しかたべられなかつた。菜葉の味噌汁が、終ひには味がなくて、のど[#「のど」に傍点]がゲエ/\と云つた。
 だん/\百姓達は本氣になつた。
 話がかうしてゐるうちに纏つて行つた。源吉は誰からとなく、校長先生が裏に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてゐる、といふ事をきいた。所が、同じ村のある百姓が、地主のために、立退きをせまられてゐるといふことが出來上つてから、急にさういふことが積極的になつた。
 川向ひから、若い男がやつてきた。自分の方も一緒にやつた方が、地主に當るにも都合がいゝといふことを云つた。日を決めて、一度、小學校に集つて、其處で、どうするか、といふことを打ち合はせることにした。
 その日吹雪いた。風はめつたやたらにグル/\吹きまくつた。降つてくる雪は地面と平行線になつたり、逆に下から吹き上つたり、斜めになつたり、さうなるとすぐ眼先さへ、たゞ眞白に、見えなくなつてしまつた。それで道から外れると、膝まで雪の中にうづまつた。雪は外套のどんな隙からでも入りこんで、手の甲や、爪先などは、ヅキン/\痛んできた。小學校へは、遠い家は小一里もあつた。
 どの百姓も、どの百姓も、入つてくるときはメリケン粉の中から出て來た人のやうに身體中眞白だつた。そしてかじかんだ兩手を口にあてゝハア、ハアと息をかけた。ひげも眉も、まつ毛さへも、一本々々白く凍りついてバリ/\してゐた。外套のない百姓は、着物を絲で刺したドサ[#「ドサ」に傍点]を頭からかぶつてやつてきた。何十年か前に、兵隊に行つたとき着た、カキ色のすゝけた外套をきたのや、ボロ/\の二重※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はしをきたのや、筒砲袖の外套をきたのや、色々だつた。教室に入ると、ストーヴがたいてあるので、それでも暖かかつた。眉やヒゲ[#「ヒゲ」に傍点]から、凍つたのがとけて、水玉を作つて頬を流れ落ちた。
 百姓の顏は、どれも、風邪でもひいた後のやうな妙にはれぼつたい、それに、煤けた、生氣のない顏をしてゐた。背中が圓くなつたのや、身體はがつしりしてゐるが、どこか不平均なところのある百姓や、毛むぢやらのや、頭がすつかり禿げて、それが一年中も陽にさらされて、赤ひようたん[#「ひようたん」に傍点]のやうになつてゐるのや、色々だつた。さういふのが二、三人づゝ一かたまりになつて、てんでに、自分達のことを話し合つてゐた。キセルの吸殼を厚い掌にうけて、獨りで、何かむつちり考へこんでゐる年とつた百姓もゐた。五、六人を前に置いて、何か聲高に、手を振りながら、ものを云つてゐるのもゐた。
 しばらくすると、百姓の集會らしい、變な人いきれの臭氣でムンとした。
 片隅で、誰か五、六人のものが拍手をした。それにつれて、集つたものも、拍手をした。が、ぼんやりして、だまつて拍手をするのを見てゐたのもあつた。拍手が終ると、二十五、六のがつしりした身體の、眉の濃い、バリ/\した短い頬ヒゲをもつた石山といふ百姓が教壇に上つた。校長先生の親類だつた。
