――どうか生かしてだけは置いてくれッて頼んだ事だ。それをどうだ! この手紙を見てくれ。――馬鹿野郎だとか、気狂いだとか、監獄へブチ込んでやるぞ、とか――な、地主と小作は親と子だって云う。真赤な嘘だ。真赤な嘘でないか。これで親も子もあるもんか。」
「まア。」
「まア、まア!」
 女達はそれだけしか云えない。
 子供が急に大きな声を張りあげて泣き出した。いきなり平手で、馬鈴薯のような子供の頭をパシッパシッ殴った。「黙ッてれ、この餓鬼ッ!」――母親がムキになって怒っている。
 佐々爺と武田が「返事」のことで、ひょッこり顔を出した。佐々爺は東京新聞を振り上げながら、「どうしたんだ? どうしたんだ? ええ? どうした?」
 と、カスカスな声を絞り上げた。

     「俺の命でもとる気か?」

 交渉委員が小樽へ出発してから三日経って、ハガキが来た。阿部だった。

 ――誠意をもって会ってはくれない。朝七時に、門から玄関まで山があったり、池があったりする立派な邸宅を訪ねると、三十分も待たしてから、「店」へ行ったと云う。その店までは歩いて行って四五十分もかかる。そこで又二十分も待たして置いてから、ヌケヌケと、工場の方です、と云う。教えられた道を迷って、曲がりくねって、行き過ぎたりして、あげくの果てに工場が見付かる。見付かったって、何処からどう入って行って、どう云えば会えるか分らない。何人にも、何人にも頼んで、その度に百姓は冷汗を流す。そして云うことは同じ。ホテルに行ってる!
 ホテルへ行けば商業会議所。泣きたかった。――晩の十一時過ぎにようやく家で会ってくれた。音もしない自動車に乗って、酔って帰ってきた。
「俺の命でもとる気か、一日中|尾行《あと》をつけて!」と、最初から怒鳴りつけられた。
 佐々爺はカラ[#「カラ」に傍点]駄目だ。――旦那様の云うことはお尤もで、へえ、ドン百姓ッてものは我儘で、無理ばかり云って、とか、まるでワケ[#「ワケ」に傍点]が分らない。
「小樽でグズグズしてると、警察へ突き出すぞ!」終いにそう云った。
 次の日はそれでも三時間程会った。
「こんな事はお前等ばかりでなくて、お前等の後をつッついている不穏分子がいるから、きいてやるワケには行かない。」
 不穏分子というのは「農民組合」のことだそうだ。
 とうとう駄目だ。話にならない。駄目と分ったら、直ぐ帰る。
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