せた。――「あったらヘナヘナに、百姓のこと何分るッて!」
 調停委員には「実情に通じた」その土地の「名望家」が選ばれた。――相馬農場の老管理人、H町々長、S村の校長など。
 判事が「調停主任」になった。
「心細いな。小作人の本当の気持が分っていてくれる人|無《ね》えんだものよ……。」
 健が廻って歩いている小作の家でそう云うと、
「んでも偉い立派な人達だもの――ため[#「ため」に傍点]になるようにやってけるべ。」
 健はがっかりした。
 第一回の呼出状が来た。
 裁判所へ出ると云うので、伴はそう度々着たことのない着物をきて出掛けた。
「何んも似合わねえな――どうだ、似合うか?」
「熊が着物ば着たえんたとこだ。」
「熊《おやじ》?――可哀相に! ハハハハハ。」
「そう云えば、百姓って良《え》え着物きたこと無えんだもの――似合うワケ無えさ。」
 出掛けに伴が云った――
「これが駄目になったら、最後だど!」

     誰と誰が繋がっているのか

 恩を売った犬畜生奴! よくもこんな処さ持ち出して、赤恥かかしやがったな。勝手にしろ!――裁判所の真ん中で、岸野がいきなり俺達を怒鳴りつけたんだ。
 やってみろ! 足腰たたない位たたきのめしてやるから!――これが、いくら地主であろうと、小作人に云う言葉か――俺はこの四十三の大人になって、面と向ってこんな事を云われたのは初めてだ。
 三日のうち五度会った。そして五度怒鳴り散らされた。――俺達は怒鳴られるために旭川まで出掛けて行ったんじゃない、調停して貰うためにだ。
 ところが、「調停委員」は一体どんなことをしたと思う。――まア、まア岸野さん! それ位だ。こんなものが調停なら、誰にでも出来る。
 後で、「農民組合」の弁護士が云っていた。
「調停裁判」なんて名前はええが、こんなものは、これから益※[#二の字点、1−2−22]起るおそれのある小作争議をば体よく抑えて、大きくしないうちに揉み消しにして――結局地主ば安全にさせて置こうとするための法律だ。ところが、一寸見がいいために、何も知らない百姓はその人の好《よ》さから、あーあ有難いものが出来たと大喜びなんだ。そこが又うまくしてあるところだって。
 んだんだ。今度でそれがよッく分った。――今年は全道みんな不作だ。何処でも小作争議が起りそうだんだ。――それで何処かで、皮切りでもされれば大変だ。んだから、外の地主も俺達のば何んとかして、うやむやにしてしまいたいので調停委員の後さこっそりついてるんだとよ。
 小作官などは「この事件を無いことにしてくれれば、岸野さんからお前等に慰労金を出させてもいいんだが、――社会のためにも、その方がいいんだ」と云ったものだ。
 聞いたか?――みんなグルだ。
 もう残ったものは俺達ばかりよ。――こうなったら、皆! 意気地なく黙って首ば縊るか? もう一日だって食えねえんだからな。それに岸野は腕ずくでも取ってみせるッてるんだ。――それとも死にたくなかったら、最後までやるか?――もう、このどっちかに来ているんだ。どっちかだ。
 んで、どっちだ!
 ――伴は自分でも泣いていた。
 次に組合の荒川が「争議団」を組織して、即刻戦闘の準備をしなければならないことを、皆に話した。「鉄は赤いうちに!」
 寒い雨が降っていた。――もう冬が近い。そしてそれが知らない間に氷雨になっていた。さすがの(実際、さすがの、と健には思われた。)小作人もありありと興奮の色を顔に出していた。
「そんなことまでやるのか! 畜生奴!」
 皆は雨の中を帰って行った。出口で傘をさすと、急に雨の音がやかましくなった。どざ[#「どざ」に傍点]だけをかぶって、肩を濡らして行くものもいた。雨に声を取られないように、大きな声でお互に話しながら帰って行った。
 阿部、伴、健、荒川、その他小作人三人、組合員二人――これだけが、二日の間に三時間位しか寝らずに、「岸野小作争議団」結成のために馳けずり廻った。ビラを書いたり、謄写版の原紙を書いたり、刷ったりした。――健は始めての色々な経験で興奮していた。
 人数が纒って来た。――今迄健が捨石のように廻って歩いていたのが、案外役に立った。
 佐々爺や武田は、訪ねて行くと、訳の分らない議論を吹ッかけた。争議団のものが分らないで、つまると、
「そんなんで地主さ楯つけるか?」
 と、嘲笑《わら》った。
 武田が吉本管理人と相談し合って、小作人の切り崩しをやっている噂が入っていた。
 荒川が鉄筆で頭をゴシゴシやりながら、
