何頭來たとか、誰々だとか、一つ/\云つて母に知らせた。表の騷ぎはだん/\大きくなつて行つた。馬のいななく聲や鈴の音や、百姓達が、前や後の仲間を呼び交はすやうにしやべつてゐるのや、それ等が一つになつて、どよめき[#「どよめき」に傍点]になつて聞えた。由は、うれしがつて、窓にぴつたり顏をあてながら、一生懸命に表を見てゐた。母親は、獨言のやうに、「罰當り」とか、「ふんとに碌でなし」だとか云つた。表へは出て見なかつた。
 やがて、馬車が一齊に動き出した。鈴の音が、空氣でもそのまゝ凍えるやうな寒い空に、朗かに、しかしそれだけブルツとするほど寒さうにひゞきわたつた。それに百姓の馬をしかる聲や、革でぴしり/\打つ音や、馬のいなゝきなどが、何か物々しい、生々した、大きな事が今起らうとしてゐるやうに聞えてきた。
 何臺も何臺も過ぎて行つた。誰かゞ源吉の家に言葉をかけてゆくものがあつた。母親は、やうやく戸をあけて表へ出てみた。その時は丁度もう終りさうで、鈴木の石が、母親をみて、「やア、お婆さん、行《え》つてくるど!」と言葉をかけた。
 見ると、涯もなく廣がつてゐるたゞ雪ばかりの廣野を、何臺もの馬橇がまがりくねつてついてゐる道を、勢ひよく走つて行く一列が見えた。遠くから、その橇の調子のいゝ鈴の音が聞えてきた。時々、雪煙が、パツ/\と上つた。後の方の馬橇で先頭のが見えなくなつたかと思ふと、道が逆に曲つてゐる處にくると、その先頭の方が玩具のやうに小さく見えたりした。一列はその度毎にまるで、のびたり、ちゞんだりくねつたり、する黒い糸筋のやうに見えた。それが雪の平野だけに、はつきり目についた。そしてリン/\といふ鈴の音が、遠くに聞えたり、急に近くに聞えたりした。母親は、氣でも呑まれた人のやうに、じつと立つて、それを見てゐた。フト、自分に歸ると、「なんまんだ/\/\。」と云つた。
 停車場のある町では、幹部の百姓達が待つてゐることになつてゐた。雪道が、細くなつて續いてゐる行手に、防雪林の一列がみえ、すぐそこから電信柱や電氣柱が鉛筆を何本も立てたやうにみえ、煙草の煙程の、ストーヴの煙がシヨボ/\空に上つてゐるのが見える所迄來た。もうすぐだつた。
「どうだい、この威勢は!」
 源吉の前の房公が、振りかへつて云つた。
「うまく行くツかい?」
 源吉はあいまいな返事をした。
 どの馬も口や馬具が身體に着いてゐる處などから、石鹸泡のやうな汗をブク/\に出してゐた。舌をだらり出して、鼻穴を大きくし、やせた足を棒切れのやうに動かしてゐた。充分に食物をやつてゐない、源吉の馬などはすつかり疲れ切つて、足をひよいと雪道に深くつきさしたりすると、そのまゝ無氣力にのめりさうになつた。源吉は、もうしばらくしたら、馬を賣り飛ばすなり、どうなり、處分をしなければならないと、考へてゐた。
 十二、三臺もの馬橇が鈴を一せいに、雪の廣野に、おつぴらに響かせながら、前や後が時々呼びかはしたり、物々しく、精一杯に一散に走つてゐるうちに、それが、不思議に、こそくな百姓達の氣持を、グン/\殺バツ[#「殺バツ」に傍点]な、誰でも、なんでも來い、といふ氣持に引きずつて行つた。四十をずつと過ぎてゐる、普段はおとなしい房公さへが、
「地主の野郎、下手なごとしたら、袋たゝきだ。」さう、大聲で源吉に云つた。そして、さういふ氣勢が、云はず語らず、皆の氣持を横に、太く強く一本に結びつけてゐた。若し、彼等の前に何か邪魔ものが出たとしたら、それがどんなものであらうと、騎兵の一隊が敵陣の眞只中に飛び込んで、馬の蹄で縱横に蹴ちらすやうに、一氣にやつつけたかも知れない。――それは、誇張なくさうだつた。
 防雪林を出ると、鐵道線路の踏切があつた。
 一番先頭に立つてゐたのが、いきり立つてゐる馬の手綱を力一杯に身體を後にしのらして引きながら、踏切番に、汽車をきいた。
「馬鹿に澤山だな、どうしたんだ。汽車はまだゞ。えゝよ。」
 顏を見知つてゐた踏切番が、柄に卷いた白旗をもつて、出てきた。
「ぢや、やるよ!」
 そのために、一時とまつた馬橇が、又順に動き出した。その踏切を越すと、今度は鐵道線路に添つてついてゐる道を七、八丁行けば、それで町には入れた。「さあ、愈※[#二の字点、1−2−22]しめてかゝるんだぞ。」さういふのが、前から順次に皆に傳つてきた。
 町の入口に、七、八人の人が立つてゐるのが、眼に入つた。はつきり人は分らなかつた。が、先頭に立つてゐたのが、大きな聲で呼んだり、自分の帽子を振つて合圖をした。入口の七、八人は動かずに、こつちの方を見てゐるらしかつた。向ふには分らないのか、こつちからの合圖には、何も返事をしてゐるらしいしるしが無いやうに思はれた。
 一寸すると、それ等の人が、一度に、こつちに向つて走つてくるらしかつた。

前へ 次へ
全35ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小林 多喜二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング