十年近くになっていた。ではS村の百姓はみんな五町歩乃至十町歩の「地主」になっていたか? そして、草小屋は柾屋に改築されていたか?
「誰も道で会わねばええな」
健達の一家も、その「移民案内」を読んだ。そして雪の深い北海道に渡ってきたのだった。彼等も亦《また》自分達の食料として取って置いた米さえ差押えられて、軒下に積まさっていながら、それに指一本つけることの出来ない「小作人」だった。
健は両親にともなわれて、村を出た日のことを、おぼろに覚えている。十四、五年前のことだった。――重い妹を負ぶって遊んで来ると、どこか家の中が変っていた。健は胸を帯で十字に締められて、亀の子のように首だけを苦しくのばしていた。
「母、もうええべよ。」と云った。
母は細引を手にもって、浮かない風に家の中をウロウロしていた。父は大きな安坐《あぐら》をかいたまま煙草をのんで、別な方を見ていた。――母は健を見ると、いつになくけわしい[#「けわしい」に傍点]顔をした。
「まだ外さ行《え》ってれ!」
父はだまっていた。
健はずれそうになる妹をゆすり上げ、ゆすり上げ、又外へ出た。――半分泣いていた。それ
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