ひを感じた。額に油汗がネト/\に出てきた。お芳は額を腕の上にのせた。お芳はしばらくさうしてゐた。痛みはちつとも止まりさうでもなく、その滿ちひきの重なる度に、一つは一つと、痛みがひどくなつて行つた。
「あツ[#「あツ」は底本では「あッ」]――うん、うん――うん、」お芳は腰から下の感覺が、しびれてしまつて、思はず、そこへ坐つてしまつた。腹の中で胎兒が動くのがはつきり分つた。瞬間、豫感が來た。お芳はハツと思ふと、夢中で、ゐざりのやうに臺所を這つた。ひどい痛みのために、黒瞳が變にひきつツて、お芳には、自分のそばが何が何やら見えなかつた。
「あツ痛、――うん――あツ痛、」お芳は齒をギリ/\かみながら、ケイレンでも起したやうになつた。臺所の土間から續いてゐる納屋の方へ這つて行つた。
納屋の中は暗かつた。藁が澤山積まさつてゐる甘酸つぱい匂ひや、馬鈴薯や、豆類の匂ひや、澤庵漬や鰊漬の腐つたやうな便所くさい臭ひが、ごつちやになつて、お芳にはハキ氣がしてきた。鼠がすぐ側から藁をガサ/\いはせて走つてゆくのを、お芳は感覺の何處かで、ひよいと感じた。お芳は、放り出された毛蟲のやうに、身體をまん圓にして、痛みがうすらいでくるのを待つてゐた。色々な今までのことが考へられた。それ等がグル/\と頭の中を慌しくまはつて行つた。
しばらく經つてから、町からお芳の兄と嫂が提灯をつけて、雪の夜道を歸つてきた。家の戸口が半開きになつたまゝ、うちには誰もゐなかつた。父親がお通夜に行つてゐたのは知つてゐた。お芳がゐる筈だつた。嫂はチエツと舌打ちすると、仕樣がないな、といふ顏をした。九時頃になつて、父親が歸つてきた。
「お芳どうした。」
「七時頃歸つたときから、居ない。」
「七時頃――」
三人とも急に[#「急に」に傍点]不安になつた。皆は家中を探がした。それから提灯に火を入れて、三人で便所を探がしたり、うま屋を探がした。居なかつた。嫂は寒さと變な豫感から齒をカタ/\いはせながら、二人の後に身體をすりつけるやうにしてゐた。
納屋の戸をあける時、もうそこより殘つてゐる所がないので、三人が妙に心に寒氣をゾツと感じた。戸をあけて、提灯を土間の方へ、さしのべて見た。光の輪が床に落ちた。ゐない。漬物樽や藁などが重なり合つてゐた。
「もう少し奧かな。」
父親がさう云つて、納屋に入つたとき、何か重い、つり下つてゐるやうな、そして柔味のあるものに頭を打つつけた。
「あツ!」彼はものも云はずにいきなり横つ面をなぐられた人のやうに、棒立ちになつた。提灯を土間の方ばかり照らしてゐたので、空間の半分から上は分らなかつた。三人は一かたまりになつたまゝ誰かに力一杯押しもどされたやうに、戸の外へよろ/\ツと出た。
兄と嫂は近所の家に息を切らして走つた。そして又その家の人から他の家に知らしてもらつた。一寸して、十二、三人の村の人が集つてきた。
源吉も來てゐた。皆口々に何か云ひながら、提灯を澤山つけて納屋に入つて行つた。
お芳は入口の少し入つた所に、首を縊つて、下つてゐた。さつき父親が打ち當つたゝめか、ぶら下つてゐる身體が、その充分の重みをもつて空中でゆるく、その垂直の軸のまはりを、右へ左へと眼につかない程の圓轉を描いて搖れてゐた。
各自口を抑へ、提灯だけを差しのべて見てゐた百姓達に、そのかすかに動いてゐるといふ事が不氣味さを誘つた。お芳の顏色は紫色になつて、變にゆがんでゐた。身體には藁くづが澤山ついてゐた。
後で家の中をさがしたとき、前に書いて用意をして置いたらしい遺書が二通出てきた。一つは親、一つは源吉に宛てたものだつた。あとはいくら探がしてもない事は意外であつた。お芳は自分の關係した大學生には遺書をのこして行つてゐなかつた。それをきいたとき、源吉はぐいと心を何かに握られたやうに思つた。
――自分は金持を憎んで、憎んで、憎んで死ぬ。……自分は生きてゐて、その金持らに、飽きる程復讐しなければ死に切れない、さう思つたこともあつた。そして、それが本當だ、と思ふ。が、自分は女であり、(それだけなら差支へないが)女の中で一番やくざな、裏切りものである。それが出來さうもない。自分は、貴方と一緒になつてゐたら、どんなに幸福であつたか、と、今更自分のあやまつた、汚い根性を責めてゐる。――そして、最後に、自分は、札幌の大學生には、ツバをひつかけて死ぬ。と書いてあつた。
お芳も[#「お芳も」に傍点]矢張り俺達と同じだつたんだ、――だまされるのは、何時だつて、外れツこなく俺達ばかりだ! ――源吉はさう思ふと、身體中がヂリ/\と興奮してくるのを覺えた。
十
源吉はいよ[#「いよ」に傍点]/\やらう、と思つた。それは警察の事件と、今度のお芳の縊死で、前にさうと考へてゐたのより、もつと根強い
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