先きに立つてゐた百姓の二、三人が「あツ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」と、一緒に叫んだ。そして、急に[#「急に」に傍点]馬を止めた。後からの馬は、はずみを食つて、前の馬橇に前足を打つた。後から、「どうした、どうした」「やれ/\!」皆が馬橇の上でのめつたり、雪やぶにとび出したりして、前を見ながら叫んだ。
「大變だ! 巡査だ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
「えツ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」皆、ギヨツ! として、瞬間、だんまりの表情人形のやうに、立ちすくんで、前方を見た。――巡査だ! たしかに巡査だつた。
 だが、巡査とは! 百姓は巡査にはなれてゐなかつた。文字通りだじ/\になつて、何が何やら分らずにゐるうちに、手もなく巡査に兩側を守られて、十三人の百姓は警察に連れられて行つた。警察には幹部の百姓も連れて來られてゐた。地主が皆の入つてくるのを見ると、椅子に坐つたまゝ、大聲で笑ひ出した。その夜まで皆は、ブル/\震ひながら、駐在所の後の小さい室に押しこめられてゐた。巡査が三人もついてゐるので、お互が一言も話すことが出來なかつた。表からは、何頭もの馬のいなゝきや足がき[#「足がき」に傍点]が聞えてくることがあつた。皆は兩腕をはすがひに深く懷につツこんで、顎を胸にうづめ、鷺のやうに交る/\片足で立つて、片足は他の片足の脛や股にくつつけ、寒さのために爪先などが感覺のなくなるのを防いだりした。
 一人々々、そこから呼び出されて、取調べられた。ドアー越しに、ピシリ/\と平手でなぐりつける音や、大きな身體がどつかへ投げられたやうな、肉が直接《ぢか》にぶち當る變に鈍い、音が、はつきり聞えてきた。低くうなるのや、鼠でもふみつけられたやうな叫聲なども聞えた。その度に、皆は思はず息をのんだ。だが、然したゞ不安な眼差しを、互ひに交はすことしか出來なかつた。荒々しく戸が開くと、よろ/\になつた百姓が、つツ飛ばされるやうに、のめつて入つてきた。
 鼻血を出し、それが顏一杯についてゐて、鐵道線路の轢死人が立ち上つてきた、といふ風にみえるものもあつた。顏一杯が紫色にはれ上つて、眼が變に上ずつてゐるのや、唇をピク/\ケイレンさせて入つてくるものもあつた。皆は次の順番のくるのを、身體を硬直させながら、反つて、妙にうつろな氣持で待つてゐた。
 源吉はいきなり――いきなり顏をなぐられた、と思つた。自分の體が瞬間ゴムマリ[#「ゴムマリ」に傍点]のやうに縮まつたのを感じた。
「貴樣、皆をけしか[#「けしか」に傍点]けたろツ!」
 源吉は反射的に、自分の頬を兩手で抑へた。と、次が來た。鼻がキーンとなると、強い藥でも嗅いだやうに感じて、――……べつたり尻もち[#「もち」に傍点]をついてゐた。眼まひがした。彼は兩手で床に手をついて、自分の身體を支へた。鼻血の生ぬるいのが、床についてゐる手の甲に、落ちてきた。
「この野郎達案外、皆強情だ! 土ん百姓の癖に生意氣しやがると――」
 側に立つてゐた巡査が、さう云ひながら、腰にさしてゐた鞘のまゝの劍をもつて、滅多打ちに、源吉をなぐりつけた。すると、二、三人の巡査もよつてきて、ふんだり、蹴つたりした。――源吉は、「夢中」になつてゐた。それから少し手をゆるめた。
「どうだ?」
 源吉は、自分でも分らなかつたが、どうしたのか、眼蓋が重たくて、はつきり開けることが出來なかつた。そして顏全體に何か粘土でもぬられてゐるやうで、自分の手で抑へても、それがちつとも顏の感覺に來なかつた。何か別なもの[#「もの」に傍点]をつかんでゐるやうだつた。
「皆をけしか[#「けしか」に傍点]けたつて白状するんだ!」
 巡査が云ふのも、何處かやつぱり一皮隔てた處から聞えてくる氣がした。
「大きな圖體しやがつて、この野郎。」
 その途端に、源吉の身體がひよいと浮き上つた。「えツ!」氣合だつた。――源吉は床に投げ出されたとき「うむ」と云つた。と見る/\肺が急激に縮まつてゆく、苦しさを感じた。そして、自分の體が床から下へそのまゝ、グツ、グツと沈んでゆくやうに感じて……が、それから分らなくなつてしまつた。
 三日間駐在所に置かれて、その暮方、十二、三人が歸つてもいゝ事になつて、表へ出された。幹部のものは札幌へ送られることになつたのでのこつた。
 皆は駐在所の角につながれてゐた、空になつた馬橇に背中を圓くして乘ると、出掛けた。なぐられたあとに、寒い風が當ると、ヒリ/\とそこが痛んだ。吹雪いてゐた。町外れに出ると、それが遠慮なく吹きまくつた。皆は外套の上に、むしろ[#「むしろ」に傍点]やゴザ[#「ゴザ」に傍点]をかぶつて、出來るだけ身體を縮めた。一臺、一臺、元氣なく暮方の、だん/\嚴しくなつてゆく寒氣の中を、鈴をならしながら歸つて行つた。誰も、何も云はなかつた。お互はお互
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