然し二人ともだん/\黙り込んできた。
「街を見たし……又、坐ってるさ……。」
 俺はそれだけをポツンと云った。そして、それっ切り黙ってしまった。
 今はモウ自動車は省線のガードをくゞって、N町へ入っていた。
 今年も、あと五日しかない。

     独房小唄

「……私この前ドストイエフスキーの『死の家の記録』を読んでから、そんな所で長い/\暗い獄舎の生活をしている兄さんが色々に想像され、眠ることも出来ず、本当に読まなければよかったと思っています。」
「でも、面会に行く度に、兄さんはとてもフザケたり、監獄らしくない大声を出して笑ったり、どの手紙を見ても呑気[#「呑気」に傍点]なことばかり書いているので、――一体どういうワケなのか、私には分りません。」
 俺はこの手紙を見ると、思わず吹き出してしまった。ドストイエフスキーとプロレタリアの闘士をならべる奴もあるもんでない、と思った。俺も昔その本を退屈しいしい読んだ記憶がある。成る程、人道主義者には此処はあんなにも悲痛で、陰惨で、救いのないものに見えるかも知れないが未来を決して見失うことのないプロレタリアートは何処にいようが「朗か」である。のん[#「のん」に傍点]気に鼻唄さえうたっている。
 時々廊下で他の「編笠」と会うことがある。然したッた一目で、それが我々の仲間か、それともコソ泥か強盗か直ぐ見分けがついた。――編笠を頭の後にハネ上げ、肩を振って、大股《おおまた》に歩いている、それは同志だった。暗い目差《まなざ》しをし、前こゞみに始終オド/\して歩いている他の犯罪者とハッキリちがっていた。
 それどころか、雑役が話してきかせたのだが、俺だちの仲間のあるものは、通信室や運動場の一定の場所をしめし合せ、雑役を使って他の独房の同志と「レポ」を交換したり「獄内中央委員会」というものさえ作っている、そして例えば、外部の「モップル」と連絡をとって、実際の運動と結びつこうとしたり、内では全部が結束して「獄内待遇改善」の要求を提出しようとしているそうだ。
 彼奴等がわれ/\をひッつかんで、何処へ押しこもうとも、われ/\は自分たちの活動を瞬時の間だって止めようとはしていないのだ。――「独房[#「独房」に傍点]」「独房[#「独房」に傍点]」と云えば、それは何んだが地獄のような処でゞもあるかのように響くかも知れない。そのために、そこに打《ぶ》ち込まれることを恐れて、若しも運動が躊躇《ちゅうちょ》されると考えるものがいるとしたら、俺は神に(神に、と云うのはおかしいが)かけて誓おう――
「全く、のん気なところですよ。」と。
 第一、俺は見覚えの盆踊りの身振りをしながら、時々独房の中で歌い出したものだ――
[#ここから2字下げ]
独房《どくぼう》よいとオこ、
誰で――もオおいで、
ドッコイショ
………………
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ、折り返して3字下げ]
附記 田口の話はまだ/\沢山ある。これはそのホンの一部だ。私は又別な機会に次々とそれを紹介して行きたいと思っている。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ](一九三一・六・九)



底本:「工場細胞」新日本文庫、新日本出版社
   1978(昭和53)年2月25日初版
初出:「中央公論 夏期特集号」中央公論社
   1931(昭和6)年7月
入力:細見祐司
校正:林 幸雄
2006年12月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全10ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小林 多喜二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング