居た。健は伴に会ってから、葬式どころでないと思って、顔だけ出すと、直ぐこっちへ廻ってきた。――自分も変ったな、と思った。キヌだって分ってくれるさ、と思った。
そこへ伴が帰ってきた。皆伴を見た。
瞬間、鋭い緊張がグイと皆を抑えた。
「ウハハハハハ。」
戸口に立ったまま、何んの前触れもなく、伴は大声で笑った。そして懐から手紙を出すと、「ここまでお出で」をするように振ってみせた。
「駄目ッ!」ぶッつり切った。
皆はつられたように、「駄目か!」「やッぱり!」「んか。」「駄目か!」口々に云った。――肩から力がガックリ抜けた。
「で、こんなものモウどうでもいいこった。――第二だ。」
伴は皆の真中に大きく安坐をかいた。
阿部は眼鏡を出してきて、ゆっくり手紙を読んだ。
「第二だ、これは俺達のうちから代表を選んで、岸野に直《じ》き直き会って、詳しい話をするために小樽へ出掛けることだ。――喧嘩はまだ早い。後で大丈夫だ。」
「したども、伴さん一番先きに喧嘩してえんだな。」――年輩の小作がひやかした。
両手で頭を大げさに抑えて、伴がウハハハハハと笑った。
「そうした方順序だし、ええ。」
「ええべ。」
「んでも、伴さんみたいに喧嘩早い人は代表には駄目だネ。」
「これでも駈け引になれば、駈け引はうまいんだよ。」――伴がてれた。
何故そんな無駄な廻り道が必要なんだ。健は自分だけではそう思った。――分り切ったことでないか。
「喧嘩ッてなれば、矢張り乗るか、そるかだ。――やれることだけは、やって置かねば駄目だ。」――阿部までそう云った。
心配していた女房達が、懐へ子供を抱き込んで乳をふくませたり、背中にくくりつけたまま、お互がああだ、こうだ、と話しながら、二三人ずつ、二三人ずつ集ってきた。――子供が喚いて、背中で母親の尻を蹴る。――入口がやかましくなった。
こう集ってみると、小作の女達は「汚な」かった。畑から抜いてきた牛蒡《ごぼう》のように、黒くて、土臭かった。――然し、そのどの顔もたった一つのこと、「食えるか」「食えないか」で、引きつッていた。
「な、御内儀《おかみ》さん達よ、」
伴が一言ずつ顎をしゃくりしゃくり、何時ももの[#「もの」に傍点]を云うときの癖で、眼をつぶって――「聞いて貰おう。――この一年間、寝る眼も寝ず働いて、そのお蔭で、有難いお蔭で、今食うや食わずになり、――どうか生かしてだけは置いてくれッて頼んだ事だ。それをどうだ! この手紙を見てくれ。――馬鹿野郎だとか、気狂いだとか、監獄へブチ込んでやるぞ、とか――な、地主と小作は親と子だって云う。真赤な嘘だ。真赤な嘘でないか。これで親も子もあるもんか。」
「まア。」
「まア、まア!」
女達はそれだけしか云えない。
子供が急に大きな声を張りあげて泣き出した。いきなり平手で、馬鈴薯のような子供の頭をパシッパシッ殴った。「黙ッてれ、この餓鬼ッ!」――母親がムキになって怒っている。
佐々爺と武田が「返事」のことで、ひょッこり顔を出した。佐々爺は東京新聞を振り上げながら、「どうしたんだ? どうしたんだ? ええ? どうした?」
と、カスカスな声を絞り上げた。
「俺の命でもとる気か?」
交渉委員が小樽へ出発してから三日経って、ハガキが来た。阿部だった。
――誠意をもって会ってはくれない。朝七時に、門から玄関まで山があったり、池があったりする立派な邸宅を訪ねると、三十分も待たしてから、「店」へ行ったと云う。その店までは歩いて行って四五十分もかかる。そこで又二十分も待たして置いてから、ヌケヌケと、工場の方です、と云う。教えられた道を迷って、曲がりくねって、行き過ぎたりして、あげくの果てに工場が見付かる。見付かったって、何処からどう入って行って、どう云えば会えるか分らない。何人にも、何人にも頼んで、その度に百姓は冷汗を流す。そして云うことは同じ。ホテルに行ってる!
ホテルへ行けば商業会議所。泣きたかった。――晩の十一時過ぎにようやく家で会ってくれた。音もしない自動車に乗って、酔って帰ってきた。
「俺の命でもとる気か、一日中|尾行《あと》をつけて!」と、最初から怒鳴りつけられた。
佐々爺はカラ[#「カラ」に傍点]駄目だ。――旦那様の云うことはお尤もで、へえ、ドン百姓ッてものは我儘で、無理ばかり云って、とか、まるでワケ[#「ワケ」に傍点]が分らない。
「小樽でグズグズしてると、警察へ突き出すぞ!」終いにそう云った。
次の日はそれでも三時間程会った。
「こんな事はお前等ばかりでなくて、お前等の後をつッついている不穏分子がいるから、きいてやるワケには行かない。」
不穏分子というのは「農民組合」のことだそうだ。
とうとう駄目だ。話にならない。駄目と分ったら、直ぐ帰る。
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