「こうなったら佐々爺とか武田、それに『のべ源』あんなものに気をつけなけア駄目だ。――何んしろ金[#「金」に傍点]でやってくるんだからな。」
 やもめの勝が、芋と唐黍を子供に背負わせて、伴の家にやってきた。
「――※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
 健はグイ[#「グイ」に傍点]とこみ上ってきた気持をどうすることも出来ない。
「なんぼなんでも、涙が出て、とても貰えないよ。」
 阿部も「分る! 気持だけで沢山だ!」と、何時もの阿部らしくもなく、周章てたように押し戻した。
 どんな事にでも直ぐ感激する伴は、何時迄も鼻をグズグズさせていた。
「な、どうだ、阿部君よ、勝たんばならないな!」
「驚いた! こっちから持って行ってやらなけアならない位の処から、持ってくるなんてなア! 矢張り、ああなると本当のことが、黙ってても分るんだな。」
 健は身体に鳥膚が立つ程興奮を感じた。
 伴の家では、伴のお内儀《かみ》さんや阿部のお内儀さんも出て来て、てきぱきと家の中の細かい仕事を片付け、――暇々には、小作の家を廻って歩いて「女は女同志」その方からも結束を固めていた。
 死んだキヌの妹は自分から手伝いに来ていた。伴のおかみさんと気心がよく合って、気持いい程仕事をしてくれた。ビラ書きを手伝ったりした。――顔はキヌとそのまま似ていた。が何時でもツンツンしているので、何んだ此奴と思って、健は嫌いな女だった。――然し、こんな時に節が出てきていてくれたら、と思うと、淋しかった。が、あの可愛い節は、一日でも早く健が昔の健にかえってくれるように、と祈っているときかせられて、健はがっかりした。
 小作争議に入ってから、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、320−上−2]の旦那は争議団に関係している小作には絶対に「掛売り」をしないと云った。結局それは、小作には品物を絶対に売ってくれない事と同じだった。それに今迄の、何年もの間の「掛」をたった今払ってもらおうと、おどかした。
「社会主義者どもの尻馬に乗って、日本の尊い遺風にキズをつける大不忠者!」
 店先きで怒鳴りつけられた。
「在郷軍人の小作であって、若し争議に関係するものがあったら、陛下に対して申訳がないと思え! 軍人たるものの面汚しだ。」
 同じことを「青年団」や「青年訓練所」のもの達にも云って歩いた。
「んでも※[#「┐<△」、屋号を示す記号、320−上−14]さん、食えないんだもの、どうも仕様無えしな……。お前さん達なら、それでええかも知れねしどもな。」
 小作も※[#「┐<△」、屋号を示す記号、320−上16]に云われると、矢張りマゴマゴした。然しどうにも食えなかったのだ。
 健は然し、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、320−上−18]がそんな「偉い」ことを云って歩いていながら、吉本管理人とちアんと結び合っていること――吉本と争議のことで、H町の料理屋で会ったことを知っていた。
「恐ろしいもんだな。」
「恐ろしいもんだよ。――何処で、どう関係があるか、表ばかりの云うことや、することを見ていたんじゃ分らないんだ。」
 荒川が健から聞くとそう云った。「糸を手繰ると、飛んでもなく意外な奴が、実は一緒になってるもんだよ。」
 学校では由三達が市街地の子供からいじめられた。
 あの「温厚な人格者」の校長が(健は殊にそう思っていたのだ!)時間がある毎に、小作争議のことを「不祥事だ」「不祥事だ」と云った。「若しお前達の親や兄弟で、あんな悪いことをするものがあったら、やめさせるように一生ケン命お願いしなければならない。」
 先生の云うことなら、どんな事でもそのまま信じこむ由三は、家へ帰ると健に泣きついた。――由三は学校へ行くと、いじめられるので時々休んだ。そして健のところへ来た。手紙を届けたり、ビラを配るのに手伝った。――「学校さ行《え》ぐより、ウンとええわ。」
 お恵は髪に油をテカテカつけたしゃれ男[#「しゃれ男」に傍点]とブラブラしていた。
「兄ちゃば皆偉いッて云ってるど。」
 健が遅く帰ってくると、腹這いになって、講談本を読みながら、見向きもしないで、ヘラヘラした調子で云った。
「この恥ざらし!」
「んだから偉いんだとさ。」
 健はだまった。
 彼は自分の妹や母親のことでは、どの位阿部や伴に肩身が狭いかわからなかった。
[#改段]

