いつて、行つたんでねえツてなア。」
 源吉は、母親の顏を見た。「うん?」
「なんでもよ、お芳居だら、口かゝるし、働くだけの畑も無えべよ、んで、ホラ、そつたらごとから、お芳にや、家《うち》つらかつたべ――。」
「それ、本當か?」
「お芳、隣りの、あの、なんてか、――石か、――石だべ、石さ云つたどよ、さうやつて。」
 源吉はそれをきくと、溜めてゐた息を大きくゆるくはいて、それから又横を向いてだまつた。
「可哀さうに! 産婆さ見せる金も無えべし、それに、こツ恥かしくて見せもされねえべしよ。――お芳の弟《おんじ》云つてたけど、毎日札幌さ手紙ば出してるどよ。んから、あの郵便持ちがくる頃に、いつでも入口さ立つて待つてるんだけど、一度だつて、返事來たごと無えてたぞ。」
 母親が、ポツリ、ポツリ云ふのが、源吉の胸に、文字通り、ぎぐり/\刺さりこんで行つた。
 初め、源吉は、お芳が歸つてきたときいたとき、カツ! とした。拳固をぎり/\握りしめると、「畜生ツ!」と思つた。一思ひにと思つて、飛び出さうとさへした。
 が源吉は、母親の、それをきいてゐるうちに、自分でお芳を憎んでゐるのか、あはれんでゐるのか分らない氣持になつた。げつそり頬のこけたお芳が郵便配達を入口に立つて待つてゐる恰好が、源吉には見えると思つた。弱々しい、考へ込んでゐる眼が、どうしても離れない。大きな腹をして、――だが、そこへ來ると、源吉は頭を振るやうにして、眼をじつとつぶつた。胸が變に、ドキついてきて、彼には苦しくてたまらなかつた。
 次の日に、源吉は、お芳が始めどうしても飮まない、飮まない、とぐわんばつてゐた藥を、やうやく飮んでゐるといふ、噂をきいた。それは、何度も何度も出した手紙が一囘だつて返事が來ないのに、色々これからの事も考へ、飮み出したのだと、云つてゐた。源吉は、自分のことのやうに、氣持に狼狽を感じた。が、だまつて、それをこらへた。
「嘘だらう。」と云つた。
「本當々々。」母親は見てきたやうに云つた。「可哀さうにさ、眼さ一杯涙ばためて、のむんだと。んで、飮んでしまへば、可哀さうに、蒲團さ顏つけて、聲ば殺して泣くどよ。」
「馬鹿こけツ!」
 源吉は、何かしら亂暴に、ブツキラ棒に云ふと、母親のそばから荒々しく立つた。
 晩に飯を食つてゐたとき、
「赤子《あか》、んで墮《お》りたのか?」と、ひよいときいた。
 母親は源吉の顏をだまつてみて、それから「うん?」と云つた。
 源吉は、自分がなんのきつかけもなく、突コツにそれを云つたことに氣付いて、赤くなつた。ドギまぎして「芳さ」と云つた。
「芳? ――うん、芳か。」さう母親が分ると、「それさ、まだ墮りねえどよ。體でも惡くしねえばえゝ。」と云つた。
         *
 百姓達は、さうやつて集つて決めたが、今度はそのことを、地主や差配を相手にやつて[#「やつて」に傍点]行くといふやうな事になると、お互が何處か、調子がをかしくなつた。知らず知らずの間に、どうにか我慢することにするか、そんな事に逆もどりをしさうな處が出てきた。さうなつたとしても、百姓は然し今までの長い間の貧乏の――泥沼の底のやうな底になれてゐたので、ちつとも不思議がらずに矢張り、その暮しに堪へて行つたかも知れなかつた。――源吉は、一層無口に、爐邊に大きく安坐《あぐら》をかきながら、「見たか!」と、心で嘲笑つた。
「お前え達のやることツたらそつたらごとだ。」
 二、三日して、小作料を納められないので、立退きをされさうになつてゐた「河淵の澤」のところへ、差配がとう/\やつてきた。澤の畑を處分するから、雪が消えたら、家をあけろ、と云つた。女や子供に、ワン/\泣かれると、澤はすつかりオロ/\して、この前の會合の仲間へ、それを云ひに行つた。「幹部」の百姓は、急に、それで騷ぎ出した。そして、すぐ學校へ寄り合ふと、今更新しいことのやうに、この前と同じ相談を又やり直した。
「どうしても、やらなけアならないかな。」年寄つたのが、そんな事を云つた。が、他の「幹部」は、今時、こんな事を云ふのをきいても、「冗談云つちや困る」とさへ思はなかつた。かへつて、首を一緒にかしげて考へこんだりした。そして、
「まあ、さうしなけアなんねえべ。」と、そんな事になつた。
 それから、何邊も同じ事を、グル/\繰りかへして、「がつしりかゝつてやるべ。」といふことに決つた。それで皆が、やうやく別れた。
 差配が今年度分の小作料のことで、村にやつてきて、村の重だつた――小金をためてゐる丸山の家にゐることが分つたので、「幹部」の一番若い元氣のいゝ石山が、校長先生の入智慧で作りあげた恐ろしく漢字の多い、石山自身にさへ、さうはつきり文句も意味も分らない「陳述書」をもつて、出掛けて行つた。
 差配は、石山がドモリながら、眞赤になつて、同じことを、何度も云ふのを飯を食ひながらきいてゐた。それから、眼鏡を袂から出して、袖で玉を一々丁寧にふきながら、「何しに來やがつた。警察さ突き出されたくてか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と云つた。
 そして、「陳述書」を五分も十分もかゝつて讀んでしまふと、「馬鹿野郎。一昨日《をとゝひ》來い!」と、どなつて、それを石山の膝に投げかへしてよこした。
「いつの間に、かう百姓生意氣になつたべ。」
 口の中に手をつツこんで、齒の間にはさまつてゐるのを、とつてゐた丸山が、そばから口を入れた。
 さう云はれると、石山は急に、不思議に、太々しい、何時もの元氣がかへつてきた。
「覺えてゐやがれツ!」向き直つて、タンカを切つた。
 丸山は、穩かに、百姓はそんなことをするもんでない、地主は親で、俺達は子供のやうなものだ、何事も堪へしのんで働くことは立派なことだ。歸つたら、皆んなにさう云つた方がいゝ、差配さんには自分からよく頼んで置いてあげるから、と云つた。
「糞でも喰へツ!」石山はそのまゝ表へ出てしまつた。
 一寸行つてから、帽子を忘れてきたことに氣付いた。石山はプン/\しながら、ひよいとその時だけ立ちどまつたが、もどりもせずに、結果を待つてゐる「幹部」のところへ、走つた。
 それで、――それで百姓達が、やうやく、殺氣立つてきた「やうに見えた」。自然、そして幹部から、その氣勢が、だん/\一人々々と、傳つて行つた。誰も何んとも云はなくても、石山の家に、成行きを知るために、百姓がわざ/\出掛けてくるものも出來てきた。無口な百姓も、口少なではあるが、苛立つた調子で、ムツツリ/\ものを云つて行つた。
 源吉達は、もう雪も固まつたので、山へ入る時期だつたけれども、この方が片付くまで行けなかつた。それに今では皆、そんな處でない、と思ふほど、興奮してゐた。石山の家に寄り合つて、色々の話をきいたりしてゐるうちに、殊に若い百姓などは、「地主つて不埓だ!」さういふ理窟の根據が分つてくるのが出てきた。始め「さうかなア」と思つて、フラ/\した氣持のものが、「野郎奴」などと云つてきた。澤山集ることがあると、校長先生は、手振りや、身振りまでして、「佐倉宗五郎」や「磔茂左衞門」などの義民傳を話してきかせた。それが、處が、理窟なしに百姓の頑固な岩ツころのやうな胸のすき間々々から、にじみ入つて行つた。それから、笑談のやうに、「北海道の宗五郎」といふ奴が、何處かから[#「何處かから」に傍点]一人位は出たつて惡くないだらうさ、と云つた。すると、朴訥な百姓は、眞面目に、考へこんだ。
 差配に掛合つても結局駄目だといふことが分り、そこへもつて行つて差配のとつた傲慢な態度のことから、カツ! とした元氣で、すぐ地主に掛け合ふことに、手はず[#「手はず」に傍点]がきめられてしまつた。校長先生の「北海道の宗五郎」が時機を得て、三人も、その大きな役目を引き受けるものが百姓の中から出た程だつた。
 そこで、それに「幹部」のものが二人加はつて、都合五人で「停車場のある町」の地主の家へ出掛けることになつた。それから殘つた幹部が、百姓二、三人とで、村中の百姓家を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて、今迄の成行きを話し、愈※[#二の字点、1−2−22]すつかり手を組み合はせて、皆一緒に――一人も地主へ裏切るものがないやうに、どし/\やることにするといふことを云つて歩くことにした。
