から一時間程して帰ってくると、家の中はガランとして、真中に荷造りした行李と大きな風呂敷包が転がっていた。父と母が火の気のない大きく仕切った炉辺にだまって坐っていた。薄暗い、赤ちゃけた電燈の光で、父の頬がガクガクと深くけずり込まれていた。
「早く暮れてければええ……」――独り言のように云った。父だった。
 暗くなってから、荷物を背負って外へ出た。峠を越える時、振りかえると、村の灯がすぐ足の下に見えた。健は半分睡り、父に引きずられながら、歩いた。暗い、深い谷底に風が渡るらしく、それが物凄く地獄のように鳴っていた。――健はそれを小さい時にきいた恐ろしいお伽噺《とぎばなし》のように、今でもハッキリ思い出せる。
「誰とも道で会わねばええな。」――父は同じことを十歩も歩かないうちに何度も繰りかえした。
 五十近い父親の懐には「移民案内」が入っていた。
 道庁で「その六割を開墾した時には、全土地を無償で交付する」と云っている土地は、停車場から二十里も三十里も離れていた。仮りに、其処からどんな穀物が出ようが、その間の運搬費を入れただけで、とても市場に出せる価格に引き合わなかった。――それに、この北海道
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