この村だけ[#「この村だけ」に傍点]はそんな事のないように、その意味でだけでも、この新に出来た組合が大いに働いて貰いたい。……地主代理は時々途中筋道をなくして、ウロウロしながら、そんな事を云った。
「分りました。んだら、もう少し小作料ば負けて貰いたいもんですなア――。」
 誰かが滑稽に云った。――皆後を振りむいて、どッと笑った。

     「佐々爺」

 こういう会があると、「一杯」にありつける。何時でも、それだけが目当でくる酒好きな、東三線北四号の「佐々爺」がブツブツこぼした。
「糞も面白ぐねえ。――早く出したら、どうだべ。」
「んだよ、んだよ、な、佐々爺。」――七之助が面白がった。
「飽き飽きするでえ!」
 佐々爺は何時でも冷酒を、縁のかけた汁椀についで、「なんばん」の乾《ほ》したのを噛り、噛り飲んだ。――それが一番の好物で、酔うと渋い案外透る声で、猥らな唄の所々だけを歌いながら、真直ぐな基線道路をフラフラ帰って行った。――佐々爺が寄ると、何処の家でも酒を出した。酒が生憎なかったりすると、佐々爺は子供のように、アリアリと失望を顔に表わして頼りなげに肩を振って帰って行った。
 佐々爺は晩出たきり、朝迄帰らない時がある。酔払って、田の中に腐った棒杭のように埋ったきり眠っていた。探しに行ったものが揺り起しても、いい気に眠っていた。
「女郎の蒲団さもぐり込んだえんた顔してやがる!」
 ところが、佐々爺は村一番の「政治通」だった。「東京朝日」「北海タイムス」を取っているものは、市街地をのぞくと、佐々爺だけで、浜口、田中、床次、鳩山などを、自分の隣りの人のことよりも、よく知っていた。今度床次がどうする、すると田中がこうする。――分った事のように云って歩く。自分では政友会だった。
 阿部に「爺さんは、どうして政友会かな?」と、きかれて、「何んてたッて政友会だべよ。政友会さ。百姓にゃ政友会さ。景気が直るし、仕事が殖えるしな。」と云った。
「この会、政友会さ肩もつッてたら、うんと爺ちゃ応援すべな。」
 七之助がひやかした。
「政友会ば?――んだら、勿論、大いにやるさ。勿論!」

     「広く農村にも浸潤されなければならない」

 次は「渡辺大尉」だった。
 軍帽を脇の下に挟んで、ピカピカした膝迄の長靴に拍車をガチャガチャさせて、壇に上ってくると、今迄ガヤガヤ騒いでいたのが、抑えられたように静かになった。が、すぐ、ガヤガヤが返ってきた。――子供達は肩章の星の数や剣について、しゃべり出した。口争いを始めた。――百姓は、たまに軍人が通ると、田の仕事を忘れて、何時迄も見送っていた。兵隊のことになると、子供と同じだった。
「農村に於ける軍人的精神」――それが渡辺大尉の演題だった。軍隊に於ける厳格なる秩序、正しい規律、服従関係を色々な引例をもって説明し、これこそが外国から決して辱かしめられた事のない日本の強大な兵力を作って居るものであり、そしてこの精神は、ひとり軍隊内ばかりでなく、広く農村にも浸潤されなければならない。殊に外来悪思想がややもすれば前途ある青年を捉え、この尊い社会秩序を破壊せんとするに於ては、益※[#二の字点、1−2−22]健全なる軍人精神が、実に農村に於てこそ要求されなければならないのである。――そういう意味のことを云った。
 武田達は終るのを今か、今かと待っていて、さきがけをして拍手をした。
「阿部さん。」
 後から小作が声をかけた。――「外来何んとか思想だかって、あれ何んですかいな。さっきから、どの方も、どの方も仰言るんですけれどねえ。」
「さあ……」阿部は一寸考えていた。「この村にそんなもの無えんでしょう……。」
 それから別のことのように、笑談らしく、「んでも、あんまり小作料ば負けてけれ、負けてけれッて云えば、地主様の方で怒って、過激思想にかぶれているなんて、云うかも知れないね。」――云ってしまってから、口のなかだけで笑った。
 武田は又上ると、会の性質、目的、入会条件、事業等について説明した。余興に入り、薩摩琵琶、落語、小樽新聞から派遣された年のとった記者の修養講話――「一日講」――があり、――そして、「酒」が出ることになった。
「馬鹿に待たせやがったもんだ。」
「犬でもあるまいし、な!」
 胃の腑の中に、熱燗の酒がジリジリとしみこんで行くことを考えると、日焼けした百姓ののど[#「のど」に傍点]がガツガツした。――誰でもそう酒に「ありつけ」なかった。
「今日は若い女手は無えんだと。」
「んとか?」
「又、良《え》え振りして、武田のしたごッだべ!」
 それでも、女房達や胸に花をつけた役員などが、酒をもって入って来ると、急に陽気になった。

 武田が股梯子をもって来て、皆から見える高いところへビラを張りつけた。
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