「皆に代つて、一通りのことをお話しします。」さう前置きをして石山は、百姓にはめづらしいはつきりした、分つた云ひ振りで(勿論、百姓などが殊更に改まつたときによくある、變な漢語も使つたが)――自分達は、犬や豚などより、もつと慘めな生活をしてゐること、――ところが自分達は何時か仕事をなまけた事でもあつたか。――では、何故か。自分達がいくら働いても働いても、とても何んの足しにもならない程貧窮してゐるのは、實に、地主のためであるといふことを分り易く、説明し、今度のやうな場合地主に小作料を收めることは「自分達の死」を意味してゐる、ナホ我々百姓は、高利貸の不當な利息、拓殖銀行の年賦にも、苦しめられ、それに税金がかゝつてくる。そして出來上つたものは、肥料や農具にも引合はない。かうまで、自分達がなつてゐるのに、だまつてゐられるか。そこで、我々は、皆んなにお集りを願ひ、その方策をきめることにしたいのだ、と結んで壇を下りた。百姓達は、聞き慣れない言葉が出る度に、石山の方を見て、考へこむ風をした。が、苦しい生活の事實を石山に云はれ、百姓は、「今更のやうに」、自分達自身の慘めさを、顏の眞ん前にとり出されて、見せられ[#「せられ」に傍点]た氣がしたと思つた。石山が壇から下りると、急にガヤ/\し出した。今石山の云つた事について、あつちでも、こつちでも話し合つた。一番前にゐた年寄つた百姓が、「とんでもなえ、おつかねえこと云ふもんだ。」とブツ/\云つたのを石山はおりる時に聞いた。
 石山が下りると、すぐもう一人が壇に上つた。まだ二十一、二のヒヨロ/\した感じのする、頭の前だけを一寸のばした男だつた。が、案外力のこもつた聲で、グン/\、簡單に、もの[#「もの」に傍点]を云つて行つた。大體に於いて、石山の云ふことを認め、直ちに小作料減率の請求を、全部の署名をして、地主に「嘆願」することにしてはどうか、といふことを云つた。齋藤といふ兵隊歸りの若者だつた。
 次は、四十位の百姓で、壇に上ると、いきなり手をふり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はしながら、醉つた眼を皆の方へすえて「俺達は……」とか「そこで以て、故に……」とか「そして須く……」「しなければならないんであります。」そんなことばかり云つた。ぐでん/\に醉拂つてゐた。皆が笑つた。誰かゞ、そんな奴は下ろせ、とか、下りろとか叫んだ。その百姓は、臺の上で見得を切つてみせると、身體をフラつかせながら壇を下りた。もと旅役者に入つてゐたことがある男で、醉拂ふと、昔の型物の眞似をするので、皆んな知つてゐた。
 年寄つた百姓が上つた。――色々説をきいたけれども、みんな「不義不忠」のことばかりだ、と云つた。言葉が齒からもれて、一言々々の間に、シツ、シツといふ音が入つた。――地主樣と自分達は親子のやうなものだ。若いものは、それを忘れてはならない。「いやしくも」地主樣にたてつくやうなことはしないことだ。「畑でも取り上げられたらどうするんだ。」――さう云つた。「お父アーン、分つたよ。」と、後から叫んだものがあつた。終つてその年寄が壇を下りると、又ガヤ/\した。
 今迄かなり、皆んなの氣持が一緒にかたまつてグツ/\と進んできたとき、この年寄つた百姓の言葉が、皆を暗闇から出て來た牛のやうに、ハツと尻ごみさした。かういふことでは、百姓は牛だつた。
「何んだベラ棒奴! ウン、野郎!」さつきの、醉拂つた百姓が又身體をヨロめかして、壇に上つてきた。「何云つてるんだい。老ボレ。そつたらごどで俺だちの貧乏どうしてくれるんだい。」
「ウン/\」といふのがあつた。「下りろ」「さうだ/\」……
 石山はそこで、出て行つた。――俺だちのしなけアならない事は、もう決つてゐるのだ。それをしなかつたら、明日食ふ米がなくなつて、俺だちは死ななければならない事だけだ。――俺だちはどうしても死んだ方がいゝと思つてゐるものは手をあげてくれ。さう云つた。
 ガヤ/\が靜まつてきた。しばらく石山はつツ立つてゐた。
 ――誰もない。ぢや俺だちは生きるんだなあ。そしたら、俺だちは俺だちの方法を實行するんだ!
