本を源吉の側にもつて行つた。「こんだこの犬が仇討をするんだべか。――」
「母《ちゝ》、ドザ(紺で、絲で刺した着物)ば仕度してけれや。」
「よオ、兄、この犬きつと強《つ》えどう。隣の庄、この犬、狼んか弱いんだつてきかねえんだ。嘘だなあ、兄。」
「これで二ヶ月も三ヶ月も魚ば喰つたことねえべよ、母《ちゝ》。――馬鹿にしてる!」源吉はこはい聲を出した。
「んだつて、オツかねえ眞似までして……。」
「馬鹿こけや!」
母親は獨言のやうに何かぶつ/\云つた。
「さあ、まんま[#「まんま」に傍点]くべ。」
母親は焚火の上にかけてある鍋から、菜葉の味噌汁を皆に盛つて出した。「ん、お文もやめにして、まんまだ。」
由は、兄の眞似をするのが好きだつた。なるべく大きく安坐《あぐら》をかき、それから肱を張つて、飯を食ふ――時々、兄の方を見ながら、自分の恰好を直した。
「なア、兄、犬と狼とどつちが強えんだ。犬だなあ。」
「だまつて、さつさとけづかれ。」
せき[#「せき」に傍点]が、芋と小豆の交つた熱い粥をフウ/\吹きながら、叱つた。鼻水を何度も忙しくすゝり上げた。
由は一杯の粥を食つてしまふと、箸で茶碗をカン/\とたゝいてせき[#「せき」に傍点]に出した。
「兄、芳ちやんから手紙が來てたよ。」
「ん。」
「こゝにゐた時の方がなつかしいつて、そんなこと書いてるんだよ。フンだものなア、何がこつたら所。」
お文は、本當にフンとしたやうな顏をした。
「又! ――んだつて本當かもしれねえべよ。」母が口を入れた。
「うそ。大嘘、こつたらどこの何處がえゝツてか。どこば見たつてなんもなくて、たゞ廣《び》ろくて、隣の家さ行《え》ぐつたつて、遠足みたえで、電氣も無えば、電信も無え、汽車まで見たことも無え――んで、みんな薄汚え恰好ばかりして、みんなごろつきで、……。」
「兄、犬の方強えでなア。」
「んでさ、都會は汚れてゐると、そんなことが分る度に、石狩川のほとりで、働いてた頃の、ことが思ひ出されるつて。」
「んだべさ。」
「何んが、んだべさだ。こつたら處で、馬の尻《けつ》ばたゝいて、糞の臭ひにとツつかれて働いて――フンだよ。」
「なア、兄、お文この頃駄目だでア。」
せき[#「せき」に傍点]が源吉の方を見て、云つた。
源吉はだまつてゐた。
「わしも札幌さ行《え》きてえからつて、云つてやれば、來るどこでねえつて――そのくせ、自分であつたらに行きたがつたこと忘れてよ。」
外では、時々豆でもぶツつけるやうに、雨が横なぐりに當る音がした。その度にランプが搖れて、後の障子に大きくうつつてゐる皆の影をゆすつた。――延びたり、ちゞんだりした。
由は飯を食ひ終ると、焚火に、兩足を立てゝ、繪本を見た。小指の先程のチンポコ[#「チンポコ」に傍点]を出したまゝだつた。
「兄、狼見たことあるか。」
「見たことねえ。」
「繪で見たべよ。」
「ん。」
「どつち強い。」
「強え方強えべよ。」
「いや/\、駄目――え。」
源吉は大きな聲を出して笑つた。
樹の根ツこをくべてある爐の火が、節の處に行つたせゐか、パチ/\となつて、火が爐の外へはねとんだ。
一つが由の「朝顏の莟みたいな」チンポコへとんだ。
「熱ツ々々……※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
由は繪本をなげ飛ばすと、後へひつくりかへつて、着物をバタ/\とほろつた。
「ホラ、見ろ、そつたらもの向けてるから、火の神樣におこられたんだべ。馬鹿。」
「糞、ううーうん、/\、」
由が半分泣きさうにして、身體をゆすつた。
せきとお文は臺所に、ローソクを立てゝ、茶碗などを洗つた。そこに取りつけてある窓にプツ/\と雨が當つた。そして横にスウーと硝子の面を流れた。
「ひどくなるでア。」
お文も「兄、やめればえゝによ。」と云つた。
「俺アだぢ來た頃なんてみんな取りてえだけ秋味(鮭)ばとつたもんだ。夜、だまつてれば、キユ/\/\つて、秋味なア河面さ頭ば出して泣くの聞えたもんだ。」
お文がくすツと笑つた。
「ん、馬鹿。ほんたうだで。をかしイ世の中になつたもんだ。」
遠くで、牛がないた。すると、別な方でもないた。が、風の工合で、途中でそれが聞えなくなつた。
由は仰向けになつて、何んか歌のやうなものをうたつてゐたが、
「お母《ちゝ》、いたこ[#「いたこ」に傍点]ツて何んだ?」ときいた。「いたこ[#「いたこ」に傍点]つ來て、吉川のお父《と》うばおろしてみたつけアなあ、お父、今死んで、火焚きばやつて苦しんでるんだつて云つたどよ。――いたこつて婆だべ。いたこ婆つて云つてたど。」
「ふんとか?」
「いたこ婆にやるんだつて、吉川で油揚ばこしらへてたど。」
「お稻荷樣だべ。」
「お稻荷樣つて狐だべ。」
「んだ。」
「勝とこの芳なあ犬ばつれて吉川さ遊びに行《
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