」
その時、看守が大声で怒鳴《どな》った。
見付けられたな、と思った。俺はギョッとした。見付けられたとすれば、俺だけではない、これから入ってくる何百という人たちの、こッそり蔵《しま》いこんでいた楽しみが奪われてしまうんだ。窓でも閉められてみろ、此処はそのまゝ穴蔵になってしまう。
「調べだ。――でろ。」
俺は助かったと思った。そして元気よく立ち上がった。
三階に上がって行くと、応接間らしいところに、検事が書記を連れてやってきていた。俺はそこで二時間ほど調べられた。警察の調べのおさらいのようなもので、別に大したことはなかった。調べが終った時、
「真夏の留置場は苦しいだろう。」
ないことに、検事がそんな調子でお世辞を云った。
「ウ、ウン、元気さ。」
俺はニベもなく云いかえした。――が、フト、ズロースの事に気付いて俺は思わずクスリと笑った。然し、その時の俺の考えの底には、お前たちがいくら俺たちを留置場へ入れて苦しめようたって、どっこい、そんなに苦しんでなんかいないんだ、という考えがあったのだ。
「ま、もう少しの我慢ですよ。」
検事が鞄をかゝえこんで、立ち上るとき云った。俺は聞いていなかった。
豆の話
俺はとう/\起訴されてしまった。Y署の二十九日が終ると、裁判所へ呼び出されて、予審判事から検事の起訴理由を読みきかせられた。それから簡単な調書をとられた。
「じゃ、T刑務所へ廻っていてもらいます。いずれ又そこでお目にかゝりましょう。」
好男子で、スンなりとのびた白い手に指環《ゆびわ》のよく似合う予審判事がそう云って、ベルを押した。ドアーの入口で待っていた特高が、直《す》ぐしゃちこばった恰好で入ってきた。判事の云う一言々々に句読点でも打ってゆくように、ハ、ハア、ハッ、と云って、その度に頭をさげた。
私はその特高に連れられたまゝ、何ベンも何ベンもグル/\階段を降りて、バラックの控室に戻ってきた。途中、忙しそうに歩いている色んな人たちと出会った。その人たちは俺を見ると、一寸立ち止まって、それから頭を振っていた。
「さ、これでこの世の見おさめだぜ、君。」
と特高が云った。
「二年も前に入っている三・一五の連中さえまだ公判になっていないんだから、順押しに行くと随分長くなるぜ。」
俺はその時、フト硝子《ガラス》戸越しに、汚い空地の隅ッこにほこり[#「ほこり」に傍点]をかぶっている、広い葉を持った名の知れない草を見ていた。四方の建物が高いので、サン/\とふり注いでいる真昼の光が、それにはとゞいていない。それは別に奇妙な草でも何んでもなかったが――自分でも分らずに、それだけを見ていたことが、今でも妙に印象に残っている。理窟がなく、こんなことがよくあるものかも知れない。
俺は今朝Nが警察の出がけに持ってきてくれたトマトとマンジュウの包みをあけたが、しばらくうつろ[#「うつろ」に傍点]な気持で、膝の上に置いたきりにしていた。
控室には俺の外にコソ[#「コソ」に傍点]泥《どろ》ていの髯《ひげ》をボウ/\とのばした厚い唇の男が、巡査に附き添われて検事の調べを待っていた。俺は腹が減っているようで、食ってみると然しマンジュウは三つといかなかった。それで残りをその男にやった。「髯」は見ている間に、ムシャムシャと食ってしまった。そして今度はトマトを食っている俺の口元をだまって見つめていた。俺はその男に不思議な圧迫を感じた。どたん場へくると、俺はこの男よりも出来て[#「出来て」に傍点]いないのかと、その時思った。
自動車は昼頃やってきた。俺は窓という窓に鉄棒を張った「護送自動車」を想像していた。ところが、クリーム色に塗ったナッシュという自動車のオープンで、それはふさわしくなくハイカラなものだった。俺は両側を二人の特高に挾《は》さまれて、クッションに腰を下した。これは、だが、これまでゞ何百人の同志を運んだ車だろう。俺は自分の身のまわりを見、天井を見、スプリングを揺すってみた。
六十日目に始めてみる街、そしてこれから少なくとも二年間は見ることのない街、――俺は自動車の両側から、どんなものでも一つ残らず見ておかなければならないと思った。
麹町何丁目――四谷見付――塩町――そして新宿……。その日は土曜日で、新宿は人が出ていた。俺はその雑踏の無数の顔のなかゝら、誰か仲間のものが一人でも歩いていないかと、探がした。だが、自動車はゴー、ゴーと響きかえるガードの下をくゞって、もはや淀橋へ出て行っていた。
前から来るのを、のんびりと待ち合せてゴトン/\と動く、あの毎日のように乗ったことのある西武電車を、自動車はせッかちにドン/\追い越した。風が頬の両側へ、音をたてゝ吹きわけて行った、その辺は皆見慣れた街並だった。
N駅に出る狭い道を曲が
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