の農場では争議を起されないうちに、(申訳ばかりだったが)小作料の軽減を行った。
 然し岸野からは、「お前等が仮令千回演説会を開いても、蚤にさされたよりも、痛くも、かゆくもない。もっと元気よく、もっともっとやってくれ。」と云ってきた。
 吉本はざま見ろ、という風に、それを持ってきた。
 三度演説会を開いた。――然し「残念ながら」何度開いても、それが具体的にどうなるわけでもなかった。どうにかしなければならない。事実[#「事実」に傍点]荒川や阿部達も行き詰りを感じてきていた。――あせり出した。

     方向転換

 筆不精なばかりでなしに、手紙などというものを書いたことのない健が、思い出して、フト七之助に手紙を書いた。そして今度の争議のことを知らせてやった。
 すぐ[#「すぐ」に傍点]七之助から返事が来た。
 ――小樽の労働組合のものに、そのことを話した。そしたら小樽へ出て来い、と云うのだ。地主は小樽に居る[#「地主は小樽に居る」に傍点]。そんな処でいくら騒いだって、岸野には、百里も離れた向う岸の火事よりも恐ろしくない。都会の労働組合が応援して、一緒にやらなければ、その争議は決して勝つことは出来ないだろう、と云っている。一刻も早く争議団が出て来るように、話すことだ。云々――
 このたった一枚の葉書が、思いがけなく、行き詰っていた方向に大きなキッカケを与えた。
 そうだ、それだ!――気付かなかった。
 争議団は活気づいた。――新らしい編成が行われた。
「争議団小樽出張委員」、農場に残る「連絡委員」の決定、――この争議を岸野農場だけのものにせず、他農場も一斉に立つように、たゆまず宣伝、煽動すること、――小樽に於ける情勢の刻々の変化に応じて、報告、示威、糾弾を兼ねた演説会を開くこと、これには農民組合S村支部が主に当ること――等が定められた。
 健は小樽へ出て行きたかった。然し連絡委員として残らなければならなかった。――仕事が急に忙がしくなった。「農業倉庫」に入れてある米を、倉荷証券で売り払って、争議資金に充てることにした。
 争議団小樽出張委員伴、阿部外十三名は、組合旗、流し旗をたてて小作人に送られた。小樽に出るということが分ると、吉本や武田は周章てて、遠まわしに調停めいたことを云ってきた。
 雪は四、五日前から降っていた。満目ただ荒涼とした石狩平野には、硝子クズのように鋭い空ッ風が乾いた上ッ皮の雪を吹きまくっていた。
[#改段]

    十二


     手を握り合って!

 情報、一
 吸血鬼・地主岸野と戦わんとして、S村岸野農場小作人代表十五名が、はるばる小樽へ出陣してきた。
 直ちに、「農民組合連合会」「争議団」「小樽合同労働組合」とで、
 「労農争議共同委員会」
を組織し、茲に労働者と農民の固き握手のもとに、此の争議に当ることになった。
 農民を過去の封建的農奴的生活より、光ある社会へ解放し得るものは、都市労働階級の力だ。
 農民が都市に出陣してきて、「労農争議共同委員会」を強固に組織し、かかる形態で地主と抗争する小作争議は、日本全国に於て、この岸野小作争議をもって最初とする。――農民運動の方向転換期にあるとき、且つ又急速なる資本主義の発展に伴う「地主のブルジョワ化」、従って都市居住地主――不在地主が、その典型たらんとしつつあるとき、この争議こそ重大な意義をもつものと云わなければならない。

 情報、二
 三日夜六時、小作人十五名出樽。小樽合同労働の約二百名の組合員の出迎えをうけ、直ちに岸野の店舗、工場、ホテル、商業会議所に押しかけ示威運動をする。元気。
(七之助の手紙。――停車場へ二百人近くも押しかけた。阿部さんも伴さんも驚いたらしい。眼に涙をためていた。面白いのは矢張り百姓だ。労働組合の人も云っていたが、こっちが感極まって、ワアッと云っても小作人達はだまっている。嬉しくないのかと思うと、そうでもないらしい。こっちで十しゃべると、それもモドカシクなる程ゆっくり三つ位しゃべる。――さすがに、伴さんのあのガラガラ声も、ウハハハハも出ないで、組合の二階の隅の方にキチンと膝を折って坐っている。――組合員の一人が、農民とは如何なるものか、ときかれたら、――組合の二階の板の間の、それもなるべく隅の方にキチンと膝を折って坐るものであります、と答えればいいと皆を笑わせた。)

 情報、三
 毎日、赤襷を[#「赤襷を」は底本では「赤欅を」]かけて、岸野の店先きに出掛けるばかりでも、小樽の市民に「岸野の小作人」の顔を知らぬもの無きに到った。
 六日、「市民に訴う」という今迄の詳しいイキサツを書いたビラ一万枚を撒布する。

 農民は「働くと[#「働くと」に傍点]」年何百円も借金をして行った。――その詳しい「ちらし」が、市民の間に大きな反響を
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