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│ 酒一斗 校長先生 │
│ 金三十円也 岸野殿 │
│ ビール一打 ※殿 │
│ ビール一打 吉岡殿 │
│ 手拭百本 H町長殿 │
│ 金十円也 相馬殿 │
│ 右本会設立ヲ祝シ、各位ヨリ御寄贈下サイマシ │
│ タ。 │
│ 有難ク御礼申上ゲル次第デアリマス。 │
│ 幹事 │
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[#罫内の「※」は「※[#「┐<△」、屋号を示す記号、269−下−5]」]
「ホオーッ!」
「豪儀なもんだ。矢張りな。」
「有難いもんだ。」
盃と銚子がやかましく、カチャカチャと触れ合った。
――役員や招待された人や講演した人達は、吉本管理人の宅へ引き上げた。そこで水入らずの「酒盛」を始めた。H町からは、自動車で酌婦が七、八人やってきた。――皆は夜明け近く迄騒いでいた。酌婦達はその夜帰らなかった……
阿部や健達は一足先きに表へ出た。星が高い蒼い空に、粒々にきらめいていた。出口から少し離れた暗がりで、二、三人、並んで長い小便をしていた。――側を通ると、
「オ、阿部君!」
ガラガラ声で、伴だった。健と七之助は頭を下げた。
寄ってきて、阿部に、「どうだ、この魂胆は[#「この魂胆は」に傍点]!――直ぐ、あっちさ通信頼むど。」――声を低めて云った。
健は黙って、皆の後をついて行きながら、兎に角、近いうちに阿部を訪ねてみよう、と考えていた。
[#改段]
三
節は悲しかった
「んで……?」
「……………」
節《さだ》は一言も云わなくなってしまった。
健もだまったまま歩いた。
昼のうちに熟《む》れていた田から、気持の悪いぬるい[#「ぬるい」に傍点]風が、ボー、ボー、と両頬に当って、後へ吹いて行った。歩いて行くのに従って、蛙が鳴きやみ、逆に後の方から順々に鳴き出した。
「どうした?」
「……………」
「ええ?」
「……………」
だまっている。ひょいと見ると、闇の中で白い横顔がうつむいていた。
「川の方さでも行《え》ぐか?」
「……………」
川の方へ曲がると、矢張りついてきた。悪戯をして、一寸つッついても、何時でも身体をはずませて、クックッと笑いこけるのに、顎をひいて、身体をコッ[#「コッ」に傍点]ちりさせている。女に黙られると、もうかなわなかった。――途中の家々では窓をあけて、「蚊いぶし」をやっていた。腰巻一つの女が、茣蓙の上へ、ジカにゴロゴロしているのが見える。――暑苦しい晩だった。
河堤に出る雑草を分けて行くと、細身の葉が痛く顔に当った。何処かで、ヒソヒソ声がする。――そんな組が二つも、三つもあった。二番草を終って、ここしばらく暇だった。
堤に出ると、すぐ足の下の方で、話し合っている大きな声と一緒に、ザブザブと馬を洗っているらしい音がした。踏みの悪い砂堤に足を落し、落し出鼻を廻わると、河原で焚火をしていた。――夜釣りの魚を集めているらしく、時々燃えざしを川の真中へ投げた。パチパチと火の粉を散らしながら、赤い弧を闇にくっきり引いて、河面へ落ちると、ジュンと音をたてて消えた。水にもそれが映った。
「綺麗だね。」
今度は健がだまった。そのまま沈黙が少し続くと、
「怒ったの?……」と、節が云った。
やっぱり節だ。――短い言葉に節がすっかり出ている。健は急に節がいとおしく思われた。健は怒ってでもいるように、無骨に、女の肩をグイと引き寄せると、いきなり抱きすくめた。はずみで、足元の砂がズスズスッと、めり込んだ。
節は何時ものように、歯をしめたままの堅い唇を、それでも心持ちもってきた。女の唇からは煮魚の、かすかに生臭い匂いがしていた。
「何食ってきたんだ。口ふけよ。」
節は真面目な顔をくずさずに、子供のように袖で口をぬぐった……。
二人は草を倒して敷いて、その上に腰を下した。こっちの焚火が映って、向う岸の雑木林の明暗が赤黒く、ハッキリ見えていた。
「健ちゃ、阿部さん好き?」
「……阿部さんのどこさあまり行《え》ぐなッて云いたいんだべ。」
「……………」
「んだども、ま、阿部さんや伴さんど話してみれ。始めは、それア俺だって……」
「良《え》え人だわ、二人とも。んでも……この前の会のことで、ビラば一枚一枚配って歩いたべさ。あれでさ……」
――「相互扶助会」が本当は何のために建てられ、黒幕には誰と誰がいて、表面如何にもっともらしく装っていても、裏には裏のあること、それ等の事が、「小作人よ、欺されるな。」という標題のビラにされていた。
「……あんなにしてやったのに、ビラば配るなんて恩知らずだッて、怒ってるワ。」
「誰だ?」
「……………」
「お前もだべ?――んだべ。」
「……誰でもさ。」
「こけッ!」
二人とも、かたくなに黙り込んでしまった。
「な、節ちゃ。」――調子が変っていた。「節ちゃは、あれだろう。俺、模範青年になってる方がええんだべ。」
健は節を「お前」と云ったり、「節ちゃ」と云ったりする。「節ちゃ」という時は、何か真面目なことを心に持っている時に限っていた。――節はそれを知っている。
「健ちゃだもの、滅多なことしねッて、わし[#「わし」に傍点]思ってるわ。んでも淋しいの……。皆が皆まで健ちゃば見損った、見損ったッて云うかと思えば……。」
「節ちゃ、そう云っても、岸野の農場で阿部さんや伴さんさ誰だって指一本差さねえんでねえか。」
「それアんだわ。良え人ばかりだもの……。んでも阿部さんば煙ぶたがってるわ。」
「小作で無《ね》え人はな。――俺達第一小作だからな。」
「変ったのね……。」
「模範青年の口から、そったら事聞くと思わないッてか?」
健はかえって、それで自分を嘲《あざけ》った。――「模範青年、模範青年!」
節は不意に顔を上げた。
焚火が消えると、四囲が暗く、静かになった。時々川の面で、ポチャッ――ポチャッ、と水音が立った。魚が飛び上るらしかった。
「今に分るさ……。遅くなった、帰るか、ん?」
健は腰をあげて、前をほろった。しめッぽい草の匂いが、鼻に来た。節はしばらくじッとしたままでいた。――「ん?」と、もう一度うながすと、ようやく腰を起した。
「帰るウ?」
健は雑草を分けて、歩き出した。
向うを、「ここはみ国の何百里……」の歌を口笛で吹きながら、誰か歩いて行った。
「口笛、武田でねえかな。――曲るど。見つけられたら、良《よ》え模範青年だからな。」そして大きな声で笑った。
「もう、模範青年、模範青年ッてのやめてよ。」節は悲しい声を出した。
――節は悲しかった。健と会うときは、何時でも何かの期待でウキウキする。然し自分でもハッキリ分らなかったが、何んだか物足りない気持を残して、何時でも別れていた。健の何処かに冷たさがあると思った。それが悲しかった。
村に入る角の「藪」を曲がると、その向い側の暗いところから、女が誰かに、くすぐられてでもいるらしく、息をつめてクックッと笑いこけているのが聞えた。が、二人の足音で、それがピタリとやんだ。草を掻き分ける音が続いた。
「な、節ちゃ。――此頃こんなに皆フザけてるんに、警察でなんで黙ってるか知ってるか。」
外の人は何故こう面白そうにして、夜会うんだろう。――それを今見せつけられて、節はこみ上ってくる感情を覚えた。
「地主の連中があまり厳しくしないでけれッて云ってあるんだとよ。」
無感動な男《ひと》だ、何を考えてるんだろう!――節は聞いていなかった。
「活動もあるわけでなし、そば[#「そば」に傍点]屋もなしよ、遊場もねえべ、んだから若い者が可哀相だんだとよ、どうだ?」――そう云って、自分でムフフフフフと笑った。「有難い地主さんだな……」
「ところがな、阿部さんが云うんだ。――阿部さんッてば、お前すぐ嫌な顔すべ。――阿部さんが小樽の工場にいた時なんて、工場の隅ッこさ落ちてる糸屑一本持って外さ出ても、首になったりしたもんだどもな、女工さんの腹ば手当り次第に大《で》ッかくして歩いても、そんだら黙ってるんだとよ。」
「まさか?……」
「だまって聞け。――それがな、こういう理由《わけ》だんだと。そんなのを禁ずればな、お互い気が荒くなっ……」みんな云わせないうちに、節がプッと吹き出してしまった。
「この糞ッたれ!」
健はそのまま口をつむんだ。然しすぐ又口を開いた。′
「な、仕事が苦しいべ、んだから何んかすれば直ぐ労働組合にひッかかって行くんだ。そうさせないためにするんだ――。」
「まアまア考えたもんだね。――んだら、わざわざ管理人さん達の肝入で出来た処女会[#「処女会」に傍点]はどうなるの?」
健は後向きになって、急に大きな声を出した。
「そうさ、裏が裏だから、表だけは立派にして置ぐのさ。やれ節婦だ、孝子だッておだてあげて、――抑えて置くのよ。そこア、うまいもんよ。」
「分らないわ。」
停車場のあるH町から通っている幌のガクガクした古自動車が、青白いヘッドライトを触角のように長く振りながら、一直線に村道から市街地に入ってきた。入口から、お客を呼ぶための警笛を続け様にならした。それが静かな市街地全体に響き渡った。――※[#「┐<△」、屋号を示す記号、274−上−16]の雑貨店から、ガラガラと戸を開けて周章てて誰か表へ飛び出した。
二人は市街地をよけて、畔道へ入って行った。
「だんだんこッたら事《ごと》ばかし仕《し》ていられなくなるど。」
別れる時健が云った。
節はだまって唇をかんだ。
健が家へ帰って床に入り、ウトウトしかけた頃、表のギシギシする戸が開いた。
「恵か?――又だな……。何処さ今頃迄けづ[#「けづ」に傍点]かったんだ?」
暑苦しいので寝られずにいた母親が、眼をさまして声をかけた。お恵はだまったまま上ってきた。寝床のそばで、暗がりに伊達巻を解くシュウシュウという音だけがした。
[#改段]
四
「嘘こけッ!」
同じ石狩川でも余程上流になっていたが、雑穀や米を運ぶために、稀《ま》れに発動機船がポンポンと音をさせて上ってきた。その音は日によっては、ずウと遠く迄聞えた。「ホ、発動機船だ。」何処にいる小作でも、腰をのばしながら音をきいた。
由三は村道を一散に走った。帯の結び目が横へまわって、前がはだけ、泥のはじけた汚い腹を出しながら、ムキになって走った。――発動機船の音をきいたのだ。他の子供も畔道を走ってくる、それが小さく見える。やがて村道で一緒になり、一緒に走り出した。
皆は堤の突端へ並んで腰を下ろし、足をブラブラさせた。河はくねって、音もたてず、「流れ」も見せずに流れていた。――深かった。
音はしていても、なかなか発動機船は姿を見せなかった。
そして、ひょッこり――まるっきりひょっこりと、青ペンキの姿をあらわした。青空に透きとおるような煙の輪を、ポンポン順よく吹き上げながら、心持ち身体をゆすって、進んでいるか、いないか分らない程の速さで上ってきた。艀《はしけ》を後に曳いていた。と、皆は手と足を一杯に振って、雀の子のように口をならべて、「万歳!」を叫んだ。
舵機室と機関室から、船の人が帽子を振って何か云った。皆は喜んで、又「万歳!」を叫んだ。
「な、あのバタバタッてのな。」――由三が隣りの奴の手をつかんで、自分の胸にあてた。「な、胸ドキッドキッてるべ、これと同じだんだとよ。――あれ船の心臓だとよ。俺の姉云ってたわ。」
「んか――?」
「嘘こけッ!」――三人目が首を突き出した。「あれモーターッてんだ。」
「モーター? モーターッたら、灌漑溝の吸い上げでねえか。えーえ、異うわ、覚《おべ》だ振りすなよ!」――由三は負けていない。
「んだ、んだ!」端《はし》の方
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