ちから、それも夜まで。所がそれから又夜なべだ。――それで、ウンと金でも殘るんならいゝさ。ねえ、お母さん。」
先生は變な調子で笑つた。「市《まち》の金持なんて、綺麗なビルデイングあたりで、綺麗な、上品な仕事を、チヨイ/\とやると、もうそれで一日終り。そしてたんまり金が入る。とてもお話にならないさ。」さう云つてから、
「どうだい。」と源吉に云つた。
源吉はだまつてゐた。
「そんでせうねえ!」母親は感心して、「市の立派な人さんだちだものねえ。」
「源吉君分るかい、――この理窟が……」
「…………」
源吉は先生の顏を見たが、何も答へなかつた。そして口に水をふくんで、それを霧打ちにして、藁を木槌で打つた。先生は煙草を喫ひながら、少しだまつてゐた。それから、フト思ひ出したやうに、
「あ、勝君が苗穗の鐵道の工場へ入つたつて、聞いたか。」
「ほんですか。」源吉もひよいと氣をひかれた。「やつぱりねえ。んなもんだ。」
「勝君の家《うち》で云つてたよ。――勝君も亦一苦勞だ。」
「お文ばけしかけたんだ、あの勝!」母親は怒つて云つた。
「なア、源吉君、百姓がたつた一人働けば、自分の一家を食はして行つて、おまけに地主にぜいたく三昧な暮しをさしてやる事も出來るし、その地主のお蔭で生きて行つてゐる人にも恩惠を分けてやることも出來るんだ。大したもんだよ。人間を生かしてやるも、やらないも意のまゝに出來るのは、お百姓と職工だけなんだよ。面白いだらう。」先生はいつも決して見せなかつた笑顏をした。それから笑談のやうな調子で、「偉いもんだよ。世界中で一番偉いのは百姓と職工といふわけになるだらう。ハヽヽヽヽ。ところがねえ、源吉君、その百姓と職工さんが一番貧乏して、一番薄汚くて、一番人に馬鹿にされて、一番働かされてるから、愉快だよ。」
源吉も思はずその調子に引き入れられて、笑つた。母親は、何か、分つたやうな分らないやうな顏をしてゐた。
「面白いよ、こんなことを考へてれば。六月に地主が、皆んなを集めて、何んか饒舌つたらう。お前たちの貧乏するのは何處かお前達に罪があるんだ、働くものに追付く貧乏がないつて。皆もつともだ、もつともだつて、聞いてたツけ。――所が、なんのことない、さうやつて、ウンとこさ働かして置いて、その一番いゝ處をうま/\とひつたくつて行くのが地主だから面白いつて。まつたく地主に追付くものは一つだつてないさ。處が、奇妙な事もあればあるもんで、誰も地主にちよろまかされてるんだてえ事を知らないんだ。それでまだ稼ぎが足りないんだべ、まだ足りないんだべつて、一生懸命働いてるんだ。地主の奴、うしろで、舌ばペロ/\出して、喜んでるだべよ! 働け働けたつて、今まででさへ百姓が朝四時か五時から起きてさ、晩はまた晩で、七時も八時迄も働いてるんだ。これよりもつと朝早く、夜はおそくして、馬車馬見たいに、働いたら、それこそ三日で百姓ぶつ倒れるべよ。百姓位のべつ暇なしに働くものなんかあるか。――働きが足りないから貧乏してるなんて、ウソ[#「ウソ」に傍点]の大皮さ。」
「先生さま、まア何云ふだべ。」母親はびつくりして云つた。
「イヤ、お前んとこでも、ウンと働いてやれや。せば、地主の倉さ米俵が、うんとこさ積まさつて、逆にお前達の口がカラ/\になつてくるから。」先生は高聲で笑つた。
源吉は、つんのめされた人のやうな、固い、むづかしい顏をしてゐた。時々、フト木槌がとまつた。
「俺、何時でも不思議に思つてるのは、みんながこんなに貧乏してゐるのに、どういふわけでこんなに貧乏かつてことが、誰も分つてゐないことだよ。なア、源吉君。地主があつたらこと云ひやがるし、坊主は又坊主の奴で、地主からたんまり貰つたもんだから、何事も佛樣のみ胸のまゝだなんてぬかすもんで、分らないのが、イヨ/\こんがらがつて分らなくなつたんだ。が、洗つたところを見れば、――何も、かも、はつきりしたもんだよ。百姓、あんまりはつきりすると自分でどうしていゝか困るのかなア。」又そこで笑つた。そして、獨りで「ウン、困るんだ。困るんから……分らないことにして置いてるんだ。」
