え》つたら、怒られたど。」
「んだべよ。」
「兄、狐、犬よんか弱いんだべ。」
 源吉はだまつてゐた。
「吉川の母《ちゝ》かなし/\ツて泣いてたど。眼ば眞赤にしてよ。」
 お文は裏の納屋に提灯をつけて入つて行つた。入口のすぐ片隅に積んである俵の中へ手を入れて、馬鈴薯をとり出した。それを自分の前掛の中に入れた。鼠がガサ/\と奧の方へ走つて行つた。提灯の影が眞暗な物置の天井に、圓く動いた。
「ホラ、芋だ。」
 お文は、歸つてきて、爐邊へ前掛から芋をあけた。
「芋か――くそ、うまぐねえで。」
 由はそれを仰向けに寢ながら足先で、あつちこつちへ、ごろ/\させて、惡戲した。
「ん、この罰當り!」せき[#「せき」に傍点]がその足を火箸でなぐつた。由は足をちゞめると、舌を出した。
「吉川でなんか、薩摩芋ばくつてたど。」
「今に、見てれ、その足腐つて行ぐから。」
 源吉は大きく兩腕を平行線にグツと上にのばして、あくびをした。その影が障子で、丁度鬼のやうにうつつた。
「おツかねえ。」由が首をちゞめて、その方をみた。
 源吉が振りかへつてみて、「なアんだ、馬鹿!」さう云つて、芋を二つ三つとると、爐の灰の中にいけた。
「由、あとで、燒けてから食へたえなんて云ふなよ。」
 由はワザと別な方を見て、そのまゝ身體を横へごろりところがした。
 お文はランプの下に縫ひかけの着物を持つてきた。それから自分の芋を、灰にいけた。
「寒くなつた。もう雪だべ。嫌《えや》だな、これからの北海道つて! 穴さ入つた熊みたいによ。半年以上もひと足だつて出られないんだ――嫌になる。」
「嫌だつてどうなるか、えゝ。」
「どうにもならないからよ。」
「んだら、だまツてるもんだ。」
「……」フンとしたやうに「默つてるさ――」
 由は寢ころびながら、物差をもつて、それをしのらしたり、なんだりしてゐたが、それで今度は姉の身體に惡戲し出した。初め、お文はプン/\してゐたので分らなかつた。無意識に、惡戲された處へ手をやつた。それが由には面白かつた。何度もさうした。それから首筋に物差の端をつけた。お文は今度は氣付いて、
「これ!」と云つた。
 もう一度やつた。そして、「やア、こゝに、姉の首にかた[#「かた」に傍点]がついてるど。」と云つて、そこ[#「そこ」に傍点]をつツついた。
 お文はいきなりふり向くと、物差を力まかせにとりあげてしまつた。
 爐邊に安坐をかいてゐた母親は、何時か頭を振つてゐた。ランプの光で、顏にはつきり陰がつくと、急に母親の年寄つたのが分つた。
「母《ちゝ》みたえになれば、一番えゝ。」
 お文は母の方を見て云つた。
 ランプの焔の工合で家が明るくなつたり、暗くなつたりした。表の泥濘を草鞋をはいてペチヤ/\と通る足音が聞えた。
 ねぢのゆるんだ時計が八時のところでゆつくり四つ打つた。由は爐に外ツ方を向けたまゝ眠つてしまつた。源吉は雨工合を見るために一寸表へ出てみた。
 それから源吉は自分で仕度をした。お文は仕事をしながら、時々兄を見た。
「いゝのかい?」
 が源吉はだまつてゐた。源吉はすつかり仕度が出來ると、網を背負つて家を出た。雨は降つてゐなかつた。然し暗い夜だつた。彼は何度も足を窪地に落して、不意を喰つた。そんな處は泥水がたまつてゐるので、その度に思ひツ切り泥をはねあげて、顏までかゝつた。空には星が出てゐた。遠くの方で雜木林か何かに風が當つてゐるやうな音が不氣味に絶えずしてゐた。どつちを見ても明り一つ見えなかつた。遙か東南に、地平線のあたりがかすかに極く小部分明るく思はれた。岩見澤だつた。
 彼は歩きながら、自分のこれからしてのけようと思つてゐることを考へてゐた。源吉は何かに對して「畜生!」と獨りで云つた。彼は何べん[#「何べん」に傍点]もツバをはいた。じつ[#「じつ」に傍点]としてゐられない氣持だつた。そして、何んか、かう、自分の歩いてゐることが齒がゆくてたまらなかつた。「畜生!」道が曲つてゐた。
 そこを曲ると、二町程先きに明りが見えた。小さい窓からのランプの明りだつた。と、七、八間後の草ムラが、急にザアーと鳴つた、かと思ふと、雨が降つてきた。忽ち一面、彼の前も後も横も雨の音で包まれてしまつた。小さい窓の明りのところだけ、四角に限つて、雨脚が見えた。源吉が、その家の側に行くと、暗がりで、急に、犬ののど[#「のど」に傍点]をうならせてゐる聲をきいた。彼はひよいと思ひ出して、犬の名を、その方へ見當をつけて、ひくゝ呼んでみた。すると、それが止んで、足にもの[#「もの」に傍点]が當つた、犬が今度は彼の足にまつはりついて來たのだつた。彼は二、三度犬の名を云つた。
 雨のふる音が少し薄くなつたと思ふと、だん/\やんできた。じつとしてゐると、その雨の音が、西の方からやんできて、今では
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