、1−8−78]」
健はグイ[#「グイ」に傍点]とこみ上ってきた気持をどうすることも出来ない。
「なんぼなんでも、涙が出て、とても貰えないよ。」
阿部も「分る! 気持だけで沢山だ!」と、何時もの阿部らしくもなく、周章てたように押し戻した。
どんな事にでも直ぐ感激する伴は、何時迄も鼻をグズグズさせていた。
「な、どうだ、阿部君よ、勝たんばならないな!」
「驚いた! こっちから持って行ってやらなけアならない位の処から、持ってくるなんてなア! 矢張り、ああなると本当のことが、黙ってても分るんだな。」
健は身体に鳥膚が立つ程興奮を感じた。
伴の家では、伴のお内儀《かみ》さんや阿部のお内儀さんも出て来て、てきぱきと家の中の細かい仕事を片付け、――暇々には、小作の家を廻って歩いて「女は女同志」その方からも結束を固めていた。
死んだキヌの妹は自分から手伝いに来ていた。伴のおかみさんと気心がよく合って、気持いい程仕事をしてくれた。ビラ書きを手伝ったりした。――顔はキヌとそのまま似ていた。が何時でもツンツンしているので、何んだ此奴と思って、健は嫌いな女だった。――然し、こんな時に節が出てきていてくれたら、と思うと、淋しかった。が、あの可愛い節は、一日でも早く健が昔の健にかえってくれるように、と祈っているときかせられて、健はがっかりした。
小作争議に入ってから、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、320−上−2]の旦那は争議団に関係している小作には絶対に「掛売り」をしないと云った。結局それは、小作には品物を絶対に売ってくれない事と同じだった。それに今迄の、何年もの間の「掛」をたった今払ってもらおうと、おどかした。
「社会主義者どもの尻馬に乗って、日本の尊い遺風にキズをつける大不忠者!」
店先きで怒鳴りつけられた。
「在郷軍人の小作であって、若し争議に関係するものがあったら、陛下に対して申訳がないと思え! 軍人たるものの面汚しだ。」
同じことを「青年団」や「青年訓練所」のもの達にも云って歩いた。
「んでも※[#「┐<△」、屋号を示す記号、320−上−14]さん、食えないんだもの、どうも仕様無えしな……。お前さん達なら、それでええかも知れねしどもな。」
小作も※[#「┐<△」、屋号を示す記号、320−上16]に云われると、矢張りマゴマゴした。然しどうにも食えなかったのだ。
健は然し、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、320−上−18]がそんな「偉い」ことを云って歩いていながら、吉本管理人とちアんと結び合っていること――吉本と争議のことで、H町の料理屋で会ったことを知っていた。
「恐ろしいもんだな。」
「恐ろしいもんだよ。――何処で、どう関係があるか、表ばかりの云うことや、することを見ていたんじゃ分らないんだ。」
荒川が健から聞くとそう云った。「糸を手繰ると、飛んでもなく意外な奴が、実は一緒になってるもんだよ。」
学校では由三達が市街地の子供からいじめられた。
あの「温厚な人格者」の校長が(健は殊にそう思っていたのだ!)時間がある毎に、小作争議のことを「不祥事だ」「不祥事だ」と云った。「若しお前達の親や兄弟で、あんな悪いことをするものがあったら、やめさせるように一生ケン命お願いしなければならない。」
先生の云うことなら、どんな事でもそのまま信じこむ由三は、家へ帰ると健に泣きついた。――由三は学校へ行くと、いじめられるので時々休んだ。そして健のところへ来た。手紙を届けたり、ビラを配るのに手伝った。――「学校さ行《え》ぐより、ウンとええわ。」
お恵は髪に油をテカテカつけたしゃれ男[#「しゃれ男」に傍点]とブラブラしていた。
「兄ちゃば皆偉いッて云ってるど。」
健が遅く帰ってくると、腹這いになって、講談本を読みながら、見向きもしないで、ヘラヘラした調子で云った。
「この恥ざらし!」
「んだから偉いんだとさ。」
健はだまった。
彼は自分の妹や母親のことでは、どの位阿部や伴に肩身が狭いかわからなかった。
[#改段]
十一
「千回もやってくれ」
第一回の「岸野小作争議演説会」が町の活動小屋で開かれた。――各農場相手に生活をしている町民や、他の農場の小作達も遠いところから提灯をつけてやって来た。
「割れる程」入った。
健は始めて「演壇」に上がった。壇へ上がると、カッと興奮してしまった。途中で、何を云ったか分らなくなってしまった。分らなくなると、周章てるだけだった。――時々、拍手と、「分った分った」「もうやめれ!」「その通り!」そんな野次の切れ端しを覚えているだけだった。下りて裏へ行くと、キヌの妹が、
「上出来だよ、健ちゃ!」と云った。
演説会は大きな反響を起した。――それから一週間もしないうちに、他
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