にして、剣をさげたまま、小便をしていた。それが田に働いている小作達に見えた。暇になると、小作の家へやってきて話して行った。――然し一度岸野の小作達が小作料のことで、町長へ嘆願に出掛けたことがあってから、小作人達のところへは、プッつり話しに来ないようになってしまった。そのことでは随分噂が立った。「岸野から金でも貰ったべよ。」と云った。
 以前、殊に親しくしていた健の母親はうらんだ。
「随分現金だな。」――然し石田さんに限って、そんな「噂」はある筈がない、と云っていた。
 石田巡査はそれから※[#「┐<△」、屋号を示す記号、256−下−16]や吉本管理人と村道を、肩をならべて歩くのが眼につき出した。

 ――※[#「┐<△」、屋号を示す記号、256−下−19]の荒物屋からは、どんな小作も「店借《たなが》り」をしている。
 一年のうち、きまった時しか金の入らない百姓は、どうしても掛買しか出来ない。それに支払は年二回位なので、そこをツケ[#「ツケ」に傍点]目にされた。現金なら五十銭に売り、しかもそれで充分に儲けているものを「掛」のときには五十七、八銭にする。どの品物もそうする。小作人はそれが分っていて、どうにも出来ず、結局そこから買わなければならなかった。――※[#「┐<△」、屋号を示す記号、257−上−6]は三年もしないうちに、メキメキと「肥えて」行った。
 蜘蛛の巣を思わせる様に、どの百姓も皆※[#「┐<△」、屋号を示す記号、257−上−8]の手先にしっかりと結びつけられ、手繰り寄せられている。
 村に「信用購買販売組合」が出来てから、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、257−上−10]との間に問題が起った。――今迄とは比べものにならない程安く品物が買えるので、小作人は「組合」の方へドシドシ移って行った。と、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、257−上−13]はだまってはいない。――若し「組合」の方へ鞍替するような「恩知らず」がいたら、前の借金がものを云うぞ、と云い出した。人のいい小作達は、そう云われて、今迄あんなに気儘に借金をさせて貰ったのに、それは本当に忘恩なことだ、と思った。
 ※[#「┐<△」、屋号を示す記号、257−上−18]は小作人が金が払えないと、米や雑穀でもいいと云った。――百姓が町へ行って、問屋に売る値段で、それを引きとってくれた。それで※[#「┐<△」、屋号を示す記号、257−上−20]は貸金の回収をうけると同時に、それを又売り[#「又売り」に傍点]して、そこから利ざやを――つまり二重に儲けていた。
 在郷軍人分会長、衛生部長、学務何々……と、肩書をもっている※[#「┐<△」、屋号を示す記号、257−下−3]の旦那のようになりたい、それが小作人の「夢」になっている。――小作人達は道で、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、257−下−4]の旦那に会うと、村長や校長に会った時より、道をよけて、丁寧に挨拶した。「青年訓練所」では、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、257−下−6]の旦那が「修養講話」をやった。

     夜道

 健達は、士官の訓練が終って、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、257−下−8]の「修養講話」になると、疲れから居睡りをし出した。「青年の任務」「思想善導」「農民の誇」……何時《いつ》もチットモ変らないその講話は、もう誰も聞いているものがなかった。
 外へ出ると、生寝《なまね》の身体にゾクッ[#「ゾクッ」に傍点]と寒さが来た。霧雨は上っていたが、道を歩くと、ジュクジュクと澱粉靴がうずまった。空は暗くて見えなかった。然し頭を抑えられているように低かった。何かの拍子に、雨に濡れた叢がチラチラッと光った。
「もう一番[#「一番」に傍点]終ったか?」――後から七之助が言葉をかけた。
 健はたまらなく眠かった。「ええや、まだよ、人手がなくなってな。」
 誰かがワザと大きくあくび[#「あくび」に傍点]をした。
「健ちゃは兵隊どうだべな。」
「ん、行かねかも知らねな。……んでも、万一な。」
「その身体だら行かねべ。青訓[#「青訓」に傍点]さなんて来なくたってええよ。」
 すると今迄黙っていた武田が口を入れた。――「徴兵の期間ば短くするために青訓さ行《え》ぐんだら、大間違いだど!」
 初まった、と思うと、七之助はおかしかった。
「あれはな、兵隊さ行ぐものばかりが色々な訓練を受けて、んでないものは安閑としてるべ、それじゃ駄目だッてんで、あれば作ったんだ。兵隊でないものでも、一つの団体規律の訓練をうける必要はあるんだからな。」
「所で、現時の農村青年は軽チョウ浮ハクにして、か!……」
 七之助が小便しながら、ひやかした。叢の葉に、今迄堪えていたような小便が、勢よくバジャバジャと当る音がした。
「ん。」――武田が真
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