きりなしに笑っていた。女の話[#「女の話」に傍点]をしていた。伊達に眼鏡をかけたり、黒絹のハンカチを巻いたりしている。然し青年団の仕事や「お祭り」の仕度などでは、娘達とフザ[#「フザ」に傍点]けられるので、それ等は先きに立って、よく働いた。
子供達は「鬼」をやって、走り廻っていた。大人達を飛び越え、いきなりのめり込んだり――坐っている大人を、まるで叢のように押しわけて、夢中で騒いでいた。時々、大声で怒鳴られる。が、すぐ又キャッキャッと駈け出す。……煙草の煙がコメて、天井の中央に雲のように、層をひいていた。
「阿部さん」
「小樽さ行《え》ぐごとに決ったど。」
阿部と一緒に七之助がいて、健を見ると云った。
「工場さ入るんだ。――伯母小樽にいるしな。……んでもな、健ちゃ、俺あれだど、百姓|嫌《えや》になったとか、ひと出世したいとか、そんな積りでねえんだからな。――阿部さんどよく話したんだども、少しな考えるどこもあるんだ……」
「ん……」――健は分っていた。
「村ば出れば、案外、村が分るもんだからな。」
阿部が何時もの低い、ゆるい調子で云った。――農場で何かあると、それが子供を産んだとか、死んだとか、ということから、小作調停、小作料の交渉まで、キット皆「阿部さん」を頼んだ。足を使ってもらった。――四十を一つ、二つ越していた。荒々しい動作も、大きな声も出さない、もどかしい程温しい人だった。
何時でも唇を動かさないで、もの[#「もの」に傍点]を云った。
「阿部さんは隅ッこにいれば、一日中いたッて誰も気付かねべし、阿部さんも黙って坐ってるべ。」
――七之助がよく笑った。
村では、四人も五人も家族を抱えて働いている四、五十位の小作人の方が、遊びたい盛りのフラフラな若い者達より、生活《くらし》のことではずッと、ずッと強い気持をもっている。――小作争議の時など、農民組合で働いている若い人は別として、何処でも一番先きに立って働くのは、その年の多い小作だった。――阿部はその一人だった。
阿部は旭川の農民組合の人達が持ってくる「組合ニュース」や「無産者新聞」を、田から上った足も洗わないで、床を低く切り下げて据付けてあるストーヴに、いざり寄って読んだ。丹念に、一枚の新聞を何日もかかって、一字一字豆粒でも拾うように読んでいた。壊れた、糸でつないだ眼鏡を、その時だけかけた。
彼が畔道を、赤くなってツバの歪んだ麦稈帽子をかぶり、心持ち腰を折って、ヒョコヒョコ歩いているのを見ると、吉本管理人ではないが、「あんな奴が楯をつくなんて!」考えられなかった。
模範青年
「見れ、武田の野郎、赤い徽章ば胸さつけて、得意になって、やってる、やってる!」
七之助が演壇の方を顎でしゃくった。――阿部はだまって笑っていた。
「な、健ちゃ、青年同盟だ、相互扶助会だなんて云えば、奇妙にあのガキガキの武田と女たらしの、ニヤケ連中が赤い徽章ばつけて、走って歩くから面白いんでないか。――健ちゃみだいた模範青年やるとええにな。」
健はひょいと暗い顔をした。
「笑談だ、笑談だ! ハハハハハハ。」
――健は役場から模範青年として、表彰されていた。その頃は、まだ丈夫だった父親が「表彰状」をもって、どうしていいか自分でも分らず、家のなかをウロウロしたことを覚えている。――健も自分の努力が報いられたと思い、嬉しかった。
ところが一寸《ちょっと》経って、健と小学校が一緒だった町役場に出ている友達が、健に云った。――近頃農村青年がともすれば「過激な」考えに侵され勝ちで、土地を何百町歩も持っている地主は困りきっている。丁度村に来ていた岸野と吉岡が、町役場で、そんなことで相談したのを給仕のその友達が聞いたのだった。
「表彰でもして、――情の方から抑えつけて、喜んで働かして置かないと、飛んでもなくなる。」吉岡がそう云った。
「少し張り込んで、金箔を塗った立派な表彰状を出してさ、授与式をワザと面倒臭く、おごそかにすれば、もう彼奴等土百姓はわけもなくころり[#「ころり」に傍点]さ。」――そう云ったのが岸野だと云うのだった。
