に飯を食ふ時、百姓はそれだけを食ふのを勿體なく思つた。それで、米に水を何倍も割つて薄くトロ/\にして、芋を入れたり、豆を交ぜたり、して食つた。
 夏にとつて軒に乾して置いた何十といふ南瓜を冬中食つた。それを毎日續け樣に食ふので、どの百姓も顏から、掌から、足からすつかり眞黄色になつてしまつた。眼玉の白いところにさへ、黄色い筋が入つた。
 冬近くなると、一年中はき切らしてボロ/\になつた足袋を繕ふのが、その家の年寄の仕事になつた。それにつぎを幾つもあてゝ、もう一冬間に合はせた。シヤツも襦袢も、腰卷もさうだつた。源吉の母親は押入から、色々のボロを引張つてきて、それを爐邊に山のやうに積んで、片方の玉の壞れた眼鏡を糸で耳にひつかけて、ランプの下に顏を持つて行つて仕事をした。
 收穫が終つてから、冬になる間、百姓の金を當てにして何人もの行商が、一日に何囘も寄つて行つた。玩具のやうな道具をもつた乞食も來ることがあつた。が、永い冬が待つてゐることを考へれば、一きれの布も、百姓にはうつかり買へなかつた。越中富山の藥屋も小さい引出の澤山ついた桐の藥箱を背負つてやつてきた。馬などの繪をかいた藥臭いちらし[#「ちらし」に傍点]を子供達にくれて、いくら要らないと云つても、上り端に腰を下して動かなかつた。そして藥袋を置いて行つた。由は馬のちらしを大切に持つてゐて、暇があると、それを寫してゐた。
 百姓達はそれでもとにかく、馬を仕立てゝ、停車場のある町に出掛けて行つて、味噌や醤油や、その他の入用なものを買つてきた。その頃は、停車場前の荒物屋の店先にある電信柱には、百姓の荷馬車が何臺もつながれてゐた。牝馬が多かつた。たまに牡馬が通ると、いなゝきながら、暴れた。すると、荒物屋の中から、醉拂つた顏の赤い百姓が飛び出してきて、牝馬を側の方へ引張つて行つた。荒物屋では土間に二つ三つ椅子があつて、そこへ腰をかけて、百姓が氷水を飮むコツプに冷酒をついで、干魚をさきながら、飮んでゐた。
 百姓のうちでは、こゝで醉ひつぶれてしまふものがあつた。
「俺アなんぼ醉拂つたつて、あいつ[#「あいつ」に傍点]がみんなおべでる。」
 そして、店の小僧にだかれて、味噌や醤油樽と一緒に、荷馬車に、まるで荷物のやうにつまれた。つみ込まれたまゝで、昔若い時に覺えた歌をうたひながら、いゝ機嫌になつてゐると、馬はひとりで、もと來た道を、もどつて行つた。
 源吉はモツキリを二、三杯のむと、それが久し振りであつたゝめか、すつかり醉拂つてしまつた。源吉は、大きな圖體の身體を、ふりながら、他愛もなく踊りの手眞似をしたり、眼を細めて、變な聲を出して笑つたり、分けの分らないことをしやべつた。
 八時頃荒物屋を出ると、源吉は側につないであつた馬の側に行つて、ヨロ/\しながら、馬の首につかまつて、それを支へにして、鼻面を撫でながら、何か獨りブツ/\云つた。さうしながらも始終身體をフラ/\させてゐた。馬から離れると、一寸立つてゐた。が、覺束ない足取りで歩き出した。もう町は人通りが無かつた。源吉は懷に兩手をはすがひにつつこんで、醉拂つたあとによくあるが、ブル/\震ひながら、そして、ひとりで何かブツ/\云ひながら歩いた。
「何んぼ働いたつて、何んになるんでえ。糞たれ。」何囘もこんな、同じことを繰り返してゐた。少し行くと軒の低いそばや[#「そばや」に傍点]があつた。源吉は、そこの入口の柱にどしんと身體をうちつけた。そして、そのまゝそれによりかゝりながら、目もあけずに「誰だ、畜生、誰だ」と云つた。中で、白粉をつけた女が「兄さん、寄つてよ、上つて一杯のんで行つて。」と云つた。そして、すぐ立つて出て來た。
「まアいゝ機嫌ねえ。」
 源吉は女の顏のすぐ前まで、自分の顏をつき出して、醉つてシヨボ/\した眼を、無理にひらいて、女を見た。安い白粉と、女の汗臭い匂ひがムーンと鼻に來た。
「この女子《あまつ》こ、めんこい[#「めんこい」に傍点]顏してるど。」
「温めてやるよ。ねえ、上つてさ、――。」
 源吉はよろけながら、土間に入つてしまつた。