 それより外に斷じてないことになるだらう。
 この斷定的な調子が、皆の氣持を、またグツと前へ突き出した。
 石山は「齋藤案」を持ち出して、それに對して論議を進めることにしようと計つた。
 そして、「この事に對して意見のある方は、手をあげて自分に云つて貰ひたい。」と云つた。
 またやかましくなつた。地主のことを惡く云ふものや、それを然し何處かで擁護してゐるものや、さういふのが、お互にブツ/\云ひ合つた。中には、ブツキラ棒に興奮して、※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はらない口で、吃りながらしやべるものもあつた。が、さういふやうに色々のことを云ひながら、然し「どうする」といふことになると百姓達は、ちつとも分つてゐないやうに見えた。石山は壇上に立つたきりで、だまつて皆のしやべるのを聞いてゐた。石山は、皆の一番後の板壁に、先生が寄りかゝつてゐるのを見た。それから少し離れた窓際に、源吉が腕をくんで、がつしり立つてゐるのを知つた。皆の眞中頃にゐて、何か腕を振つてしきりにしやべつてゐる片岡といふ百姓は、此前、地主のお孃さんが遊びに來たとき、石狩川に落ちた、その時それを助けに飛込んで、自分で半分死ぬ目に會つた男だつた。が、大部分の百姓は、ポカーンと口をあいて、誰か云ふのを、代る代り、聞き惚れてゐた。
「誰か考へがありませんか。」
 石山が大聲をあげて聞いた。それで、一寸靜かになつた。
 すると、一人が、
「全然(まるツきり)地主さ納めねえ方がえゝべよ。」と云つた。
 が、その意見は、忽ち皆の反對に會つてしまつた。そんなことはとても出來得ないことであり、又すべきことでない、さう百姓は誰も考へてゐた。
「では、皆の意見は、小作料率の低減ですか。その嘆願ですか。」石山がさうきいた。と、又ガヤ/\になつた。それがしばらく續いた。
「この意見に反對の人は手をあげて下さい。」
 誰も上げなかつた。
「ありませんか。」
 間。
 誰もなかつた。
「ぢや、齋藤案に從ふことになるんですねえ。」
 皆は互に見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はしてみた。それから手が、あやふやに七ツ、八ツ擧がつた。
「そつたらごとで百姓の貧乏なほるもんけア!」
 誰か後で野生的な太々しい聲で叫んだ。さういふ瞬間であつたので皆はその方を見た。――源吉だつた。
「ぢや、源吉君、どうするんです。」石山がきいた。
「分つてるべよ。地主から畑ばとツ返すのさ!」
 ぴたり押へられた沈默だつた。次の瞬間、然し源吉の意見は一たまりもなく、皆が口々に云ふ罵言で、押しつぶされてしまつた。
 それから後、源吉は一言も云はなかつた。始終、腕をくんだまゝでゐた。
 まづ、そして、根本的なことが決められた。それからそれをどういふ風にしてやるか、といふことが問題になつた。それは、二、三日に、地主の差配が例年の通り※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてくることになつてゐるので、それに、事情を説明し、すぐ地主に交渉を始めることになつた。この時、その色々な交渉の間小作の米をどうするのか、と云ひ出すのがあつた。それが又相當大きなことなので、中々意見が一致しなかつた。又百姓には、それを最後迄の見通しをつけた上で、確實な――手落ちのない成算でやつて行けることが出來なかつた。この所、先生の意見をきいた。校長先生は、まづ、町にゐる商賣人に自分達所有の畑物を全部賣つてしまひ、その背水の陣で、地主に當ることにしたらいゝ、といふことを云つた。それには二つの條件をつけた。第一は最初の地主への交渉が不調に終つたら、第二は地主がその結果、作物を無理に押へるといふやうな樣子が分つたら、といふのがそれだつた。一軒々々持つてゐたのではすぐ押へられるし、又そのために、結束が破れるおそれもあつた。先生はかういふ點を防ぐためにもこの方法は重大であると云つた。かういふ事は百姓にはかなり思ひきつたことだつたけれども、それが當り前のことのやうに思はれる程皆せツぱつまつてゐた。
 かういふ風に決つたことを、實際にやつてゆくための人間とか、細則、具體的な方法、さういふことは、三、四人の重立つた人(その中には校長先生も入つた。)で決めて、すぐ皆に通知することにした。それでその日の集合が終つた。
 百姓達は二人三人一緒になつて、今日のことを話しながら歸つて行つた。外はまだ風はやんでゐなかつた。百姓達は厚い肩を前の方へ圓め、首を外套の襟の中にちゞめて、外へ出て行つた。
 源吉が歸らうと、外套に手を通してゐると、先生の子供が出てきて、源吉に是非遊んでゆけと、着かけてゐる外套をひつぱつて、居間の方へ連れて行つた。仕方なしに源吉は、しばらくの間、子供の相手になつてゐた。源吉は何時も他愛なく子供相手に遊ぶので、好きがられてゐた。が、源吉はその、子供達に好きがられる、何んとも云はれない大まかな、無心な氣持が、
前へ 次へ
全14ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小林 多喜二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング