くて、臭くて、ゴミがとんで、ムツとして、ごう/\として、……お話にならない。仕事が終つて出てくるものは、眞黒い顏をして、眼だけを光らして酒に醉拂つた人のやうに、フラ/\してゐる。
 こゝに働いてゐる人達は、百姓のやうに、貧乏はしてゐても、何處かがつしり[#「がつしり」に傍点]したところがなくて、青白くて、病身らしくて、いつでもセキ[#「セキ」に傍点]をしてゐる。俺は、そのことを考へて、暗い氣持になつてゐる。石狩川の大平原にゐた方が、と、きまりきつた愚痴が、此頃出かゝつてゐる。本當のところ、其處の生活も亦いゝものではないが。
 俺は、村にゐたときから、君とちがつて、どうしても落付いてゐることが出來なかつた。こんな生活でない、もつといゝ、本當の生活があると、いつでも、考へてゐた。何んであるかちつとも分らずに、そればかり考へてゐた。が、今になつて、俺達がどんなところに轉ばうが、轉べるところは決つてゐる、といふことが分つた。分らされたんだ。君はきつと、こんなことを云ふやうになつた俺を笑ふだらう。笑はれても仕方ない人間だ。然し、俺は、俺達皆が一體どんなものであり、どんなことをして居り、それがこの社會にどんな役目と、待遇をうけてゐるものであるか、かういふことを、こゝへ來てから初めて知るやうになつた。百姓も、このことは分らなければならないことだ。こゝには、こつそり[#「こつそり」に傍点]、さういふことを研究してゐる人達がゐるんだ。俺も一寸顏を出すやうになつてから、ぼんやりながら分りかけてきた。そして、俺はびつくりしてゐる。この世の中が大變なからくり[#「からくり」に傍点]から出來てゐるといふことを初めて知つた。そして、そのどれもこれもが、皆、「俺達の」頭に成る程とピン/\くるものだ。
 が、それはいづれ、詳しく書くつもりだ。そつちではどうして暮してゐる。もしなんなら、手紙を書いてくれたら有難い。
 君の妹も、札幌に出てきたことを愚痴つてゐる、俺は君の妹を女給にだけはしたくないと思つて、今、何處かへ奉公させてやりたいと思つてゐる。
 こんな意味の手紙だつた。
「兄、芳さん、歸つてきたツてど。」
 源吉が臺所で水をのんでゐたとき、外から來た由が源吉を見て、云つた。源吉は口のそばまでもつて行つた二杯目のひしやく[#「ひしやく」に傍点]を、そのまゝに、とめて「うん※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と、ふりかへつた。眼がぎろりとした。
「お母アからきいてみればえゝさ。」
「うん?」源吉は、水の入つてゐるひしやく[#「ひしやく」に傍点]を持つたまゝ、ウロ/\した眼で母親を探がした。
「何處さ行《え》つてる?」
 由が裏口へ出て行つた。戸を開けた拍子に、いきなり雪が吹きこんできた。源吉はまだひしやく[#「ひしやく」に傍点]を、口の高さにもつたまゝ、うつろな眼をして立つてゐた。
「何處さ行《え》つたか、居ねえわ。」由が歸つてきた。
 源吉は、フト思ひ出したやうに、ゴクツとのど[#「のど」に傍点]をならして、水をのむと、外へ出て行つた。
 然し二分もしないで、歸つてきた。醉つた眼をすゑて。土間に立つてゐた。それから表の方を一寸見た。そして、何か考へ惑つてゐた。が、チエツ! と舌打ちすると、家へ上つた。源吉はすぐ、押入れから、垢でベト/\になつた丹前をとり出して、それを頭からかぶると、寢てしまつた。由は、隅の方で、さういふ兄を、半ば恐れながら、然しじいと見てゐた。

 夜になつて、母親が、お芳のことを「驚いたもんだ。」と云つた。源吉はその時は何時ものむつちりにかへつて、飯を食ひながらだまつて聞いてゐた。
 ――お芳は札幌にゐたうちに、ある金持の北大の學生と關係した。そしてお芳が妊娠したと分つたときに、その學生にうま/\と棄てられてしまつた。その學生の實家は内地に澤山の土地をもつた地主だつた。
 お芳は、何度も/\學生にすがつて行つた。「誰の子供だか分るもんか。」終ひにはさう云はれた。そのうちに、身體のそんな事情で、カフエーの方も工合わるくなり、大きな十ヶ月の腹で、歸つてきた。
 本當は十日も前に、「こつそり」歸つてきてゐたのだつた。お芳の父親は家に入れないと云つた。貧乏百姓には、寢て米を食ふ厄介物でしかなかつたし、もう少したてば、それにもう一つ口が殖える。とんでもないものいりだつた。そして又そんな不しだらな「女郎」を家には置けない、とぐわんばつた。お芳は土間に蹴落された。「物置の隅ツこでもいゝから。」お芳は、土べたに横坐りになつたまゝ、泣いて頼んだ。――
 母親のせき[#「せき」に傍点]に、お芳の父が會つたとき、「あれア、もう百姓仕事も出來ねえ、ふにやけ身體になつて歸つてきたんし、手もまツ白くて、小さくなつて……良《え》い穀つぶしが舞えこんだもんだし。――あつたらごとになつて親の罰だべなんす。」と云つた。
 母が「まあ/\」と云ふと、
「なんかえゝごとでもなえべか?」ときいた。母がきゝかへすと、
「あの腹の子んしな。」と云つた。
「お前さん!」母はびつくりした。
 すると、お芳の父は落着きなく、うやむやにして、頭を自分の手で押へて振りながら、歸つて行つた。「俺アは、もうどうもかもはア分《わ》かなくなつたんし。」……
 母親は、源吉に、「無理しねえばえゝが。」と云つた。「あんの調子だら、あぶねえわ。」
 源吉は返事も、相槌もうたず、にゐた。母親は、それから、聲をひそめて、
「よく聞いてみれば、お芳ア、そんなに札幌さ行《え》ぎたい、行ぎた
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