葉じゃ。」
「あ――あ、有難や。有難や。」
「ナムアムダブツ。」
「ナンマンダブ、ナンマンダブ……。」
――百姓は心の何処かで、自分でも分らずに「来世」のことを考えている。――長い間の生活《くらし》があんまり「苦し」過ぎていた、それがそして何時になったって、どうにもなるものじゃなかった。――あの世に行きさえすれば、年を取ってくれば、もうそれしか考えられない。
「何事も、何事もジッと、ジ――イと堪えることじゃ!」
坊さんはそれを繰りかえした。
キヌ
健はキヌが帰ってきたことを知らされた。
「やッぱし小樽だ、あの恰好な! 大家の御令嬢さ。田舎の犬ば、見なれないんで、吠えるべ。――村の青年団もこれア一もめもめるべよ。」
健は笑いもしなかった。
キヌのことは別に頭になかった。――戻ってきたから、どうなる、どうする、今更そんなことでもなかった。
「キヌちゃ戻ってきたワ……?」
節がそれだけを健に云うのに、吃った。――眼が健の顔色を読んでいる。
「馬鹿!」
健は節の唇を指ではじいてやった。
節は一寸だまって、――と、
「そう?――まア、嬉しい!」
急に縄飛びでもするように跳ねて、かけ出して行った。――後も見ずに。
健は二、三日してから、嫌な噂をきいた。――キヌが妊娠している、相手は大学生だとか云っていた。それでホテルにも居たたまらず、「こっそり」帰ってきたのだった。
父はキヌを家に入れない、と怒った。――キヌは土間に蹴落された。ベトベトする土間に、それでも手をついて、「物置の隅ッこでもいいから」と泣いて頼んだ。
まだ色々なことが耳に入ってきた。
――キヌはそんな身体で、無理をして働いた。手が白く、小さくなったものは、百姓家には邪魔ものでしかなかった。――自分で飯の仕度をして、それを並べてしまうと、隅の方に坐って、ジッとしている。皆がたべてしまって余りがあれば、今度はそれを自分でコソコソたべる。――健は矢張り聞いているのがつらかった。
遅くなって、健が伴のところから帰ってくると、母親が顔色をかえていた。
「キヌちゃ首ばつッたとよ!――来てけれッて。」
健はものも云わずに外へ出た。
外へ出ると、「やったな!」と思った。――月の夜だった。キヌとの色々なことが、チラッと頭をかすめて行った。
キヌは納屋で首を縊っていた。健が行くと、提灯をつけたものが七、八人いた。――父親が探がした時、知らずに打ち当ったと云うので、下がっているキヌの身体が眼につかない程ゆるく揺れていた。提灯の火だけでそれを見ていると、寒気がザアーッと身体を走った。
「ハ、ようやく村の恥さらしものに片がつきました……。」
父親が血の気のない顔で云って歩いていた。
健には、キヌの死んだ事が何故か、キヌという一人の人間だけのこと、それだけのことでなく思われた。――もッと別なことが、色々その中にある気がした。
S村と小樽、これをキヌが考えさせる!
[#改段]
九
「なア、お内儀さん達よ――」
岸野から返事が来た。
伴のところへ、吉本から人が呼びに来た。――それと、健がキヌの葬式に出掛けて行く途中会った。
「聞かなくても分ってるんだ。」と伴が云った。
「岸野のこッた。――帰りに寄る。」
勝の家の前で、父の一人一人ちがった兄弟が田の引水をせきとめて、鮒をすくっていた。身体をすっかり泥水に濡らして、臍のあたりについている泥が白く乾いていた。
「愛子オ。」――男の子が呼んだ。
「何アに。」
「愛子あ――とて、あれきあんだれき、ありやのあり糞!」
女の子も負けてはいない。「源一げんとて、げりき、けんだれき、げりやのげり糞! やあ、げり[#「げり」に傍点]糞、げり[#「げり」に傍点]糞!」
愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》だ! 健は恐ろしいような、心臓のあたりをくすぐられるような気持になっていた。
――吉本管理人は伴の顔をみると、
「見ろ!」と云って、眼の前に手紙を投げて寄こした。「あんなことを云ってやったから、見れ、かえって片意地にさせてしまった。――んだから、馬鹿だって云うんだ。」
狸奴! 俺達の云った通りのことを、貴様が正直に書いてやったと誰が思ってる! 手前が自分の立場が可愛くて、小作人が飛んでもないことやらかしてるッて、有る事、無い事、嘘八百並べてやったんでないか。順序が順序だから、手前のような奴を中にはさんだんだ!――
伴は手紙を懐に入れると、吉本に挨拶もしないで外へ出た。
「騒いだりしたら損だど。――分ってるべ、ん?」
出かけに吉本が云った。――返事もしない。
こうなれア立場としては吉本は、可哀相なほどオロオロだ。様《ざま》ア見ろッ!
伴の家には、五、六人集っていた。――健も
前へ
次へ
全38ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小林 多喜二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング