ものになつてゐた。百姓達はいくら警察の拷問で、ビク/\してゐると云つても、如何に彼等が自分達を苦しめるものであるか、といふことが、骨の心《しん》までもしみ入つてゐた。それは間違ひなくさうだつた。だから、意志の強いものが、嫌應なしに、グン/\――グン/\その氣持をつツついて行つたら、今度百姓達は自分達の命である畑のことで、極めて不安な立場にも置かれてゐるのだから、又――そして而も前よりはモツト強く立ち上ることが出來る可能性があるやうに思はれた。「幹部」が居なくなつた今、初め源吉は、自分がそれを引きうけて、やつてみようと思つたのだつた。それがうまく[#「うまく」に傍点]行けば、それこそ素晴しいものだつた。さうなれば、源吉は、自分なら、あんなヘマ[#「ヘマ」に傍点]な、そしてあんな生ヌルイ[#「ヌルイ」に傍点]ことはしないぞ、と思つた。氣持は、この前のがきまる時からだつた。地主の家を燒打ちでもして、他人の血で肥つたまるで虱のやうな――いや、「虱そのまゝ」の彼奴等を、なぶり殺してやる!
源吉はそれを――さうならせる迄、然し、待つてゐられなかつた。勿論さうなれば、自分一人でやるよりは、もつときゝめ[#「きゝめ」に傍点]があることは分つてゐた。が、この場合、源吉の氣持としては、さうする事さへはがゆ[#「はがゆ」に傍点]かつた。嚴密に云つて、源吉は、どうなる、など、さう先のことは考へなかつた。それよりも亦、自分のしようと思つてゐることさへ、出來るものか、どうかさへ分らずに、やつてのけようとしてゐたのだ。それは、この前の、鮭の密漁をした時、皆が二ヶ月も三ヶ月も魚を食へもせずに、モグ/\やつてゐたとき、源吉はそんなのにお構ひなしにさつさと自分でやつてのけた、それと同じだつた。「親父とお芳の遺言と、俺の考へ――この三つでやるんだ。」
然し、一方、源吉は自分のすることが、さう無駄であるとは思はなかつた。かへつて、自分の思ひ切つたことが、闇にゐる牛のやうにのろい[#「のろい」に傍点]百姓にキツト[#「キツト」に傍点]何か、グアンとやるだらう、そしたら、それが、口火のやうになつて、皆が案外かへつて[#「かへつて」に傍点]手ツ取早く、一緒になつて、ヤレツ、ヤレツ※[#感嘆符二つ、1−8−75] と鍬と鎌をもつて立ち上る! さうなれば、まんまと、畑は俺達百姓の手に、もぎ取れるやうになるかも知れないぞ。――源吉はそんな事まで想像した。然し、何より、憎い! 畜生、待つてゐやがれツ、源吉はまだすつかりハレ[#「ハレ」に傍点]の引かない痛みの殘つてゐる頬や身體をさすりながら、叫んだ。
その晩、源吉は、ドロツプスの罐程の石油罐に石油をつめ、それを、ボロ/\になつた座布團で包んで、外へ出た。母親には、今度皮はぎに朝里の山に入ることゝ、春の鰊場のことで、石田へ相談に行つて來る、と云つて置いた。外は星もない暗い夜だつた。雪道がカン/\に凍つてゐた。源吉は身體が、さうせまいと思つても、小刻みに顫へてゐた。ひよいとすると、獨りで齒がカチ/\と打ち當つてなつた。源吉は道を急いだ。然し、歩いてゐるといふことが、水落ち[#「水落ち」に傍点]のあたりが變にくすぐつたくなつて、じつとしてゐられない程齒がゆく思はれた。しまひに源吉は小走りに走り出してしまつた。凍つてゐた空氣が兩方に分れて、後へ流れて行つた。もうどつちを向いても何んにもない處に出てゐた。何時のまにか、源吉は普通の速さにかへつてゐた。振りかへつてみると、灯りが二つ三つ暗い原ツぱにチカ/\今にも消えさうに、頼りなく光つて見えた。源吉は又ひよいと思ひついたやうに、走り出した。呼吸がはげしくなると冷たい空氣で、鼻穴がキン/\してきた。一寸すると源吉は又歩いてゐた。
夜道では誰にも會はなかつた。
「停車場のある町」の電燈の光が、ずウと前方の黒い幕のやうな闇に文字通り點々と見える所まで來たとき、フト源吉は、立ち止つた。何かにグイと立ち向ふやうな氣持の張り[#「張り」に傍点]を感じた。
町に入ると、源吉は用心深く、本通りでなく、家の裏、裏と歩いて行つた。町の通りは誰も、もう歩いてゐるものがなかつた。大抵の家は、電燈を消してゐた。雪がつもつて馬の背のやうになつた狹いデコボコ道を、源吉は注意深く歩いて行つた。時々、戸がガラ/\ツと開いた。それが靜まり返つた平野の町に、思つたより高く響きかへつた。源吉は何度もその音でギヨツとした。
誰か、大きな聲で叫びながら、町の通りを、周章てゝ、走つて行つた。二、三軒の家の表戸がガラ/\と開いた。
「何んだべ。」と、隣り同志が、丹前の前を抑へながら、きゝ合つた。急に町がやかましくなつた。と思ふと、
「火事だ! 火事だ!」と叫びながら、停車場の方へ、二、三人走つて行つた。
表に立つてゐた町の人
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