は此処へ来てから、そのことを、小さい妹の仮名交りの、でかい揃わない字の手紙で読んだ。俺はそれを読んでから、長い間声をたてずに泣いていた。
俺には、身体の小さい母親が、ちょこなんと坐って、帯の間に手をさしはさんでいる姿が目に見える。それが、何時でも心配事のあるときの、母の恰好だったからである。
プロレタリアの旗日
コツ、コツ、コツ………………。
隣りの独房から壁をたゝいてくる。
コツ、コツ、コツ………………。
こっちからも直ぐたゝきかえしてやる。
隣り同志の壁のたゝき方は色々に変った。それはみんな我々の歌の拍子になっていた。俺ときたら「インターナショナル」でさえ、あやふやにしか知っていないので困った。相手のたゝいて寄《よこ》す歌が分ると、そのしるし[#「しるし」に傍点]に、こっちからも同じ調子で打ちかえしてやる。隣りはその間、自分のをやめて聞いているのだ。そして俺のが終ると、
ドン、ドン、ドン………………。
と打ってよこす。――これで二人の同志の意志が完全に結ばれるんだ。
毎日々々が同じな、長い/\退屈な独房で、この仕草の繰り返えしは一日の行事のうちで、却々重要な場面をしめている。ある同志たちが長い間かゝって、この壁の打ち方から自分の名前を知らせあったり、用事を知らせあって連絡をとったときいたことがあるので、俺も色々と打ち方の調子をかえたり、間隔を置いたり、ちゞめたりしてやってみようとしたが、うまく行かなかった。
俺だちはお互に起床のときと、就寝のときと、飛行機が来たときと、元気なときと、クシャンとしたときと、そして「われ/\の旗日」のときに壁を打ち合った。――ブルジョワ階級が色んな「旗日」を持っているのと同様に、もはや今では日本のプロレタリアートも自分自身の「旗日」を持っている!
ところが、どうしても残念なことが一つあった。それは隣りの同志が実によく「われ/\の旗日」を知っていることである。……いや、そうでなかった。それなら俺だって却々負けずに知っている。実は、その日になると、俺は何時でも壁を打つことで、隣りの同志にイニシアチヴを取られてしまうのだ。今度こそ俺の方から先手を打ってやろう、と待っている、だが、その日になると、又もしてやられるんだ。――九月一日も、十月七日も、残念なことには「十一月七日」にもやら[#「やら」に傍点]れてしまった。
その日――十一月七日の朝「起床」のガラン/\が鳴ったせつな[#「せつな」に傍点]、監房という監房に足踏みと壁たゝき[#「たゝき」に傍点]が湧《わ》き上がった。独房の四つの壁はムキ出しのコンクリートなので、それが殷々《いんいん》とこもって響き渡った。――口笛が聞える。別な方からは、大胆な歌声が起る。
俺は起き抜けに足踏みをし、壁をたゝいた。顔はホテ[#「ホテ」に傍点]り、眼には涙が浮かんできた。そして知らないうちに肩を振り、眉をあげていた。
「ごはんの用――意ッ!」
俺はそれを待っていた。丁度その時は看守も雑役も、俺のいる監房(No. 19.)から一番離れた(No. 1.)のところにいるのだ。――俺はいきなり窓際にかけ寄ると、窓枠に両手をかけて力をこめ、ウンと一ふんばりして尻上りをした。そして鉄棒と鉄棒の間に顔を押しつけ、外へ向って叫んだ。
「ロシア革命万歳※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
「日本共産党バンザアーイ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
ワァーッ! という声が何処《どこ》かの――確かに向う側の監房の開いた窓から、あがった。向うでも何かを云っている。俺の胸は早鐘を打った。
飯の車が俺の監房に廻わってきたとき、今度は向うの一番遠い監房――No. 1. あたりで「ロシア革命万歳※[#感嘆符二つ、1−8−75]」を叫んでいるのが聞えた。看守はむずかしい顔をしていた。――誰か口笛で「インターナショナル」を吹いている……。俺は飯をそのまゝにして置いて――興奮し、しばらくつッ立っていた。
丁度、飯を食い終る頃だった。デッキになっている階上の廊下をバタ/\と誰か二、三人走って行く音がした。何処かの監房が荒々しく開けられた。そして誰か引きずり出されたらしい。突然、もつれ合った叫声が起った。身体と身体が床の上をずる音がして、締め込みでもされているらしいつまった[#「つまった」に傍点]鈍い声が聞えた。――瞬間、今迄|喧《やかま》しかった監房という監房が抑えられたようにシーンとなった。俺は途中まで箸《はし》を持ちあげたまゝ、息をのんでいた。
と、――その時、誰か一人が突然壁をたゝいた。それがキッかけに、今度は爆発するように、皆が足踏みをし、壁をたゝき出した。
われ/\の十一月七日を勇敢に闘った同志は、そのなかを大声で何か叫びながら、連れて行かれた。俺
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