先生は源吉の方を見た。源吉が何か云ひ出すのを待つ、といふやうな恰好をした。が、源吉は眉をひそめたむづかしい顏を、まだ、してゐた。
「まア/\、先生樣、そつたらごと、地主樣にでも聞えたら、大變なごとになるべしよ。」
先生はちよつとだまつてゐた。が、それからは別なことを話した。爐邊に寢てゐた由が、何かに吃驚したやうに、跳ね上つた。そして、立つたまゝポカーンとした。皆その方を見た。
「由、何ば寢ぼけてるんだ!」
由は、それから四圍をキヨロ/\見ながら、身體を何囘もゆすつた。由の身體には虱が湧いてゐた。
「ホラ、校長さんがおいでになつてるど。」
由は校長先生を見ると、頭をさげた。が、何も云はずにすぐ又爐邊に坐つた。そして兩膝頭と顎が喰付くやうに、圓まつて寢込んでしまつた。
「うなされてる。」
校長先生はそれからしばらくして、イガ栗頭をゴシ/\かきながら歸つて行つた。表をあけながら、「ウツ、寒い。」と云つて、袂に手をひつこめた。戸がしまつてからすぐ家の側で、先生の小便をしてゐる音がした。
「お晩でした。」誰かゞさう云つて通つて行つた。
先生は小便をしながら、「や、お晩。」と、何時ものザラ/\した聲で云つた。
仕事が終つてから、母親が皮をむいて置いた馬鈴薯を大きな鍋に入れて湯煮をした。すつかり煮えた頃それを笊にとつて、上から鹽をかけた。母親と源吉が爐邊に坐つて、それを喰つた。うまい馬鈴薯は、さういふ風にして煮ると「粉を吹い」た。二人は熱いのをフウ/\吹きながら頬ばつた。母親は、源吉の向側に、安坐をかいて坐つてゐた。が、一寸すると、芋を口にもつて行きながら、その手が口元に行かずに、……母親は居眠りをしてゐた。が、手がガクツ[#「ガクツ」に傍点]と動くので、自分にかへつて、とにかく芋を口に入れるが、口をもぐ/\させてゐるうちに、――のみ下さないで、口にためたまゝ、又居眠りを始めた。
爐にくべてある木が時々パチ/\とはねた。その音で、母親が時々、少し自分にかへつた。源吉はもの[#「もの」に傍点]も云はずに、芋を喰つてゐた。何か考へ事でもしてゐるやうに、口を機械的にしか動かしてゐなかつた。
柱時計が四つ、ゆるく、打つた。母親は、びつくりして、今度は本當に眼をさました。そして、くるつと圓くなつて寢てゐる由をゆり起した。由は眼をさますと、不機嫌に、ねじけ始めた。
「ホラ、校長先生!」母がどなつた。
由はギヨツとしたやうに、四圍《あたり》を見た。
「うそ、うそ! うそ※[#感嘆符二つ、1−8−75]――うそ※[#感嘆符三つ、70−8]……」とう/\由が本氣に泣き出してしまつた。
「この野郎。早く小便たれてこ。表さ行《え》つて。」
由は中々立たなかつた。三度も、四度も云はれて、表へ立つた。が、戸を少し細目にあけると、そこからチンポコだけ出して、勢ひよく表へやつた。
「又、表さ出ねえで。なんぼ癖惡いんだか。――あどから臭せくツて!――赤びつき[#「びつき」に傍点](赤子)でもあるまいし。えゝか、あとから兄から、うんブンなぐられるべ!」
「表おツか[#「おツか」に傍点]ねえで。んに、寒いわ。」半分泣き聲で由が云つた。
「よし/\、うんと、そつたらごとせ。」
母親は床を三つ敷いた。
「なア源ん、校長先生あれきつと、――あれだ。飛んでもない事云ふもんだ。本氣に聞くなよ。うん。」床をしきながら、母がさう云つた。
源吉は、芋を喰ひあきると、火箸をもつたまゝ、爐の中を見てゐた。火箸で、火のオキ[#「オキ」に傍点]を色々に、ならべてみたり、崩してみたり、しばらくさうしてゐた。
由と母親が寢てしまつた。
源吉は爐の側にある木をとつてくべた。それからそれが一しきり燃え終るまで、すゝけた青銅の像のやうに、坐つてゐた。ランプも石油がなくなつてきて、だん/\焔が細くなつてきた。
「源、まだ起きてたのか。燃料《たきもの》たいし[#「たいし」に傍点]だ。――寢かされ。」
母親が眼をさまして、一寸枕から顏をあげて、こつちを見ながら云つた。源吉は火も、もう燃え殘りしかなくて、自分が寒くなつてゐたのに氣付いた。
「うん。」さう云つて、立ち上つた。……
後の窓に、大きな影になつて、源吉の身體がうつつた。
「なんまんだ、なんまんだ、――。」ブツ/\母親が云ふのを源吉はきいた。
六
長い冬が來た。百姓は今年の不作の埋合せをしなければならなかつた。
源吉は、村の人達五、六人と、朝里の山奧へ入つて、しな[#「しな」に傍点]の皮はぎに雇はれるために、雪が降つたら出掛けることに決めてゐた。それが二月一杯できり上ると、余市の鰊場へ行くことになつてゐた。そして四月の終り頃村へ歸つてくる。それはどの百姓も大抵さうした。――それで百姓の生活がカチ/\だつた。
何日も、何日も續いて、しつきりなしに吹雪いた。百姓はその間家から一歩も出ないで過ごした。窓から覗いてみても、たゞ眞白で、何も見えなかつた。時々、家がユキ/\と搖れた。そして、やうやく吹雪が上つた。戸をあけると外につもつてゐる雪が崩れて家の中に入つてきた。
雪の石狩の平原は、今度こそ、何處を向いたつて、涯しもなく眞白に、廣がつてゐた。百姓家は所々ポツ/\と、屋根だけ見せて、うづまつてゐた。たゞ隨分離れてゐたと思つた隣家がはつきり、聲をかけられる位に近く見えた。空はまだ吹雪のあとを殘してゐる低い、暗い雲に覆はれて、それが地平線のあたりで、眞白な地上と、結び合つてゐた。そつちが今吹雪いてゐるらしく、眞黒になつてゐた。風は時々ピユ/\と音をさして吹いた。その度に、雪が煙のやうに吹き上り、渦を卷きながら、遠くから吹きよせてきた。その渦卷がグル/\一所で渦卷いてゐたり、素晴らしい早さで移つて行つたり、急に方向を變へたりした。家の角の邊に大きな吹き溜りが出來てゐた。
寒氣がひどくなると、家の中などは夜中に、だまつてゐてもカリ、カリ、カリと、何かものの割れるやうな音がした。年寄つた百姓はテキ面にこたへて、腰がやんだり、肩が痛んだりして、動けなくなつた。
家の中にとぢこめられて、食ひ物のなくなつた百姓が停車場のある町に、買ひ物にゆく、馬の鈴が聞えた。その、リン/\とした鈴がそのまゝで凍えてゐるやうな空氣に、ひゞき返つて、しばらく、――餘程遠くへ行くまで聞えてゐた。そしてその馬橇が雪の、茫漠とした野原を、曲りくねつて、一散にかけて行くのが見えた。
雪が降り出してから、十日も經つと、百姓達は、ソロ/\この冬を、どうして過ごしてゆくかといふことを考へ出してきた。百姓達は雪を見ると、急に思ひつきでもしたやうだつた。食物がなくなつても、地主へ收めるものには手をつけることは出來ず、町へ仕入れにゆくにも金がなくなつてきた。百姓が顏を合はせると、ボツリ/\自分達の生活を話して、何んとかしなければと云つた。皆が苦しんでゐた。それで何時の間にか、そのことがずうと廣まつて行つた。
川向ひの村に用事を足して歸つてきた勝の父親が、源吉に會つたとき、川向ひでも、色々そんな話が出てゐると云つた。石狩川が凍つたので、自由に向ひ側に行けるやうになつた。授業料ををさめることが出來なくなつて、小學校へ行く生徒が急に減つた。金をかけて、一日中遊ばせて置かれるか、と云つた。
子供などはどこの子供も元氣のないきよとん[#「きよとん」に傍点]とした顏をして、爐邊にぺつたり坐つてゐた。赤子は腹だけが、砂を一杯つめた袋のやうにつツ張つて、ヒイ/\泣いてばかりゐた。何も知らない赤子でさへ、いつも眉のあたりに皺を作つてゐた。頭だけが妙に大きくなつて、首に力なく、身體の置き方で、その方へ首をクラツと落したきり、直せなかつた。冬がくる前に、軒につるしておいた菜葉だけを、白湯のやうな味噌汁にして、三日も、四日も、五日も――朝、晝、晩續け樣に食つた。それに南瓜と馬鈴薯だつた。米は一日に一囘位
前へ
次へ
全14ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小林 多喜二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング