彼が畔道を、赤くなってツバの歪んだ麦稈帽子をかぶり、心持ち腰を折って、ヒョコヒョコ歩いているのを見ると、吉本管理人ではないが、「あんな奴が楯をつくなんて!」考えられなかった。

     模範青年

「見れ、武田の野郎、赤い徽章ば胸さつけて、得意になって、やってる、やってる!」
 七之助が演壇の方を顎でしゃくった。――阿部はだまって笑っていた。
「な、健ちゃ、青年同盟だ、相互扶助会だなんて云えば、奇妙にあのガキガキの武田と女たらしの、ニヤケ連中が赤い徽章ばつけて、走って歩くから面白いんでないか。――健ちゃみだいた模範青年やるとええにな。」
 健はひょいと暗い顔をした。
「笑談だ、笑談だ! ハハハハハハ。」
 ――健は役場から模範青年として、表彰されていた。その頃は、まだ丈夫だった父親が「表彰状」をもって、どうしていいか自分でも分らず、家のなかをウロウロしたことを覚えている。――健も自分の努力が報いられたと思い、嬉しかった。
 ところが一寸《ちょっと》経って、健と小学校が一緒だった町役場に出ている友達が、健に云った。――近頃農村青年がともすれば「過激な」考えに侵され勝ちで、土地を何百町歩も持っている地主は困りきっている。丁度村に来ていた岸野と吉岡が、町役場で、そんなことで相談したのを給仕のその友達が聞いたのだった。
「表彰でもして、――情の方から抑えつけて、喜んで働かして置かないと、飛んでもなくなる。」吉岡がそう云った。
「少し張り込んで、金箔を塗った立派な表彰状を出してさ、授与式をワザと面倒臭く、おごそかにすれば、もう彼奴等土百姓はわけもなくころり[#「ころり」に傍点]さ。」――そう云ったのが岸野だと云うのだった。
 ――まさか※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
 校長を信頼していた健が、そのことを直ぐ校長に話してみた。
「そんな馬鹿な、理窟の通らない話なんかあるものか。お前さんが親孝行だし、人一倍一生懸命に働くからさ。」と云った。――健だって、それはそうだろう、と思った。
 阿部だけは、地主やその手先の役場の、とても上手《うま》い奸策だと云った。
「もう少し喰えなくなれば、模範青年ッて何んだか、よく分るえんになる。」
 ――皆ねたんでいる!――健はその当時は阿部に対してさえそう思った。
 然し、健は、父親の身体が変になり、働きが減り、いくら働いても(不作の年でも!)それがゴソリゴソリと地主に取り上げられて行くのを見ると、もとはちっともそうでなかったのに、妙に投げやりな、底寒い気持になった。切り[#「切り」に傍点]がない、と思わさった。――「何んだい模範青年が!」――阿部の云ったことが、思い当ってきた。
 それから健は、誰にでも「模範青年」と云われると、真赤になった。

     「武田」

 会が始まった。
「開会の辞」で武田が出た。如何にも武田らしく演壇に、兵隊人形のように直立して、演説でもするように、固ッ苦しい声で始めた。聞きなれない、面倒な熟語が、釘ッ切れのように百姓の耳朶《みみたぶ》を打った。
 ――……この危機にのぞみ、我々一同が力を合わせ、外、過激思想、都会の頽風と戦い、内、剛毅、相互扶助の気質を養い、もって我S村の健全なる発達を図りたい微意であるのであります。
 ――……なお、此度《このたび》は旭川師団より渡辺大尉殿の御来臨を辱うし、農場主側よりは吉岡幾三郎氏代理として松山省一氏、小作方よりは不肖私が出席し、ここに協力一致、挙村円満の実をあげたいと思うのであります。
 七之助は聞きながら、一つ、一つ武田の演説を滑稽にひやかして、揚足をとった。
「武田の作ちゃも偉ぐなったもんだな。――悪たれ[#「悪たれ」に傍点]だったけ。」
 健の前に坐っている小作だった。――「余ッ程、勉学したんだべ。」
 七之助が「勉学」という言葉で、思わず、プウッ! とふき出してしまった。
「大した勉学[#「勉学」に傍点]だ。――※[#「┐<△」、屋号を示す記号、266−下−17]と地主さん喜ぶべ。円満円満、天下泰平。」
 健とちがって、前から七之助にはそういう処がある。洒落《しゃれ》やひやかしが、百姓らしくなく、気持のいい程切れた。

     「地主代理」

 地主代理は思いがけない程子供らしい、細い声を出した。それに話しながら、何かすると、ひょいひょい鼻の側に手を上げた。それが百姓達には妙に「人物」を軽く見させた。七之助は、そら七ツ、そら十一だ、そら又、……と、数えて笑わせた。――地主と小作人は「親と子」というが、そんなに離れたものでなしに、「頭脳と手」位に緊密なもので、お互がキッチリ働いて行かなければ、この日本を養って行くべき大切な米が出来なくなってしまう。他所《よそ》では此頃よく「小作争議」のような不祥事を惹き起しているが、
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