て云うんだ」
三井の砂川炭山へ、馬を持ってトロ引きに出ていたもの、H町の道路普しん[#「しん」に傍点]に行っていたもの、灌漑溝の土方へ日雇に行っていたもの、山林の夏出しに馬をやはり持って行っていたもの……それ等が九月|中旬《なか》過ぎると、みんな帰ってきた。
実が黒く腐っていても、穫入れて「米」にしなければならない。それから一ヵ月位の間、小作は朝三時頃から夜の七時、八時頃迄働き通した。――収穫は「五割」減っていた。
五割! では小作は一体何のために働いたんだ。
健は稲のいがらッぽい埃で、身体をだるまにしながら、「やめた、やめた!」カッとして、そのまま仕事を放り出して、上り端に腰を下してしまった。
「恵、少し踏め!」
お恵は兄の剣幕を見ると、イヤイヤ立ち上った。――台所にいた母親は黙っていた。
「半分だ。――ええもんだな。一年働いて半分しか穫れなかったら、丁度小作料だべ。岸野さそのままそっくりやっても足りねえ位だ。――百姓がよ一年働いたら、一升位な、たった一升位気ままに自分の口さ入れたって、罰も当るめえ……。」
「昨年もああだし、岸野さんも何に云い出すか分らねえべ。」
母親は鼻をぐじらせた。――「お前どころでねえ、五十何年もよくやってきたもんだて、百姓ば!」
「何時かええぐなるべ、今度こそええぐなるべッてな。――んで、最後に、お気の毒様でしたか、ええもんだ!」
母親は黙って、鼻をぐじらせた。
田から上った稲を一粒一粒の米にする。ところが、その米が残らずそのまま岸野に持って行かれてしまう。――それがハッキリ分っている。分っていて、その米を一生ケン命籾にして、殻をとり、搗いて白米にしている。何んて百姓はお人好しの馬鹿者だ!
武田がひょっこり顔を出した。
「精出るなア。」
「何によ。――見れ、この籾《もみ》。」――母は筵《むしろ》の上にたまった籾を掌でザラザラやって見せた。――
「今、謀叛でも起したくなったッて話してたとこだ。」
武田はとってつけたように、大きな声で笑った。
「な、健ちゃ、少し相談したいことがあるんだが、仕事終ってからでも、俺の家さ寄ってけねえかな。」
健はだまっていた。
「今度の不作で、なんだか騒ぎでも起りそうでよ。村の不名誉でもあるし、相互扶助会としても工合が悪いし……」
「君のとこ幾《なん》ぼとれた。」――健は冷たく、別なことを云った。
「ようやく半作よ。」
「小作料納めたら、どうなる?」
「ン――。食うもの無くなるよ。んでも、そこばさ、何んとかウマクやって行くことば考えたらッて思うんだ。」
吉本にでも頼まれて来たな、と健は思った。
健は皮肉に云った。――「伴さんがこんな事云ってたが、本当かな。来年の春、H町の議員選挙で岸野さんが出るから、地盤ば荒されないように、今年だけは小作人ば誤魔化した方がええッて蛇吉が云ってるッて、ええ? 俺達食うか、食えないことば、そんなことでどうにも都合するんだナ!」
「…………」武田はだまった。「まさか。」
武田は話を別な方にそらして、帰って行った。撥の悪さをかくすように、暗い表で、
「明日も天気だ。」
と云うのが聞えた。
「ああいうのば、犬ッて云うんだ。」――畜生犬!
――他の農場では小作料を下げたとか、下げるとか、そんな噂がすぐ岸野農場にも入ってきて、その度に皆をアヤフヤに動かした。
常任の交渉委員、伴、佐々爺、武田が吉本管理人のところへ何度も足を使った。
「蛇吉の野郎、こんなに事情が分ってて、それで一から十、岸野の肩ば持ちやがるんだ。――今中さはさまって、野郎ジタバタしてる!」
帰りに健のところへ寄ると、佐々爺、武田の前で、伴がズバズバ云った。
もう岸野の返事だけだった。それだけで決まる。――それを待てばよかった。
そうだ、十年も経っている
夜が長くなった。
土間の台所で、手しゃくで飲む水が歯にしみた。長い間の無理な仕事で、小作の板のようになった腰が、今度はズキズキと痛《や》んだ。母親は由三に銭《ぜんこ》をくれると云っては、嫌がる由三をだまして腰をもませた。――夜は静かだった。馬鈴薯を炉の灰の中に埋めたり、塩煮にしたりして、それを食いながら、腹這いになって色々な話をした。由三も皆の中に入って、眼だけをパッチリ見張りながら、頬杖をして話を聞いた。好きだった。――母親は昔のことをよく覚えていた。
床に入っても、身体が痛んで寝つけなかった。暁方まで何度も寝がえりを打った。――過ぎ去ってしまった生涯が思いかえされる。――こんな「北海道」に住むとは思わなかった。一働きをして、金を拵えたら、内地《くに》へもどって、安楽に暮らそう、まア、二三年もいて――皆そう思って、津軽海峡を渡ってきた。だが、もう十年も経っている。今更のように自分の身のまわりを見廻わす。そうだ、十年も経ってしまっている。――そうか。そんなら、死ぬだけは内地《くに》の村で死にたい。
誰か、内地の村に行ってくるというものがあると、同じ「国衆《くにしゅう》」のものが集ってきた。村に残っている自分の本家や別家の人達に、事づけ[#「づけ」に傍点]を頼んだり、何かを届けてもらったり、村の様子をきいてきて貰ったりした。
誰も何時かキット内地に帰る、そのことばかり考えている。――追われるようにして出て来た村を、今では不思議な魅力をもって思いかえした。
夜が長くなると、夜中に何度も小便に起きた。半分寝言を云いながら、戸をあけると、身体がブルンブルンッとすくむ。――秋の、深く冴えきった外はひっそりとして、月が蒼々と澄んでいる大空に、高く氷のようにかかっていた。――若い女でも、出口にそのまま蹲んで、バジャバジャと用を達した。
「もッきり」
収穫が終ると、百姓の金を当にして、天気さえ良ければ、毎日のように色々な商人が廻ってくる。写真を沢山さげた仏壇を背負って、老人が鐘をならしながら表へ立った。太物をもった行商もきた。越中富山の薬屋が小さい引出しの沢山ついた桐の箱をひろげて、ベラベラ饒舌《しゃべ》りながら、何時迄たっても動かなかった。馬の絵をかいた薬臭いちらし[#「ちらし」に傍点]を子供達にくれて、無理矢理に要らない薬袋を置いて行った。――然し、「長い」北海道の冬が待っていることを考えれば、襦袢の切れ[#「切れ」に傍点]もうっかり買えないのだ。
正月を少しでも矢張り正月らしく送りたいために、小作人のうち又働きに出るものは出た。――娘達は、大根や馬鈴薯や唐黍などを荷車につけて、H町へ、朝暗いうちに、表をゴトゴトいわせて出掛けて行った。自分達は荷馬車の上に乗った。提灯を車の側にさした。声のいい女は流行歌《はやりうた》をうたった。H町へつくと丁度夜が明けかける。
朝市に出るものは出、一軒一軒裏口から「おかみさん」と云って廻って歩くものは歩く。そして昼頃、空になった荷車にのって、今度はキャッキャッとお互いにふざけながら帰ってきた。――売っただけの金で襦袢や腰巻の切れを買ったり、餅屋に寄って「あんころ」などの買い喰いをした。
「のべ源」はH町で青物を売って、少しでも金をつかむと、電信柱に馬をつないで、停車場前の荒物屋に入って、干魚を裂きながら、コップの「もッきり[#「もッきり」に傍点]」を飲んだ。
大概の百姓は帰りに寄って「もッきり」をひっかける。――店先には百姓の馬車が何台もつながれていた。牝馬が多い。たまに牡馬が通ると、いななきながら前立ちになり、暴れた。荒物屋の中から、顔を赤くした百姓が飛び出して来て、牝馬を側《わき》の方へ引張って行った。
