ホウ」に傍点]帯をしているのを見付けて、「どうしたんだ?」ときいた。「ん、しもやけ[#「しもやけ」に傍点]だ。」と進が返事をすると、見ている間に、お母アの眼がつり上がって、薄い唇がピリピリと顫《ふる》え出した。「さ、警察の人ッ! どうしてくれるんだ? 人民を保護するとか何ンとか、口ではうまい事云って、この大事な息子の身体をこんなことにしてしまって、どうする積《つも》りなんだッ! さッ!」特高たちは、あ、又始まったと云って、自分たちの仕事にとりかゝって、見向きもしなかった。

 検挙は十二月一日から少しの手ゆるみもしないで続いた。そっちにいるお前はおかしく思うだろうが、残された人達が「戦旗」の配布網を守って、飽く迄も活動していた。然し、とう/\持って行き処のなくなったその人達は最後に、重要書類と一緒に家へ持ってきた。もうやられているので、二度も「ガサ」が無いだろうと云うのだ。六十に近いお前のお母はそれをちアんと引受けた。淋しいだろうと云うので、泊りにきていた親類の佐野さんや吉本さんが、重ね重ねのことなので、強こう[#「こう」に傍点]に反対した。だが、お前の母は、「この仕事をしている人達は死んでも場所のことなどは云わないものだから、少しも心配要らない。」と云った。
 山崎のガラ/\お母さんが時々元気をつけに、やってきてくれたが、このお母さんの前だと、お互の息子や娘のことを話して、お前の母はまるで人が変ったようにポロ/\涙を流した。山崎のお母さんというのは相当教育のある人で、息子たちのしている事を、気持からばかりでなしに、ちアんとした筋道を通しても知っていた。「息子が正しい理窟から死んでも自分の仕事をやめないと分ったら、親がその仕事の邪魔をするのが間違で――どうしてもやらせたくなかったら、殺せばいゝんでね。」そんな風に何時でも云っていた。それに生来のガラ/\が手伝っていたわけである。山崎のお母さんは警察に行っても、ガン/\怒鳴らなかったが、自分の云い出したことは一歩も引かなかったし、それを条理の上からジリ/\やって行った。ケイサツでは上田のお母アはちっとも苦手でなかったが、この山崎のお母さんには一目おいていたらしい。山崎のお母さんに比らべると、お前の母は小学校にも行ったことがないし、小さい時から野良に出て働かせられたし、土方部屋のトロッコに乗って働いたこともある純粋の貧農だったが、貧乏人であればあるほど、一方では自分の息子だけは立派に育てゝ楽をしたいと考える、それに貧乏に対して反撥する前に、貧乏に対してどうしても慣れあいになり勝なのだね。だから、プロレタリアの解放のために仕事をやって行こうとするお前たちのことが分るのだが、何んだか自分の楽しい未来のもくろみが、そのためにガタ/\と崩されて行くのを見ていることが出来ないのだよ。こんな気持をもっているから、警察ではお前の母は一番おとなし[#「おとなし」に傍点]くて(!)しっかりしているというので「評判が良い」の。――今度のことでも、お前の母の表面の動作ではなくてその心持の裏に入りこんでみたら、それは只事ではないということはよく分る。だから頼りになりそうな山崎のお母さんと話し込むと、正体がないほど弱くなってしまうの。

 窪田が二十日程して釈放された。すると、直ぐ家へやって来てこんなに大衆的にやられている時に、遺族のものたちをバラ/\にして置いては悪いと云うので、即刻何処かの家を借りて、皆が集まり、お茶でも飲みながらお互いに元気をつけ合ったり、親密な気持を取り交わしたり、これからの連絡や対策や陳情、そういう事について話し合おうということになった。皆も賛成だった。窪田さんは山崎のお母さんの家にして、日と時間を決めて帰って行った。――こんなに弾圧が強く、全部の組織が壊滅してしまったとき、この遺族のお茶の集まりだって又新しく仕事をやって行く何かの足場になるのではないか、さすがしっかりものの窪田さんがそんな風に考えてのことらしいの。
 その日は十人位の母たちや細君が集まった。ちっとも知らない顔の人もいたが、引張られて行ったときのことや、面会に行ったとき息子たちのことで、すぐ話がはずんで行った。お前の母はそういう話の一つ一つに涙ぐんでいた。誰が話すことも、それは誰にとってもみんな自分のことだった。山崎のお母さんは林檎《りんご》や蜜柑《みかん》を皿に一杯盛って出した。母が何時か特高室で会ったことのある子供を負んぶしていたおかみ[#「おかみ」に傍点]さんが、その蜜柑の一つを太い無骨な指でむいていたが、独言《ひとりごと》のように、「中にいるうち[#「うち」に傍点]のおど[#「おど」に傍点](夫のこと)に一つでも、こんな蜜柑を食わせてやりたい……!」と云って、グズリと鼻をすゝり上げた。お前の母はこの前の様子とまるで異《ちが》う態度にびっくりした。――と、この時今まで一口も云わずにいた上田のお母アが、皆が吃驚するような大きな声で一気にしゃべり出した。「んだとも! なア大川のおかみさん! おれ何時か云ってやろう、云ってやろうと思って待っていたんだが、お前さんとこの働き手や俺ンとこの一人息子をこったら事にしてしまったのは、この」と云って、お前の母を突き殺すでもするように指差しながら、「この伊藤のあんさん[#「あんさん」に傍点]のお蔭なんだ。あんさんがこっちにいたとき、よく息子の進とこさ遊ぶに来る来ると思ってだら、碌でもないことば教えて、引張りこみやがっただ。腕のいゝ旋盤工だから、んでなかったら、どんどん日給もあがって、えゝ[#「えゝ」に傍点]給料取りになっていたんだ。」――それは他の人もそッと持っていた気持だったので、室の中が急に、今迄とは変ったものになった。――「そればかりで無いんだ。この前警察から出てくると、俺もう吃驚してしまった。ケイサツの裏口から頭一杯にホウ帯した進が巡査に連れられて出てくるんでないか。俺どうしたんだと夢中になって、ガナ[#「ガナ」に傍点]った。進|奴《め》こっちば向いて、立ち止まったが、しばらくキョトンとしてるんだ。こら、お母アだ! と云うと、ようやく分ったのか、笑ったよ。ところが、ついていた巡査が立ち止まっちゃいかんと云って、待たしていた自動車の中に無理矢理押し込んでしまったんだ。俺くやしかったよ! それから俺毎日ケイサツさ行って、お前えら俺の息子ば殴《な》ぐったんだべ。さ、いッくらでも殴ぐれ、今お前えらば訴えてやるからッて怒鳴ってやった。んでも、何んぼしても面会ば許さないんだ。それから裁判所へ廻ってから面会させてもらったら、その時はホウ[#「ホウ」に傍点]帯ば外していたがどうしたんだと訊いたら、看守の方ば見て、耳が悪かったんだと云うんだ。俺、うそこさ[#「こさ」に傍点]ッて云ってやった。それから話していると、まるでトッチンかんのことばかり云うんでないか。お前何時頃出れるか分らないかときいたら、ハイお母さん有難うございますッて云うんだよ。俺びっくりしてしまった。これ、進や、お前頭悪くしたんでないかッて云ったら、お母アの方ば見もしないで、窓の方ば見たり、自分の爪ば見たりして、ニヤ/\と笑うんだ……。」そこまで来ると、上田の母は声をあげて泣き出した。そして、しゃっくり/\云った、「ケイサツが進ばバカにするほど殴ぐったんだ。俺ケイサツば訴え[#「訴え」に傍点]てやる。キット訴えてやる! それに、」と云って、又お前の母をにらみながら、「俺の息子に若しものことがあったら、お前さんの息子ばうらん[#「うらん」に傍点]で、うらんで、うらみ殺してやる!」――窪田や山崎のお母さんが中に立って、上田の母にわけを云い、理をつくして話してやったが、そんな事は耳にも入れないのだ。「ドロ棒したとか、人をゴマ化したとか、そんなことならまだいゝ。警察で云っていたよ、進らのしたことはこの日本の国をブッ倒そうとしている恐しい罪だって、それをみんなお前さんの息子や山崎の息子などからだま[#「だま」に傍点]されてやったんだってよ!」