しい、「覺えてろ!」源吉は齒をギリ[#「ギリ」に傍点]/\かんだ。彼は何かに醉拂つたやうに、夢中になつてゐた。

      九

 源吉は村に歸つてから二日寢た。
 村は雪の中のあちこちに置き捨てにされた塵芥箱のやうに、意氣地なく寂れてしまつたやうに見えた。鳶に油揚げをさらはれた後のやうに、皆ポカーンとしてしまつた。源吉は寢ながら、然し寢てゐられない氣持で、興奮してゐた。母親が、源吉の枕もとに飯を持つてきて、何時もの泣言交りの愚痴をクド/\してから、フト思ひついたやうに、
「お芳が來てゐたで。」と云つた。
「あつたら奴、ブツ殺してしまへばえゝんだ。」顏も動かさずに、ぶつきら棒に云つた。
「何んだか、お前えに話してえことあるてたど。すつかりやつれてよ。青ツぷくれになつてな。ヒヨロ/\してるんだど。」
「金持のなまツ白い息子さおべツかつくえんた奴だ――!」
「こゝさ來て話すのも、戸口さ手で身體ばおさへてねば駄目だ位だんだ。」
 母親がそれからお芳のことをボツリ/\云つた。――お芳は、まだ然し大學生からの手紙をあきらめ切つてはゐなかつた。夢の中で手紙が配達されて、思はず聲をあげ、その自分の聲で眼をさましたりする事があつた。然し今では、その手紙を待つてゐる氣持が前とはだん/\異つてきてゐた。前は、その男がやつぱり戀しかつた。それが何より一番だつた。それでその[#「その」に傍点]手紙を待つてゐた。が、男から手紙がどうしても來ないといふことが分ると、今度はいくら藥をのんでも、おまじなひ[#「おまじなひ」に傍点]をしても墮りない、どうしても生れて來ようとしてゐる子供のために、男の手紙を待つやうになつてゐたのだつた。
 お芳はあの體で一生懸命働いた。時々陣痛が起ると、物置に走つて行つて、そこで、エビ[#「エビ」に傍点]のやうにまんまる[#「まんまる」に傍点]にまるまつてうなつた。それは前に、家の中で突然陣痛がきたので、お芳は腹を抑へたまゝ、そこにうつぶせになつてうなつた、その時「この恥さらし」と、嫂に云はれたことがあつたからだつた。働いてゐながら、めまひ[#「めまひ」に傍点]が起ることもあつた。突然家の中がゆがんだまゝ、グウツと眼の前につり上つてみえた。そしてクラ/\ツと來た。自分でごはんの仕度をして、それがすつかり出來上つてならんでしまふと、お芳は家の隅ツこの方に坐つて、じいとしてゐた。そして皆がたべてしまつて、餘れば――餘りがあれば、コソ/\自分で今度はたべた。
 寒い日だつた。お芳が仕事の手をフト置いて、ぼんやり考へこんでゐた。その時表から嫂が、手桶に一杯水をくんで入つてきた。寒中に水を汲みに行くのは、相當つらい仕事だつた。ところが入つてきて、お芳が何かぽかーんとしてゐたのを嫂が見た。
「えゝ、この穀つぶしの淫だら女《め》。」いきなり、お芳の體に、ひしやくで水をぶツかけた。
「何するツ!」お芳はカツとして、向き直つた。
「ふにやけた體して、それで働きの足しになれるか。穀つぶし。」
 ……源吉は、お芳が話して行つたことを聞きながら、逆に憎惡をもつて、そんなことで、まだまだ足りないぞ! と思つてゐた。今までのお芳に對するどんな氣持もフツ飛んでしまつてゐた。
「んで、俺に?」
「何時くるべかツて云つてだ。分かねツて云つたらなんも云はなえで歸つて行つた。」
 お芳から先だ! 源吉はまだ自分の顏が、自分のものでないやうに、はれ上つてゐる痛みを感じながら、一途にさう考へた。人もあらうに俺達のあの敵に身體を賣つた裏切者だ! あの女郎《めらう》、眞裸にして、逆さにつり下げ、飴ん棒のやうにねぢり殺してやれ! こいつから先だ!

 二、三日した。
 今度の事件で、地主が普段生意氣な百姓の畑を取りあげてしまふ、といふ噂が村中に立つてきた。差配がそれを云つて歩いてゐるらしかつた。一度とてつもなく打《ぶ》ちのめされて、ウロ/\してゐる百姓達はビク/\に、一日一日を送つて行かなければならなかつた。勿論百姓達が土地を取上げられては、生きるか死ぬかの問題であつた。それに對して、本當に結束を固めて、地主に當らなければならない事であつた。然し、「幹部」を取られてしまひ、殘虐な仕打ちにあつては、百姓達はもう手も足も出ない形だつた。
 お芳が薄暗い臺所に立つて、茶碗を洗つてゐた。家には、町へ出て行つたり、近所の通夜で誰もゐなかつた。
「お通夜さ行《え》げば、お前の噂で、顏が狹くなる。」出しなに父親が云つた事を、お芳が考へてゐた。
「あ、痛た。」お芳は思はず息をのんで、顏に力を入れると、口をゆがめた。又、と思ふと、情ない氣がした。お芳は茶碗を洗ふ手をやめて、臺所の端につかまると、腰をゆがめて、ウン/\うなりながら、こらへてゐた。間をおいて、痛みが襲つてくる度に、クラ/\と目ま
前へ 次へ
全35ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小林 多喜二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング