へられた沈默だつた。次の瞬間、然し源吉の意見は一たまりもなく、皆が口々に云ふ罵言で、押しつぶされてしまつた。
それから後、源吉は一言も云はなかつた。始終、腕をくんだまゝでゐた。
まづ、そして、根本的なことが決められた。それからそれをどういふ風にしてやるか、といふことが問題になつた。それは、二、三日に、地主の差配が例年の通り※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてくることになつてゐるので、それに、事情を説明し、すぐ地主に交渉を始めることになつた。この時、その色々な交渉の間小作の米をどうするのか、と云ひ出すのがあつた。それが又相當大きなことなので、中々意見が一致しなかつた。又百姓には、それを最後迄の見通しをつけた上で、確實な――手落ちのない成算でやつて行けることが出來なかつた。この所、先生の意見をきいた。校長先生は、まづ、町にゐる商賣人に自分達所有の畑物を全部賣つてしまひ、その背水の陣で、地主に當ることにしたらいゝ、といふことを云つた。それには二つの條件をつけた。第一は最初の地主への交渉が不調に終つたら、第二は地主がその結果、作物を無理に押へるといふやうな樣子が分つたら、といふのがそれだつた。一軒々々持つてゐたのではすぐ押へられるし、又そのために、結束が破れるおそれもあつた。先生はかういふ點を防ぐためにもこの方法は重大であると云つた。かういふ事は百姓にはかなり思ひきつたことだつたけれども、それが當り前のことのやうに思はれる程皆せツぱつまつてゐた。
かういふ風に決つたことを、實際にやつてゆくための人間とか、細則、具體的な方法、さういふことは、三、四人の重立つた人(その中には校長先生も入つた。)で決めて、すぐ皆に通知することにした。それでその日の集合が終つた。
百姓達は二人三人一緒になつて、今日のことを話しながら歸つて行つた。外はまだ風はやんでゐなかつた。百姓達は厚い肩を前の方へ圓め、首を外套の襟の中にちゞめて、外へ出て行つた。
源吉が歸らうと、外套に手を通してゐると、先生の子供が出てきて、源吉に是非遊んでゆけと、着かけてゐる外套をひつぱつて、居間の方へ連れて行つた。仕方なしに源吉は、しばらくの間、子供の相手になつてゐた。源吉は何時も他愛なく子供相手に遊ぶので、好きがられてゐた。が、源吉はその、子供達に好きがられる、何んとも云はれない大まかな、無心な氣持が、ちつとも出なかつた。源吉は何處かイラ/\して、じつとしてゐられなかつた。好加減にして出てきた。外へ行かうとして、教室の戸をあけると、殘つた四、五人が相談をしてゐた。
「源吉君、殘つて一つ相談に乘つたらどうだ。」と、若い一人が云つた。
源吉は口のなかで、煮え切らない返事をして、外へ出た。
「それどころか!」源吉はさう思つてゐた。
源吉は自分の考へが、皆に何んとか云はれる筈だと思つた。百姓は後へふんばる牛のやうだつた。理窟で、さうと分つてゐても、中々、おいそれと動かなかつた。けれども源吉はそんなケチな、中途半端な、方法はなんになるか、と思つた。何故、そこから、もう一歩出ないのか、さう考へた。
源吉は小さい時から、はつきりさうと云へないが、ある考へを持つてゐた。源吉の父親が、自分の一家をつれて、その頃では死にに行くといふのと大したちがひのなかつた北海道にやつて來、何處へ行つていゝか分らないやうな雪の廣野を吹雪かれながら、「死ぬ思ひで」自分達の小屋を見付けて入つた。その頃、近所を平氣で熊が歩いてゐた。よく馬がゐなくなつたり、畑が踏み荒らされたりした。石狩川の川ブチで熊が鮭をとつてゐるのを、源吉の父が馬を洗ひに行つた途中見て、眞青になつて家へかけこんで來たことがあつた。夜になると、食物のなくなつた熊が出てくるので各農家では、家の中にドン/\火を焚いた。熊は一番火を恐れた。源吉は小さい時の記憶で、夜になると、窓から熊が覗いてゐる氣がして震へてゐたことを覺えてゐる。――その時から二十年近く、源吉の父親達が働きに働き通した。
母親から、源吉が聞いたことだが――その頃父親が時々眞夜中に雨戸をあけて外へ出て行くことがあつた。母親は、用を達しに行くのだらうと、初め思つてゐると、中々歸つてこなかつた。一時間も二時間も歸つて來ないことがあつた。母はだん/\變に思つて、それを父にきいた。父は笑つて、「畑さ行つて來るんだ。」と云つた。それ以上云はなかつた。
いつかの晩、母があまり變に思つたので、後をついて行つた。すると父が眞暗な畑の中にズン/\入つて行くのを見た。その時には母も何かゾツと身震ひを感じた。母は、少ししやがんで、そつちの方をすかして見てゐると、父は畑の眞中に、立つたきり、じいとしてゐた。十分も、二十分も。それからその隣りの自分の畑の方へ行くと、又、やつぱり立つたまゝしばら
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