    十一


     「千回もやってくれ」

 第一回の「岸野小作争議演説会」が町の活動小屋で開かれた。――各農場相手に生活をしている町民や、他の農場の小作達も遠いところから提灯をつけてやって来た。
「割れる程」入った。
 健は始めて「演壇」に上がった。壇へ上がると、カッと興奮してしまった。途中で、何を云ったか分らなくなってしまった。分らなくなると、周章てるだけだった。――時々、拍手と、「分った分った」「もうやめれ!」「その通り!」そんな野次の切れ端しを覚えているだけだった。下りて裏へ行くと、キヌの妹が、
「上出来だよ、健ちゃ!」と云った。
 演説会は大きな反響を起した。――それから一週間もしないうちに、他の農場では争議を起されないうちに、(申訳ばかりだったが)小作料の軽減を行った。
 然し岸野からは、「お前等が仮令千回演説会を開いても、蚤にさされたよりも、痛くも、かゆくもない。もっと元気よく、もっともっとやってくれ。」と云ってきた。
 吉本はざま見ろ、という風に、それを持ってきた。
 三度演説会を開いた。――然し「残念ながら」何度開いても、それが具体的にどうなるわけでもなかった。どうにかしなければならない。事実[#「事実」に傍点]荒川や阿部達も行き詰りを感じてきていた。――あせり出した。

     方向転換

 筆不精なばかりでなしに、手紙などというものを書いたことのない健が、思い出して、フト七之助に手紙を書いた。そして今度の争議のことを知らせてやった。
 すぐ[#「すぐ」に傍点]七之助から返事が来た。
 ――小樽の労働組合のものに、そのことを話した。そしたら小樽へ出て来い、と云うのだ。地主は小樽に居る[#「地主は小樽に居る」に傍点]。そんな処でいくら騒いだって、岸野には、百里も離れた向う岸の火事よりも恐ろしくない。都会の労働組合が応援して、一緒にやらなければ、その争議は決して勝つことは出来ないだろう、と云っている。一刻も早く争議団が出て来るように、話すことだ。云々――
 このたった一枚の葉書が、思いがけなく、行き詰っていた方向に大きなキッカケを与えた。
 そうだ、それだ!――気付かなかった。
 争議団は活気づいた。――新らしい編成が行われた。
「争議団小樽出張委員」、農場に残る「連絡委員」の決定、――この争議を岸野農場だけのものにせず、他農場も一斉に立つように、たゆまず宣伝、煽動すること、――小樽に於ける情勢の刻々の変化に応じて、報告、示威、糾弾を兼ねた演説会を開くこと、これには農民組合S村支部が主に当ること――等が定められた。
 健は小樽へ出て行きたかった。然し連絡委員として残らなければならなかった。――仕事が急に忙がしくなった。「農業倉庫」に入れてある米を、倉荷証券で売り払って、争議資金に充てることにした。
 争議団小樽出張委員伴、阿部外十三名は、組合旗、流し旗をたてて小作人に送られた。小樽に出るということが分ると、吉本や武田は周章てて、遠まわしに調停めいたことを云ってきた。
 雪は四、五日前から降っていた。満目ただ荒涼とした石狩平野には、硝子クズのように鋭
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