 その連中は、お婆さんなどにつかまると、くど/\暮しの苦しいことや、自分達の昔からのことなどを口説かれた。そして、「地主樣」になんか、どうか手荒い事をしないでくれと拜まれたりした。「俺んどこの息子ば、そつたら寄合ひさなんか出さないで、すぐ歸れツて云つてくれ。」と、頭から、どなられたところもあつた。「碌なものにならない。」さういふ處は何んと云つても駄目だつた。それから、皆のする事を危ぶんで、「何んか、別にえゝ[#「えゝ」に傍点]こどでもねえべか。」と云つたり、「失敗《しく》じつたらハ、飯の食ひツぱぢになるべし。」と云はれたりした。
 ところが、その連中のうちの誰かゞ眼をつけてゐる娘の家へ行つて、その娘のゐるところで、いきなり、「碌でなし奴等!」と怒鳴られて、がつかりするものがあつた。又、逆に、そんな娘のゐるところへは、その用事にかこつけて、上り端に腰を下して、別な話を長々して喜んだのもゐた。――そして然し、とにかく、皆ヘト/\になつて、石山の家へ歸つてきた。
 地主の家へ行つた方は、家の中から野良犬でも「たゝき出される」やうに、上り端に腰もかけさせずに、そのまゝ「たゝき出」されて、戻つてきた。
「この野郎共、串だんごみたいに、手前え等ばつきさして、警察に、渡してやるから――今に、食はねえめに會ふな! 役人ばつれて行つて、お前達のものビタ/\片ツぱしから差押へてやるから。」
 皆の出てゆく後を丸太棒でゞもなぐりつけるやうに、惡態をついた。五人とも涙を眼に一杯ためて、興奮してゐた。
 幹部の百姓と、校長先生とは、すぐこの結果を、村中の百姓に一時も早く知らせて、皆を極度に激昂させ、その滿潮に乘つた勢ひで、やつてのけなければならないことを相談した。――「鐵は赤いうちに」! そして、一方、先生が町へ行つて、賣却の交渉を濟ませて置くことが、勿論必要な緊急事だつた。
「團結だ! 團結だ! 一人も殘らず團結だ!」
 百姓の二、三人は、先生の使ふ「團結」といふ聞き覺えた言葉を使つて、叫んだ。

      八

 その朝、まだ薄暗いうちに、村の百姓は(川向ひの百姓も)馬橇に雜穀類を積んだ。
 源吉は寒さのためにかじかんだ[#「かじかんだ」に傍点]手を口にもつて行つて息をふきかけながら、馬小屋から、革具をつけた馬をひき出した。馬はしつぽ[#「しつぽ」に傍点]で身體を輕く打ちながら、革具をならして出てきた。が、外へ出かゝると、寒いのか、何囘も尻込みをした。「ダ、ダ、ダ……」源吉は口輪を引つ張つた。馬は長い顏だけを前に延ばして、身體を後にひいた、そして蹄で敷板をゴト/\いはせた。「ダ、ダ、ダ……」それから舌をまいて、「キユツ、キユツ……」とならした。
 源吉は馬を橇につけて、すつかり用意が出來ると、皆が來る迄、家のなかに入つた。母親は、縁《ふち》のたゞれた赤い眼を手の甲でぬぐひながら、臺所で、朝飯のあと片付をしてゐた。由は、爐邊に兩足を立てゝ、開いてゐる戸口から外を見てゐた。
 源吉が入つてくると、母親は、
「俺アそつたらことなら、やめたらえゝ[#「えゝ」に傍点]と思ふんだ。」と半分泣聲を出して云つた。
 それは、このことが決つてから、毎日のやうに、何かの拍子に母親が云ふことだつた。何邊云つても、母親は又新しいことか何かのやうに、云つた。「地主樣に手向ふなんて、そつたら恐ろしいことしたつて、碌なことねえ。」
 年寄つた百姓達は、どんなことがあらうと、全くそれは文字通り「どんな事」があらうとたゞ「仕方がない。」さう何年も、――何十年も思つてきてゐた。
 そんな大それた[#「大それた」に傍点]事は、だから、思ひも寄らなかつた。
 源吉は然し母親の云ふことには、別に何んとも、たて[#「たて」に傍点]
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