「のべ源」はここで酔いつぶれると、そのまま白首《ごけ》のいる「そば屋」へ行った。――女達は「のべ源」を知っていた。――そして、イヤがった。酔うと、丸太のような腕で女をなぐりつけた。女が襖の足を払い、チャブ台をひっくりかえし、障子を倒して階段を芋俵のように転げ落ちたことがあった。
「のべ源」の馬はひっそりとした通りに、次の朝までつながれッ放しになっていた。
「来世」
毎年の例で、小樽から「偉い坊さん」を呼んで、S村龍徳寺で、四五日間説教が開かれた。――龍徳寺の前には、岸野や吉岡などの大地主や、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、308−下−5]、吉本などの寄附金の「芳名録」の札がズラリと立っている。岸野は「金壱千円也」出していた。――小樽から坊さんを呼ぶのも、主に岸野のつて[#「つて」に傍点]だった。
年寄りはその日を、子供がお祭りを待つより待っていた。
その日、年寄りはしまって置いたゴワゴワな手織の着物をきて、孫娘に手をひかせて出掛けた。――畦道を、曲った錆釘のように歩いて行った。健の母親も決して欠かしたことがなかった。
「……現世は苦しい――嫌なこと、悲しいこと、涙のにじむようなこと、淋しいことで満ち満ちている。だが、これも前世イからの約束事、何事も因果の致すところじゃ、そう思オ――て、しのばにゃならない。――お釈迦様はそうおっしゃッていなさる。」
坊さんはそう云う。年寄達は一句切れ、一句切れ毎に、「南無阿弥陀仏」を繰りかえした。
「……その代り、あみだ様のお側にお出になったとき、始めて極楽往生を遂げることが出来る。あ――あ、お前も人間界にいたときは苦しんだ。然し何事も仏様の道を守って、一口も不平を云うことなく、よくこらえて来た、もう大丈夫じゃ、さ、手を合わせて、こういう風に合わせて、たった一言、ナムアムダブツ、そう称えさえすれば大安心を得ることが出来るのじゃ。蓮華の花の上に坐ることが出来るようになるのじゃ……。」
「有難いお言葉じゃ。」
「あ――あ、有難や。有難や。」
「ナムアムダブツ。」
「ナンマンダブ、ナンマンダブ……。」
――百姓は心の何処かで、自分でも分らずに「来世」のことを考えている。――長い間の生活《くらし》があんまり「苦し」過ぎていた、それがそして何時になったって、どうにもなるものじゃなかった。――あの世に行きさえすれば、年を取ってくれば、もうそれしか考えられない。
「何事も、何事もジッと、ジ――イと堪えることじゃ!」
坊さんはそれを繰りかえした。
キヌ
健はキヌが帰ってきたことを知らされた。
「やッぱし小樽だ、あの恰好な! 大家の御令嬢さ。田舎の犬ば、見なれないんで、吠えるべ。――村の青年団もこれア一もめもめるべよ。」
健は笑いもしなかった。
キヌのことは別に頭になかった。――戻ってきたから、どうなる、どうする、今更そんなことでもなかった。
「キヌちゃ戻ってきたワ……?」
節がそれだけを健に云うのに、吃った。――眼が健の顔色を読んでいる。
「馬鹿!」
健は節の唇を指ではじいてやった。
節は一寸だまって、――と、
「そう?――まア、嬉しい!」
急に縄飛びでもするように跳ねて、かけ出して行った。――後も見ずに。
健は二、三日してから、嫌な噂をきいた。――キヌが妊娠している、相手は大学生だとか云っていた。それでホテルにも居たたまらず、「こっそり」帰ってきたのだった。
父はキヌを家に入れない、と怒った。――キヌは土間に蹴落された。ベトベトする土間に、それでも手をついて、「物置の隅ッこでもいいから」と泣いて頼んだ。
まだ色々なことが耳に入ってきた。
――キヌはそんな身体で、無理をして働いた。手が白く、小さくなったものは、百姓家には邪魔ものでしかなかった。――自分で飯の仕度をして、それを並べてしまうと、隅の方に坐って、ジッとしている。皆がたべてしまって余りがあれば、今度はそれを自分でコソコソたべる。――健は矢張り聞いているのがつらかった。
遅くなって、健が伴のところから帰ってくると、母親が顔色をかえていた。
「キヌちゃ首ばつッたとよ!――来てけれッて。」
健はものも云わずに外へ出た。
外へ出ると、「やったな!」と思った。――月の夜だった。キヌとの色々なことが、チラッと頭をかすめて行った。
キヌは納屋で首を縊っていた。健が行くと、提灯をつ
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