――これでも分ったが、警察では、お前の母や山崎のお母さんなどには、お前さん達の息子のしたことはドロ棒したとか、強姦《ごうかん》したとかいう罪とちがって何も恥《はず》かしがることはないと云っていながら、労働者のおかみさん達には、それは世の中で一番恐ろしい罪で、みんな学問のある悪者にだまされてやったんだと云って、(殊にこっちでは)運動をやっているもの達の間に離間策を講じているのだ。窪田さんや条理の分った山崎のお母さんたちが、一生ケン命に、だまされるどころか、丁度その反対で、上田や大川たちの搾取の生活を解放するために、伊藤や山崎などが先頭に立って、一身を犠牲にしてやっているのだと云ってきかせても、一向にきゝ入れないのだ。――大川のおかみさんは、私はだまされたという程にも思わないが、警察に入れば直ぐその日から食えなくなるような夫を、何んだって引き入れてくれたかと、そればかり口惜《くや》しいと云うのだった。中にいる夫に蜜柑どころか、この寒さに足袋《たび》さえ入れてやることが出来ない。ところが、お前さん方になると、入った人が出てくるまでどうにか食って行けるだろうし、色んなものが充分差入も出来るから羨《うら》やましい。面会に行ったら、食えなくなったら仲間の人に頼んでみれ、それも長続きしなかったら、親類のところへ追い出される迄|転《こ》ろげこんで居れ、それも駄目になったら、男さ身体売ったってえゝ[#「えゝ」に傍点]と云うんです。そして手の甲を蟹の鋏《はさみ》のように赤く大きくふくれ上らせているの。大川のおかみさんも終いには泣き出してしまった。この前見たときよりも、赤坊はもっと頭が大きく、首がもっと細くなって見えた。そして赤坊らしくなく始終眉をしかめていた。

 公判はこの九月から始まった。公判のことについては、その大体はもうお前も知っていることだから、詳しくは書かない。「共産党被告中の紅一点!」というので、毎日新聞がお前の妹のことをデカ/\と書いた。検事の求刑は山崎が三年、お前の妹が二年半、上田と大川は二年だった。それで、第一審の判決は大体の想像では、みんな半年位ずつ減って、上田と大川は執行猶予になるだろうということだった。上田のお母アはすっかり喜んで、お前の母にもあまりひどい事は云わなくなってきた。
 判決の日に、みんな隣りの地方裁判所のあるH市まで出掛けて行った。――裁判長が判決を下す前に、「被告は今後どういう考か? これからも共産主義を信奉して運動を続けて行く積りか、それとも改心して、このような誤った運動をやめようと思っているか?」と訊《き》く。それによって、判決が決まるわけである。そこへ来ると、傍聴に来ているどの母たちも首をのばして、耳をすました。
 そっちから派遣されてきたオルグの、懲役五年を求刑されていた黒田という人は、立ち上って、「裁判長がそのような問いを発すること自体が、われ/\*****を**するものである。******というものは後で考えていて間違っていたから**するというようなものではないのだ。それは**されている労働者農民が、その**の**から**を**するための***なものなのだ。われ/\は****もこの**を***ものではないことを、全われ/\同志を代表して云っておく。」と叫んだ。この時、傍聴していた若い男が拍手をして、法廷の外へ引ずり出された。「他人のことまで云わなくてもいゝ」裁判長はそう云って、次に山崎に同じ質問を発した。山崎は立ち上がると、しばらくモジ/\していたが、低い声で裁判長の方に向って何か云った。裁判長は白い髯《ひげ》を噛みながら、「本当にやめる心積《つも》りか?」と訊きかえした。「そうです、考えるところがあって……。」山崎は頭を伏せたまゝブツ/\と云った。今まで眼をみはり首をのばしてきいていた山崎のお母さんはガクリと首を胸の前に落してしまった。そしてお前の母にも誰にもものを云わずに、外へ出て行ってしまった。お前の母はオヤと思って振りかえると、その眼には
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