つたりしたらわや[#「わや」に傍点]だど。」
「……なんだ、おつかなくでもなつたんか。」
「…………」
「どうした?」
「あんまりよくねえ。」
「馬鹿ツ、元氣出すんだ。」
一寸した林の中に二人は入つた。梢越しに、空が見えた。雲が黒い、細い枝の上の頂上をかすめて、飛んでゆくやうに見えた。枝がゆれて、互に打ち當るそれ/″\の音が一緒になつて、變な凄味のあるうなり[#「うなり」に傍点]がしてゐた。そして半町も行かないうちに、心持眼下に、石狩川の川面が見えた。秋の末の、荒模樣の暗い夜に、その川面が、鈍い、然し、底氣味の惡い光をもつて流れてゐた。石狩川は晝でも、あまり氣持はよくなかつた。川の中央《まんなか》頃には二つも三つも、水が少しの音もたてずに渦を卷いてゐた。棒切れとか、紙屑のやうなものが流れてくる。すると、その渦卷のところで、グル/\行つたり來たりする、と、何かゞ川底にゐて、丁度ひつぱりこむやうに、その木屑などが渦卷の中に「吸ひこまれて」しまふ。それ等は晝でもいゝ氣持がしなかつた。勝は、今、眼下に、その音をせず、變んに底氣味のわるい石狩川を見た、身體が瞬間ブルンと顫はさつた。
「渡船場だべ、こゝ?」
勝は源吉との距離をつめて、きいた。
二人は川岸に下りた。源吉は岸につないである小舟に背の荷物を、どしんと投げてやつた。それから舟の端に腰をかけて、一寸の間、四圍《あたり》を見てゐた。
「オイ、勝、お前なんか大きな聲で、唄ば歌へや。」源吉は煙草を出しながら云つた。
勝は、變に思つて、きゝかへした。
「なんでもえゝんだ。――まア、先に俺一つ歌ふかなア。――なんでも、大ツきな聲でだ。」
[#ここから2字下げ]
スツトトン、スツトトンと通《かよ》はせてえ――と、
今更ら嫌《え》やとは、それア無理よ、――だ、
嫌やなら、嫌ぢやと最初からア――と、
云《え》えば、ストトンと通やせぬ――と、
スツトトン、スツトトン
[#ここで字下げ終わり]
源吉は、しやがれた聲を、突調子もなく大きく張りあげて歌つた。それがちつとも反響もしないで、ぶつきら棒に消えてしまつた。勝は、氣味わるく、むしろキヨトンとしてゐた。
「どうしたんだ?」
源吉は、急に笑ひ出した。大きな身體をゆすつて、無遠慮に大きく笑つた。
「うん?」
笑ひをやめない。
「オイ、よせよ。」
勝は顏をしかめて、哀願でもするやうに立つてゐた。
「ハヽヽヽヽヽヽ。」
それから、「もう一つ歌ふど。」と云つた。
[#ここから2字下げ]
鳥も通はぬう……うーう
(あ、聲が出ない。と云つて、)
花――ア櫻木イ――
人はア――ア武士――か。
[#ここで字下げ終わり]
源吉は途中で止《よ》すと、勝をうながして、今來た道をもどつた。半町位來て又林の中に入つた。それから、源吉は立ちどまると、
「しばらく、かうやつてるんだ。」と云つて、源吉は耳をすまして、四圍に氣をつけながらじつとしてゐた。二十分も二人はさうしてゐた。
「よし/\、大丈夫。」さう云ふと、「さあ、行《え》くべ。」
又二人は舟のところまで下りて行つた。そして、「乘るべし。」と云つた。
源吉は勝をのせると、力を入れた、舟を川の眞ん中に押し出し、うまく、その瞬間ひよいと舟の後に飛びのつた。そのはずみに、舟のへようし[#「へようし」に傍点]が、いきり立つた馬の首のやうに立ち上つた。そして舟がぐら/\ツとゆれた。
「なんだか、糞も分らねよ。」勝は源吉が網の上に身體を下すとさう云つた。
「んか。なんでもねえよ。役人がゐるかと思つてちよいとやつてみたのさ。お前え、初めだから分らねんだ。みんなあやつて、すんだ。」
さう云つて、「これから、その代り、おとなしくするんだ。」
勝は身體が顫へてどうにもならなかつた。勝は内心源吉と一緒に來たことを後悔し出してゐた。石狩川には「主」がゐる、と云はれてゐた。舟もろとも、渦卷の中にグル/\卷きこまれる。さういふ感じがしてならなかつた。とにかく、晝、それはきつと馬鹿らしい話か知れないが、今、勝にはそんな事は問題でなかつた。事實、どういふ理由か分らないが、石狩川に入つて死んだ人は、決してその死體が上らなかつた。川は夜の海より氣味が惡かつた。今にも水から、「突如」何か出さうで、――出さうでならなかつた。舟は或ひはとも[#「とも」に傍点]が先きになつたり、めおし[#「めおし」に傍点]が先きになつたりして流されて行つた。舟底で、ペチヤ/\と水が當る音がした。兩側は黒く、高くなつてゐるところは切りとつた斷崖のやうになつてゐた。又、すぐずウと地平線が見える程低いところもあつた。川岸まで林が來てゐて、それが風をうけて、搖れてゐた。その下の水は眞暗になつて、そこを舟が通ると、今まで水のかすかな光の反射で見えてゐたお互の顏
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