――まさか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
校長を信頼していた健が、そのことを直ぐ校長に話してみた。
「そんな馬鹿な、理窟の通らない話なんかあるものか。お前さんが親孝行だし、人一倍一生懸命に働くからさ。」と云った。――健だって、それはそうだろう、と思った。
阿部だけは、地主やその手先の役場の、とても上手《うま》い奸策だと云った。
「もう少し喰えなくなれば、模範青年ッて何んだか、よく分るえんになる。」
――皆ねたんでいる!――健はその当時は阿部に対してさえそう思った。
然し、健は、父親の身体が変になり、働きが減り、いくら働いても(不作の年でも!)それがゴソリゴソリと地主に取り上げられて行くのを見ると、もとはちっともそうでなかったのに、妙に投げやりな、底寒い気持になった。切り[#「切り」に傍点]がない、と思わさった。――「何んだい模範青年が!」――阿部の云ったことが、思い当ってきた。
それから健は、誰にでも「模範青年」と云われると、真赤になった。
「武田」
会が始まった。
「開会の辞」で武田が出た。如何にも武田らしく演壇に、兵隊人形のように直立して、演説でもするように、固ッ苦しい声で始めた。聞きなれない、面倒な熟語が、釘ッ切れのように百姓の耳朶《みみたぶ》を打った。
――……この危機にのぞみ、我々一同が力を合わせ、外、過激思想、都会の頽風と戦い、内、剛毅、相互扶助の気質を養い、もって我S村の健全なる発達を図りたい微意であるのであります。
――……なお、此度《このたび》は旭川師団より渡辺大尉殿の御来臨を辱うし、農場主側よりは吉岡幾三郎氏代理として松山省一氏、小作方よりは不肖私が出席し、ここに協力一致、挙村円満の実をあげたいと思うのであります。
七之助は聞きながら、一つ、一つ武田の演説を滑稽にひやかして、揚足をとった。
「武田の作ちゃも偉ぐなったもんだな。――悪たれ[#「悪たれ」に傍点]だったけ。」
健の前に坐っている小作だった。――「余ッ程、勉学したんだべ。」
七之助が「勉学」という言葉で、思わず、プウッ! とふき出してしまった。
「大した勉学[#「勉学」に傍点]だ。――※[#「┐<△」、屋号を示す記号、266−下−17]と地主さん喜ぶべ。円満円満、天下泰平。」
健とちがって、前から七之助にはそういう処がある。洒落《しゃれ》やひやかしが、百姓らしくなく、気持のいい程切れた。
「地主代理」
地主代理は思いがけない程子供らしい、細い声を出した。それに話しながら、何かすると、ひょいひょい鼻の側に手を上げた。それが百姓達には妙に「人物」を軽く見させた。七之助は、そら七ツ、そら十一だ、そら又、……と、数えて笑わせた。――地主と小作人は「親と子」というが、そんなに離れたものでなしに、「頭脳と手」位に緊密なもので、お互がキッチリ働いて行かなければ、この日本を養って行くべき大切な米が出来なくなってしまう。他所《よそ》では此頃よく「小作争議」のような不祥事を惹き起しているが、この村だけ[#「この村だけ」に傍点]はそんな事のないように、その意味でだけでも、この新に出来た組合が大いに働いて貰いたい。……地主代理は時々途中筋道をなくして、ウロウロしながら、そんな事を云った。
「分りました。んだら、もう少し小作料ば負けて貰いたいもんですなア――。」
誰かが滑稽に云った。――皆後を振りむいて、どッと笑った。
「佐々爺」
こういう会があると、「一杯」にありつける。何時でも、それだけが目当でくる酒好きな、東三線北四号の「佐々爺」がブツブツこぼした。
「糞も面白ぐねえ。――早く出したら、どうだべ。」
「んだよ、んだよ、な、佐々爺。」――七之助が面白がった。
「飽き飽きするでえ!」
