達が一齊に、そつちを見た。暗い空が、心持明るかつた。が、瞬き一つする間に、高さが一丈もある火の柱がフキ[#「フキ」に傍点]上つた。バチ/\と燒けあがる火の音が聞えてきた。見てゐるうちに、町中の、家と云はず、木と云はず、それ等の片側だけが、搖めく光をあびて、眞赤になつて、明暗がくつきりとついた。町を走つてゆく人の殺氣だつた顏が一つ一つ、赤インキをブチかけたやうに見えた。
町中の人が皆家から外へ飛び出してゐた。女や子供は、齒をガタ/\いはせて、互に肩を合はせながら立つて見てゐた。
「何處だらう。」
「さあ。――停車場だらうか。」
「停車場なら、方角が異ふよ。もうちよつと右寄りだ。」
「何處だべ。」向側の家の人に言葉をかけた。
「地主でないかな。」
「んだかも、知れない。――」
「まあ/\。」
走つてゆく人に、きくと、
「地主だ、地主だ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」と、大聲でどなつて行つた。
「地主だら放つておけや。」誰かゞ、ひくい聲で云つた。
「たゝられたんだ。」
「んだべよ。」
「――放け火でねえか。」思はず大聲で云つたものがあつた。
一寸だまつた。
「さあ、大變なことになるべ。」
急に、皆の頭の上で、毀れたやうな音をたてゝ、半鐘がすりばんでなり出した。それが空中に反響して、不氣味な凄味で、人達の背中に寒氣を起さした。
地主の家は停車場からは離れてゐた。が、その邊は、ヂリ/\とこげる程熱くなつて、白い眩光を發しながら燃えてゐるので、消防の人や、立つて見てゐる人達の顏の皺一本、ひげ一本までもはつきり見分けがついた。
汽車が構内に入つてくる度に、警笛を長くならした。それが何か生物の不吉な斷末魔の悲鳴のやうに聞えた。地主の家は、立派な金をかけた建物なために、俗つぽい、腐れかゝつた町の家などゝ軒を並べるのを潔ぎよしとしないとあつて、とくに町並から離して建てられてあるために、――それに風もなかつたので、他に火が延びるといふ心配はなかつた。
消防をしてゐる人達は、あまり火足が早かつたので、家のものは全部燒け死んだんではないか、――誰も出た形跡がない、と云つてゐた。
この前、北濱村の小作人から取上げた雜穀などの、ぎつしりつまつてゐた倉が燒け落ちるとき、皆は思はず、聲をあげた。物凄い音を立てゝ、崩れ落ちると、そこからムク/\と、火の子と惡魔のやうな煙が太ぶとしく空へ渦をまいて、上つた。
凍つた川から引いてくる水ではどうにもならなかつた。消防の人や青年團が、怒鳴つたりしては、あつちこつち、提灯をふりかざして走り※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてゐた。
「もう半分以上も燒けて、どうにもならなくなつてしまつた頃、家の中から、まるで聞いたゞけでも、身震ひするやうな、それア、それア――何んとも云はれないやうな叫び聲がきこえてゐたつて! ――その人、耳に殘つて耳に殘つて困るつて云つてたの。鷄でもしめ殺されるやうな、のどから血を出しながらしぼつてるつて聲だつて。」
女の人が、ヒソ/\並んで立つてゐた知合ひらしい人にささやいてゐた。
「たゝられたんだ、きつと。」
相手はもつと低い聲でさう云つた。それから二人ともだまつた。
源吉は誰にも氣付かれずに、防雪林が鐵道沿線に添つて並んでゐるところまで、走つてきた。防雪林の片側が火事の光を反射して明るくなつてゐた。振りかへつてみると、空一杯が赤く染つてゐた。現場の手前の家やその屋根の上に立つて、何やら手を振つてゐる人や、電柱などが一つ一つ黒く、はつきり見えた。そこで騷いでゐる人達の叫び聲などが、何かの拍子に、手にとるやうに、間近かに聞えたりした。半鐘は、プウーン、プウーン、とかすかに、うなつてゐるやうに聞えた。
「まだ足りねえや。」
源吉は獨言をすると、今度はしつかりした足取りで、暗い石狩平野の雪道を歩き出した。
「まだ足りねえぞ、畜生!」
[#地から2字上げ](一九二八・四・二六)
底本:「防雪林・不在地主」岩波文庫、岩波書店
1953(昭和28)年6月25日第1刷発行
1959(昭和34)年2月15日第5刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※底本では「それから、勝が裏口にまはつた。〜瞬間、なつたのを感じた。」の行が天付きになっています。
※「銭」と「錢」の混在は底本通りです。
入力:山本洋一
校正:林 幸雄、小林繁雄
2006年7月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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