の身のまわりを見廻わす。そうだ、十年も経ってしまっている。――そうか。そんなら、死ぬだけは内地《くに》の村で死にたい。
誰か、内地の村に行ってくるというものがあると、同じ「国衆《くにしゅう》」のものが集ってきた。村に残っている自分の本家や別家の人達に、事づけ[#「づけ」に傍点]を頼んだり、何かを届けてもらったり、村の様子をきいてきて貰ったりした。
誰も何時かキット内地に帰る、そのことばかり考えている。――追われるようにして出て来た村を、今では不思議な魅力をもって思いかえした。
夜が長くなると、夜中に何度も小便に起きた。半分寝言を云いながら、戸をあけると、身体がブルンブルンッとすくむ。――秋の、深く冴えきった外はひっそりとして、月が蒼々と澄んでいる大空に、高く氷のようにかかっていた。――若い女でも、出口にそのまま蹲んで、バジャバジャと用を達した。
「もッきり」
収穫が終ると、百姓の金を当にして、天気さえ良ければ、毎日のように色々な商人が廻ってくる。写真を沢山さげた仏壇を背負って、老人が鐘をならしながら表へ立った。太物をもった行商もきた。越中富山の薬屋が小さい引出しの沢山ついた桐の箱をひろげて、ベラベラ饒舌《しゃべ》りながら、何時迄たっても動かなかった。馬の絵をかいた薬臭いちらし[#「ちらし」に傍点]を子供達にくれて、無理矢理に要らない薬袋を置いて行った。――然し、「長い」北海道の冬が待っていることを考えれば、襦袢の切れ[#「切れ」に傍点]もうっかり買えないのだ。
正月を少しでも矢張り正月らしく送りたいために、小作人のうち又働きに出るものは出た。――娘達は、大根や馬鈴薯や唐黍などを荷車につけて、H町へ、朝暗いうちに、表をゴトゴトいわせて出掛けて行った。自分達は荷馬車の上に乗った。提灯を車の側にさした。声のいい女は流行歌《はやりうた》をうたった。H町へつくと丁度夜が明けかける。
朝市に出るものは出、一軒一軒裏口から「おかみさん」と云って廻って歩くものは歩く。そして昼頃、空になった荷車にのって、今度はキャッキャッとお互いにふざけながら帰ってきた。――売っただけの金で襦袢や腰巻の切れを買ったり、餅屋に寄って「あんころ」などの買い喰いをした。
「のべ源」はH町で青物を売って、少しでも金をつかむと、電信柱に馬をつないで、停車場前の荒物屋に入って、干魚を裂きながら、コップの「もッきり[#「もッきり」に傍点]」を飲んだ。
大概の百姓は帰りに寄って「もッきり」をひっかける。――店先には百姓の馬車が何台もつながれていた。牝馬が多い。たまに牡馬が通ると、いななきながら前立ちになり、暴れた。荒物屋の中から、顔を赤くした百姓が飛び出して来て、牝馬を側《わき》の方へ引張って行った。
「のべ源」はここで酔いつぶれると、そのまま白首《ごけ》のいる「そば屋」へ行った。――女達は「のべ源」を知っていた。――そして、イヤがった。酔うと、丸太のような腕で女をなぐりつけた。女が襖の足を払い、チャブ台をひっくりかえし、障子を倒して階段を芋俵のように転げ落ちたことがあった。
「のべ源」の馬はひっそりとした通りに、次の朝までつながれッ放しになっていた。
「来世」
毎年の例で、小樽から「偉い坊さん」を呼んで、S村龍徳寺で、四五日間説教が開かれた。――龍徳寺の前には、岸野や吉岡などの大地主や、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、308−下−5]、吉本などの寄附金の「芳名録」の札がズラリと立っている。岸野は「金壱千円也」出していた。――小樽から坊さんを呼ぶのも、主に岸野のつて[#「つて」に傍点]だった。
年寄りはその日を、子供がお祭りを待つより待っていた。
その日、年寄りはしまって置いたゴワゴワな手織の着物をきて、孫娘に手をひかせて出掛けた。――畦道を、曲った錆釘のように歩いて行った。健の母親も決して欠かしたことがなかった。
「……現世は苦しい――嫌なこと、悲しいこと、涙のにじむようなこと、淋しいことで満ち満ちている。だが、これも前世イからの約束事、何事も因果の致すところじゃ、そう思オ――て、しのばにゃならない。――お釈迦様はそうおっしゃッていなさる。」
坊さんはそう云う。年寄達は一句切れ、一句切れ毎に、「南無阿弥陀仏」を繰りかえした。
「……その代り、あみだ様のお側にお出になったとき、始めて極楽往生を遂げることが出来る。あ――あ、お前も人間界にいたときは苦しんだ。然し何事も仏様の道を守って、一口も不平を云うことなく、よくこらえて来た、もう大丈夫じゃ、さ、手を合わせて、こういう風に合わせて、たった一言、ナムアムダブツ、そう称えさえすれば大安心を得ることが出来るのじゃ。蓮華の花の上に坐ることが出来るようになるのじゃ……。」
「有難いお言
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