「親子みんなで」に傍点]行きたいッてよ。」
「ドン百姓からばかし兵隊とりやがるんだものな。一番多いそうだ。」
「嘘か本当かな。」――阿部が云った。「こんなこと聞いたど。村長が徴兵検査に行ったもののうちで、採否の分らねえようなものに、こっそり血書[#「血書」に傍点]ばさせて、村の名誉にしようとしたって……。」
 皆一寸だまった。「へえ!」
「んかな……。」
「まさかよ。」
「俺ありそうだって思うんだ。」――阿部は何時もの癖で、自分の手の爪の先きを見ながら、隅の方でゆっくり云った。
「村長一人の考えからでもないんだ。糸をひいてる奴がいるんだ。――農村青年の思想悪化だなんて、彼奴等青くなってるんだから夢中よ。――此頃の北海タイムスや小樽新聞の農村欄ば見れ。ヤレ農村美談だ、ヤレ何々村の節婦だ、孝子だ、ヤレ何青年団の美挙だ、ヤレ何の記念事業だッて、ムキになって農村の太鼓ばたたいているんでねえか。――所が、実際の農村はどうだ。――彼奴等は死物狂いだんだ。何時迄も百姓ばジッとさせて、何時迄も勤勉に仕事ばさせて置くためには、新聞でこい、雑誌でこい、紀元節でこい、徴兵検査でこい、青年訓練所でこい、機動演習でこい、学校でこい、みんなその目当てのためにドンドン使ってしまうんだ。仲々それも一寸見は分らないようにやるんだから危いんだ。――水も洩らさない。何んにも知らない百姓は、んだからウマウマと、そのからくりに引懸かってしまうんだ。」
「面倒だて!」――伴は日焼けした顔を大げさにしかめ[#「しかめ」に傍点]た。「仲々な!」
「はがゆくてもよ、豆粒みたいによ、俺達のどこさよ、一人一人よ、殖やして来るんだな。」
「何アんでも一人じゃ脆いもんじゃ。」――畑か田のことより知らない、歯の抜けている四号の茂さんが(!)そんな事を云う。

     農民組合の荒川さん

 表で犬が吠えた。
「荒川さんだべ。」――阿部が立って行った。
「や、失敬失敬。」
 そう云って、ズックの鞄をドサリと投げ出した。痩形の、少し左の肩が怒っている二十二三の人だった。髪を長くしていた。
「ご苦労さまでしたな。」
「イヤ、イヤ。」
 荒川は上ってくると、「ヤア。」と云って、元気よく皆に頭を下げた。そして真黒に汚れた手巾で、顔から首をゴシゴシこすった。
「作は悪いね。――今年はこれア大したことになるね。」
「岸野さんがドウ出るか……。」
「どう出るかって?――」
 後《あと》は笑談のように笑いながら、
「そんなこと岸野の農場で十年も小作をしていれば、もう分ってもいい頃だろう――なア!」
 皆笑ってしまった。
 聞き易いテキパキした調子で、時々笑わせながら、色々のことを話してくれた。
 ――秋田には「青田を売る」ということがある。それは新らしい小作戦術で、立毛差押や立入禁止など喰らいそうに思うと、小作人が先手を打って、夏頃に、出穂を予想して、青田のうちに商人に売ってしまうのだった。金にして持ってしまえば、こっちのものだった。――どうだい、やってみないか、と荒川が笑談のように云った。
 近辺の農村を廻って歩いていると、農村の生活水準がだんだん下って行くのが分る。益※[#二の字点、1−2−22]下がって行く。いくら村長や警察署長が「農村の美風」をかついで、ムキになったって、食えなくなれば、どうしても地主様に「手向い」しなければならなくなる。
 それに、こうなって来ると、困るのは水呑み百姓ばかりでなしに、なまじッか十町、二十町歩位の田畑を持っている「地主」で、反当りで計算してみても、灌漑費、排水費、反別割、其他の税金、生活費用を見積ると、そこから上る六、七斗の小作料では引き合わなくなってきていた。――田に修繕を加えて、少しでも上り高を多くしようとすれば、どうしてもそれを拓殖銀行へ抵当に入れて「年賦償還」の貸付けを受けなければならない。だが、そうすれば、今度は益※[#二の字点、1−2−22]引き合わなくなる。大地主の存在がジリジリと圧迫していた。小作人より苦しんでいた。その癖、俺は地主様だという気持を、どうしても無くしない。どんなにヒッつぶれても、小作人達と同じ人間にされてたまるもんか、そう思っている。
 健の家と川を隔てて向い合っている越後から移転してきている広瀬がそれだった。――首がギリギリに廻らなくなっているのに、土地も自分のものでなくなっているのに、自分の子供が由三達と遊ぶことを嫌った。――「なんぼ成り下がったって……。」
 荒川は硫黄分でインキのように真黒になっているお茶を飲みながら、内地の農民の話をした。――内地では、小作争議で「ドンツキ」をやる。小作人が地主を無理矢理ひっぱってきて、逆さにつるして灌漑溝の水につけたり、上げたりやる。然し北海道のように、小作と一緒に村に住んでいる地主がいないので、「残念ながら、ドンツキは出来ない。」
「若しか岸野ばしたら、どうだべ。」――一人がいたずらに云った。
「岸野か、そうだな……。」
「そんな手荒なこと、なんぼ岸野さんだってな……。」
 荒川はだまってきいていた。
「あれだら、仲々我ん張るど。」
「あの面《つら》だものな!」
「そんな事……馬鹿だな……。」
「なんぼ岸野だって、こっちは兎に角人数は多いんだからな。」
「ハハハハハ、今度いくらでも実験できる時来るさ。」
 荒川は愉快に笑った。
 荒川は何時でも警察に尾行《あと》をつけられたり、何回も刑務所へブチ込まれたりしながら、この方の運動をしていた。――健もそれは聞いていた。然し、どうしてこんなに呑気そうに、愉快でいることが出来るんだろう。――健にはそれは分らなかった。
 ロシア革命前と後とで、ロシアの百姓はどういう風に変ったか、それが百姓本来の要求にどんなにピッたり合ったか。――そういう話をきくと、自分達が実際にやっている生活のことで、しかも誰もがそれと気付かなかったことが、ハッキリしてきた。
 次の朝は早いし、家が遠いので、健は中座した。
「小便たまった。」
 阿部がついでに外へ立った。
「阿部さん、俺も一生ケン命やるから、何か用でも出来たら、させてけないか。」
 健は興奮を抑え、抑え、阿部の顔を見ないで云った。――たったそれだけのことで、健は言葉が顫えそうでならなかった。
「そうか、そうか! 頼む!」
 上気した頬に、冷えた夜気が心よかった。――秋だった。歩きながら、彼は何か声を出したかった。
「待ってろ、待ってろ、俺だって!」
 何度も独言した。

     やもめの「勝」

 道路を折れると、やもめの「勝」の家だった。長い雨風で、ボロボロに腐れ切ったヨロヨロの藁小屋で、風が強いと危いので、丸太二三本を家の後へ支え棒にしていた。――四五年前に夫に死なれてから、一人で稼いでいた。それから一年に一人ずつ、お互いに少しも顔の似ていない子供を三人生んだ。誰が父親か分らなかった。――色々な男がこっそり勝の家へやってきた。勝はそれで暮しを立てていた。――村の娘等は少し年頃になると、(例えばキヌなどのように)札幌、小樽へ出て行ってしまう。自分の母親達のように、泥まみれになって、割の悪い百姓仕事をし、年を老《と》る気にはなれない。それで村の若い男は幾つになっても、仲々嫁は貰えなかった。と云って、又金を懐にしてワザワザH町まで出掛けて行くことの出来ないものは、日が暮れると、勝のところへやってきた。
 ひょいと見ると、勝の家から誰か男が出てきた。出口の幅だけの光を身体の半面にうけて、それがこっちから見えた。――武田だ! 偉いこと云って!――健は武田のそういう処を見たのが愉快でたまらなかった。
 今に見ろ、畜生!
[#改段]

    七


     七之助の手紙

 畑から帰ってくると、母親がプリプリ怒っている。
「見れでよ。切手不足だって、無《ね》え金ば六銭もふんだくられた。」
 手紙は七之助から来ていた。――健は泥足も洗わずに、炉辺へずッて行って、横になりながら封を切った。

 朝五時に起きて、六時には工場に行っている。油でヒンやりする、形の無くなった帽子をかぶり、背中を円るくし、弁当をブラ下げて出掛けて行く。俺の前や後にも、やっぱりそういう連中が元気のない恰好で急いで行く。――工場では、ボヤボヤしていられない。朝の六時から晩の五時迄、弓の弦のように心を張っていなければならない。
 俺が来てから、仲間の若い男が二人機械の中にペロペロとのまれてしまった。ローラーからは、人間が大巾の雑巾のような挽き肉になって出てきた。一人の方の女房は、それから淫売をやって、子供を育てているという評判をきいた。もう一人は青森の小作の三男だそうだ。背がゾッとする。
 工場は大きな機械の廻る音で、グヮングヮンしている。始めの一週間は家へ帰っても、耳も頭もグヮングヮンして、身体がユキユキし、新聞一枚読めなかったものだ。――俺はこのまま馬鹿になってしまうんではないか、と思った。今は慣れた。
 此前キヌと会った。キヌは岸野の経営している「ホテル」にいる。――岸野は雑穀、海産、肥料問屋、ホテル、××工場、精米株式会社を経営し、取引所会員、拓殖銀行其他の株主、商業会議所議員、市会議員をやっている。他に何千町歩という農場や牧場も持っているわけだ。
 岸野が売り残して年を越したために、検査に落ちて、どうにもならなくなった鰊粕を、俺達の農場の方へ送り込んで寄こして、それを検査品と同じ値段で売っていることは、知っている筈だ。然しあの岸野にしたら、こんな事ものの数でもない。
 キヌが云っていたが、ホテルには二十人近く女給がいる。――岸野が一週間に二度位廻って行くと、必ず自分の室から女給を呼ぶ。そして肩をもませた。皆は自分に順番のくるのをどうすることも出来ず、ただ待っているばかりだ。嫌なら出て行け、然し出て行ける「金の持っている」女なら、最初からそんな処に来る筈がない。みんな家の暮しのために、村から出てきた、云わば俺達と同じ仲間なのだ。――中には、落着いて髪を直しながら、ドアーから出てくるものもある。然し大抵外へ出るなり、ワッと泣き出してしまう。見ていられないそうだ。岸野は来る度にキマッてそうした。
 岸野が一体[#「一体」に丸傍点]どんな事をしているのか、百姓達は、ちっとも知っていない。――ここに来て、それが始めて分った。阿部さんに紹介されて来た人達は、ここで労働問題などを研究している。俺は何も分らなかったが、すすめられて出ている。出てよかった。俺は色々のことをそこで知った。
 百姓のことでは、特別に皆から聞いた。百姓というものは、今のこの世の中では何処迄行っても、――行けば行くほど惨めになるものだ、という事を知った。
 仮りに百姓が自分の田畑を持っていて、小作料を払うことも要らず、必要なものは全部自分の家でこしらえ、物を売ることも、買うこともなかったら、それは幸福かも知れない。――然しこんな処が世界の何処を探がしたって、無いこと位は分りきったことだ。
 都会にいればよく分ることだが、大工場では生活に必要な品物をドンドン作り出している。それが大洪水のように農村を目がけて、その隅々も洩らさずに流れ込んで行く。そうなって来れば、もう土間にランプを下して、縄を編んだり、着物を織ったりしていたって間に合わなくなってしまう。追ッ付くものでない。――北海道では何処だって、出稼ぎは別にして、冬の内職などするものがなくなってしまっているではないか。
 百姓は、だからどんなものでも買わなければならなくなる[#「買わなければならなくなる」に傍点]。――で、要るものは金だ。百姓が金を手に入れる道はたった一つしかない。出来上ったものを売ることだ。――ところが、世界中で一番もの[#「もの」に傍点]を下手糞に売るものは百姓だ。
 健ちゃも知っているだろうが、村で都会の商品市場がどう変化しているか、又こう変化しそうだから売るとか、売らないとか、秋にそんなことを考えて売ったりする百姓が一人でもいるか。どうして、どうしてだ。
 三年前に、青豌豆の値が天井知らずに飛
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