 荒物屋の前につないであつた源吉の馬は、次の朝まで其處に、そのまゝ、頭を長く下げてつながれてゐた。
         *
 長い秋の夜を、ランプを土間に下して、藁をたゝいて、繩をなつたりしながら、百姓は、自分達の過ごして來た一生を思ひかへした。秋の夜は百姓達にはさういふ時だつた。小聲で鼻唄をうたつてゐたのが、フト止むと、何時の間にか百姓達は昔のことを思つてゐた。
 内地では彼等は芋ばかりしか食へなかつた。畑から出來上つたものは安くて、肥料や農具はその倍にもなつた。地主には小作料が、重なりに重なると、立毛は押へられた、土地はとりあげられた。「北海道に行つたら」さう思つて、追ひ立てられて、然し、大きな夢をもつて、彼等は「熊が出る」北海道にやつてきた。津輕海峽を渡つて、北へ、北へとやつてきた。親子で行李を背負ひながら、北海道の飛んでもない、プラツトフオームもない、吹きツさらしの停車場で降ろされると、何里もの涯しの見えない雪道を歩かせられた。何處まで行つても雪で、平であつた。指も顏の皮も切つて行かれさうな風にふきまくられた。そして落着いてみれば、どこにも立札がしてあつた。拾つていゝ土地なんか、重箱のふた[#「ふた」に傍点]程も殘つてゐなかつた。たまに、安く土地が「拾へても」、それを耕してゆく金がなかつた。結局人から借りた金でやれば、二、三年經つて、その荒蕪地がやうやく畑らしくなつた頃、そのかた[#「かた」に傍点]に、すつかり、彼等の手からなくなつてゐた。――ここも矢張り住みよくはなかつた。
「國《くに》ではどうしてるべ。」
 かういふ百姓にとつては、たとへ北海道に二十年ゐたとしても、三十年ゐたとしても、内地のことは忘れなかつた。死ぬ時は、内地で、――昔、自分たちには決していゝ仕打ちをさへしなかつた――村で、なければならない、さう、暗默に思つてゐた。何時でも、何時か國に歸つて行くことを考へてゐた。百姓たちが仕事の合間にフト口をきくとき、「國ではどうしてるべ。」きつと、さう云つた。内地のことは、今では、不思議にも、百姓達には、變な魅力をもつて、心の中によみがへつてきた。何かしら、綺麗な、樂しかつたものに想像されて、くるのだつた。豆腐屋の誰がどうしてゐるとか、※[#「冂」の左の縦棒を取った中に「△」、屋号を示す記号、62−2]の金[#「※[#「冂」の左の縦棒を取った中に「△」、屋号を示す記号、62−2]の金」に傍点]がまだ生きてゐるだらうかとか、角地[#「角地」に傍点]の娘が婿をとつたとか、石屋の旦那が樺太へ行つてるとか……そんなことが、ボツ/\、切れさうになつたり、途切れてから續いたり、そしてそれに結びつけて、昔の自分達のことを、ゆつくりした調子で話した。
 初め、「國」を出るときには、百姓たちは、北海道へ行つたら、一働きして、うんと金を作つて、國へもどつてきて安樂に暮さう、さう考へてゐた。誰でもさうだつた。源吉の父もさうだつた。然し、どの百姓だつて、それの出來たのが誰もゐなかつた。結局内地での昔の生活とちつとも異つてゐなかつた。然し百姓はそのことをちつとも分らうともしなかつた。だが本當のところどの百姓も、現實にはとてもそんなことは駄目なことだと「分つてゐながら」、漠然と、やつぱり、内地へ金をもつて歸ることを心の何處かで思つてゐた。北海道の百姓は皆平氣でさうだつた。
 たまに、内地へ一ヶ月でも行つてくるといふ者があると、(――それは然し極くまれだつた。例へば、誰か肉親が急病だとか、さういふ場合を兼ねての場合に限られてゐた。)同じ國の者が集つて行つて、自分達の親類に色々なことづけ[#「ことづけ」に傍点]を頼んだり、何かをとゞけてもらつたりした。村の樣子をきいてきて貰ふ事を約束したりした。
 なんでも源吉の父親と母親が、初めて北海道に來て、雪の野ツ原を歩かせられたとき、(源吉はその時父の背におぶさつてゐた。)――丁度今ゐる村に入る少し手前の道端に、くひ[#「くひ」に傍点]が一本立つてゐたのを見た。それは日暮れに近い時で、そのだゞツ廣い野原に、そのくひ[#「くひ」に傍点]だけが、たつた一本しよんぼり立つてゐた。父親は標示杭と思ひ、まだ、何里位あるのか、その前にしやがんで雪を拂ひ落してみると、それには、「越後國――郡――村、―― ――こゝに死す」と書いてあつた。父がそのことを母に云つてきかせた。二人とも、その時はゾツと寒氣がする程の頼りなさを感じた、――「なんぼなんでも、こんな風にだけはなりたくない」さう云つたのを、源吉は何度も聞かされて知つてゐた。
 そのやうに百姓は何時でも「故里」の土に結びつかれてゐた。
 農村の秋はます/\深くなつて行つた。
 源吉の母親は、冬ま近になると、腰が痛んできた。土間に下りて、繩を作りながら、由に、腰をもませたり、肩をもませた。由が嫌がつて逃げて歩く度に、
「ぜんこ一銭けるど。」と云つたり、それでもまだ來ないと、
「せば二錢けるど」と云つた。
 由が、母の後に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて、二度か三度、肩をもんで、すぐ、
「ぜんこけれ!」
「このほいと。」
「したツて、もんだでないか。」
「もつと。」
「ずるい/\。」
「馬鹿、お母ちやえゝツてまでだ。」
「ずるい/\/\。」
「この糞たれ!」
 二人で本氣になつた。そして、――がフト[#「フト」に傍点]、
「なあ、源ん――俺アこの冬、國さ行《え》つてきてえんだよ――源ん。」ヅキ/\痛む腰を自分でもみながら云つた。そして暗い顏をして源吉を見た。

      五

 源吉の母親は、お文が札幌へお祭りの夜逃げて行つてから、何處か弱つてきた。何か仕事をしてゐるとき、フトお文のことを云ひ出した。そして、何時までも、そのことを獨言のやうにしやべつてゐた。源吉は、母親がさういふ事を云ひ出すと、默つて立つて、外へ出て行つた。
 秋の更けた、靜かな、ある晩だつた。裏を流れてゐる川のあたりに時々鳥が啼いてゐた。源吉と母親はランプを低く下して、土間にむしろをおいて、草鞋を作つてゐた。
 誰か表から呼んだと思つた。
「はアー」と源吉が表にきゝ耳をたてゝ言葉をかけた。
「俺だよ。」校長が、ガタピシする戸を身體であけて入つてきた。
「退屈で、話ししに來た。」と云つた。
 爐のそばで、由が假寢をしてゐた。ランプは土間の方に持つて來られてゐるので、そこが暗くつて分らなかつた。
「お文はどうしてる?」何かの話から先生がきいた。母親は、何時もの通り、何度も何度も云つたことを又繰りかへして校長先生にきかした。源吉はだまつてゐた。
「どうして連れもどさないんだ。」
「わし[#「わし」に傍点]なんぼさう云つても、源が駄目でねえ。行きたがらねえんだもの。――札幌ばおつか[#「おつか」に傍点]ながつてるんだべよ。」
「源吉君、どうした。」
「駄目だんす。」源吉はさう云つた。「連れてきたつて、又行くべよ。」
「こんだもの。」母親はあきれたやうに、先生の顏を見た。そのことから、先生が札幌にゐたときの話をした。そしてこんなことを云つた。――若し一度でも都會の味が分つたら、こんな田舍には、とても居られるものでない。電話があつて、どんな遠くの人とでもすぐその場にゐて用事が話せる。自動車が何臺とある。電車がある。それに女は何時でも人形さんのやうに、綺麗に白粉をつけ、長い袖の着物を着て歩いてる。活動寫眞は毎日あるし、芝居も見れるし、音樂會はある。公園がある。
 それに男だつて、外國の寫眞に出てくる人達とちつとも異らないやうな恰好で、町をキユツ/\と、光るほどに磨いた靴をはいて歩いてゐる。
「まあ、ねえ――」母がびつくりしたやう[#「母がびつくりしたやう」はママ]
「それにどうだ、百姓は。――」先生は一寸言葉を切つた。
「年中糞こやしの中にうづまつて、眞ツ黒けになつて、男だか女だか分らなくなる。この邊の女の手の皮なんて、まるで雜巾みたいでないか。朝は暗いう
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