佐々爺は何時でも冷酒を、縁のかけた汁椀についで、「なんばん」の乾《ほ》したのを噛り、噛り飲んだ。――それが一番の好物で、酔うと渋い案外透る声で、猥らな唄の所々だけを歌いながら、真直ぐな基線道路をフラフラ帰って行った。――佐々爺が寄ると、何処の家でも酒を出した。酒が生憎なかったりすると、佐々爺は子供のように、アリアリと失望を顔に表わして頼りなげに肩を振って帰って行った。
佐々爺は晩出たきり、朝迄帰らない時がある。酔払って、田の中に腐った棒杭のように埋ったきり眠っていた。探しに行ったものが揺り起しても、いい気に眠っていた。
「女郎の蒲団さもぐり込んだえんた顔してやがる!」
ところが、佐々爺は村一番の「政治通」だった。「東京朝日」「北海タイムス」を取っているものは、市街地をのぞくと、佐々爺だけで、浜口、田中、床次、鳩山などを、自分の隣りの人のことよりも、よく知っていた。今度床次がどうする、すると田中がこうする。――分った事のように云って歩く。自分では政友会だった。
阿部に「爺さんは、どうして政友会かな?」と、きかれて、「何んてたッて政友会だべよ。政友会さ。百姓にゃ政友会さ。景気が直るし、仕事が殖えるしな。」と云った。
「この会、政友会さ肩もつッてたら、うんと爺ちゃ応援すべな。」
七之助がひやかした。
「政友会ば?――んだら、勿論、大いにやるさ。勿論!」
「広く農村にも浸潤されなければならない」
次は「渡辺大尉」だった。
軍帽を脇の下に挟んで、ピカピカした膝迄の長靴に拍車をガチャガチャさせて、壇に上ってくると、今迄ガヤガヤ騒いでいたのが、抑えられたように静かになった。が、すぐ、ガヤガヤが返ってきた。――子供達は肩章の星の数や剣について、しゃべり出した。口争いを始めた。――百姓は、たまに軍人が通ると、田の仕事を忘れて、何時迄も見送っていた。兵隊のことになると、子供と同じだった。
「農村に於ける軍人的精神」――それが渡辺大尉の演題だった。軍隊に於ける厳格なる秩序、正しい規律、服従関係を色々な引例をもって説明し、これこそが外国から決して辱かしめられた事のない日本の強大な兵力を作って居るものであり、そしてこの精神は、ひとり軍隊内ばかりでなく、広く農村にも浸潤されなければならない。殊に外来悪思想がややもすれば前途ある青年を捉え、この尊い社会秩序を破壊せんとするに於ては、益※[#二の字点、1−2−22]健全なる軍人精神が、実に農村に於てこそ要求されなければならないのである。――そういう意味のことを云った。
武田達は終るのを今か、今かと待っていて、さきがけをして拍手をした。
「阿部さん。」
後から小作が声をかけた。――「外来何んとか思想だかって、あれ何んですかいな。さっきから、どの方も、どの方も仰言るんですけれどねえ。」
「さあ……」阿部は一寸考えていた。「この村にそんなもの無えんでしょう……。」
それから別のことのように、笑談らしく、「んでも、あんまり小作料ば負けてけれ、負けてけれッて云えば、地主様の方で怒って、過激思想にかぶれているなんて、云うかも知れないね。」――云ってしまってから、口のなかだけで笑った。
武田は又上ると、会の性質、目的、入会条件、事業等について説明した。余興に入り、薩摩琵琶、落語、小樽新聞から派遣された年のとった記者の修養講話――「一日講」――があり、――そして、「酒」が出ることになった。
「馬鹿に待たせやがったもんだ。」
「犬でもあるまいし、な!」
胃の腑の中に、熱燗の酒がジリジリとしみこんで行くことを考えると、日焼けした百姓ののど[#「のど」に傍点]がガツガツした。――誰でもそう酒に「ありつけ」なかった。
「今日は若い女手は無えんだと。」
「んとか?」
「又、良《え》え振りして、武田のしたごッだべ!」
それでも、女房達や胸に花をつけた役員などが、酒をもって入って来ると、急に陽気になった。
武田が股梯子をもって来て、皆から見える高いところへビラを張りつけた。
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