に傍点]の前にしやがんで火をプウ/\吹いてゐた。髮の毛がモシヤ/\となつて、眼に煙が入る度に前掛でこすつた。薄暗い煙のなかでは、せき[#「せき」に傍点]は人間ではない何か別な「生き物」が這ひつくばつてゐるやうに思はれた。へつつひの火でその顏の半面だけがめら/\光つて見えるのが、又なほ凄かつた。由が入つてくると、
「早ぐ、ランプばつけれ!」と云つた。
由は煙《けむ》いのと、何時ものむしやくしやで、半分泣きながら上つて行つて、戸棚の上からランプを下した。涙や鼻水が後から後から出た。ランプの臺を振つてみると、石油が入つてゐなかつた。
「母《ちゝ》、油ねえど。」
「阿呆、ねがつたら、隣りさ行《え》つてくるべ、糞たれ。」
「じえんこ(錢)は?」
「兄がら貰つて行《え》け。」
「――隣りの犬《えぬ》おつかねえでえ。」
由はランプの臺を持つたまゝ、母親の後にウロ/\して立つてゐた。
せき[#「せき」に傍点]は臺所にあげてあるザルの米を、釜の中に入れた。
「行《え》げたら、行げ。」
由は、なぐられると思つて外へ出た。
「兄――!」さう呼んでみた。
それから裏口に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りながら、もう一度「兄――」と呼んだ。源吉は裏の入口の側で茶色のした[#「した」に傍点]網を直してゐた。きまつた間隔を置いておもり[#「おもり」に傍点]を網につけてゐた。
「兄、じえんこ[#「じえんこ」に傍点]――油ば貰つてくるんだ。」
源吉はだまつて、腰のポケツトから十錢一枚出して渡した。由は一寸立ち止つて、兄のしてゐることを見てゐた。
「兄、あのなあ道廳の人《しと》來てるツて、入江の房|云《え》つてたど。」
「何時《えつ》。」
「さつき、學校でよ。」
「何處さ泊つてるんだ?」
「知《す》らない。――」
「馬鹿。」源吉は一寸身體をゆすつた。
「房どこで、んだから、網かくしたツて云《え》つてだど。――兄、こゝさ道廳の人でも來てみれ、これだど。」由は、後に手を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]はしてみせた。
「――馬鹿。――行《え》け、行《え》け!」
由が行つてしまふと、源吉は、獨りでにやりと笑つた。それから幅の廣い、厚い肩をゆすつて笑つた。
日が暮れ出すと、風が少し強くなつてきた。そして寒くなつてきた。一寸眼さへ上げれば、限りなく廣がつてゐる平原と、地平線が見えた。その廣大な平原一面が暗くなつて、折り重なつた雲がどん/\流れてゐた。
暗くなつてから、源吉は兩手で着物の前についたゴミを拂ひ落しながら家の中に入つてきた。由はランプの下に腹這ひになつて、二、三枚位しかくつついてゐない繪本の雜誌をあつちこつちひつくりかへして見てゐた。
「姉《ねね》、ここば讀んでけれや。」
由がさう云つて、爐邊で足袋を刺してゐた姉の袖を引つ張つた。
「馬鹿!」姉は自分の指を口にもつて行つて、吸つた。「馬鹿、針ば手にさしてしまつたんでないか。」
「なあ、姉《ねね》、この犬どうなるんだ。」
「姉《ねね》に分らなえよ。」
「よオ、――」
「うるさいつて。」
「んだら、いたづらするど。」
源吉が上り端で足を洗ひながら、お文に、
「吉村の勝|居《え》たか?」ときいた。
お文は顏をあげて兄の方を見たが、一寸だまつた。「何《なん》しただ?」
源吉も次を云はなかつた。
「居《え》だつたよ。」それからお文がさう云つた。
「んか……何んか云つてながつたか。」
「何んも。」
「何んも? ……今晩どこさも行くつて云つてなかつたべ。」
「知らない。」
源吉は上に上ると、爐邊に安坐をかいて坐つた。家の中は長い年の間の焚火のために、天井と云はず、羽目板と云はず、何處も眞黒になつて、テカ/\光つてゐた。天井からは長い煤がいくつも下つてゐて、それが火勢や、風で、フラ/\搖れてゐた。
臺所は土間になつて居り、それがすぐ馬小屋に續いてゐた。だから何時でも馬小屋の匂ひが家に直接《ぢか》に入つてきた。夏など、それが熟れて、ムン/\した。馬小屋の大きな蠅が、澤山かたまつて飛んで來た。――馬が時々ひくゝいなゝいた。羽目板に身體をすりつける音や、前足でゴツ/\と板をかく音がした。
家の中にはまんなかにたつた一つのランプが點つてゐた。そのランプ自身の影が、丸太で組んである天井の梁に映つてゐた。ランプが動く度に影がユラ/\搖れた。
母親のせき[#「せき」に傍点]はテーブルを持ち出しながら、
「源《げん》、お前え何んか勝《かツ》さんに用でもあるのか?」ときいた。
「何んも。」
「網の相手そんだら誰だ。」
「ん……誰でもえゝ。」
「道廳の役人が來てるツて聞いたで。えゝか。」
源吉は肩を一寸動かして、「役人か……」さう云つて笑つた。
「なア兄、この犬どうするんだ。」
由が今度は繪
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