た。
 心持ちこっちへ顔を向けて――その顔が笑っている。お恵は耳まで真赤になった。そして手を挙げた。が、胸のところしかあがらない……。
 ラッパの音が遠くなった。
 そして行ってしまった。
 皆は兵隊の残して行った革の匂いと埃の中に、何時迄も立ちどまって見送っていた。――
[#改段]

    六


     「あれは口の二つあるダニ[#「ダニ」に傍点]だよ」

「お茶ば飲みに来ないか。旭川の人も来るし、二三人寄るべから。」
 前から伴や阿部のところに、四五人集ることのあるのは知っていた。健は始めてだった。
 仕事が終ってから、藁屑のついた着物を別なのに着かえて出掛けた。由三は独り言を云いながら、壁へ手で犬や狐の恰好の影をうつして遊んでいた。
「兄ちゃ何処さ行ぐ?――由も行ぐ。」
 出口までついて来て、駄々をこねた。
 もう秋めいている。夜空に星が水ッぽい匂いをさせて一杯にきらめいていた。実りの薄い稲の軽いサラサラした音がしていた。
 政府の「米買上げ」と不作の見越しで、米の値は「鰻上り」に上ってきている。然しその余沢の一ッこぼれさえ百姓にはこぼれて来ない。――今時米を手持ちしている
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