な声を出した。エヘンとせき払いをすると、向う端で誰かゞ、エヘンと答える。それから時には肱《ひじ》で、壁をたゝいて、合図をした。
 そのコンクリートの壁には、看守の目を盗んで書いたらしく、泥や――時には、何処から手に入れるものか白墨で「共」という字や、中途半端な「※[#「共」の最後の画のない字、149−15]」「※[#「党」の5画目までの書きかけの字、149−15]や、K・P(共産党の略字)という字が幾つも書かれている。看守が見付け次第それを消して廻わるのだが、次の日になると、又ちアんと書かれている。雨の降った次の日運動に出たとき、俺は泥をソッと手づかみにして、何ベンも機会を覗ったが、ウマク行かなかった。俺はどうもそういう事では、ボンくらかも知れない。
 或る朝、運動場の端の方にある焼木の柵の割れ目に、松葉の一本々々を丹念に組合せて作られた「K」と「P」を発見した。俺はその時の喜びを忘れることが出来ない。俺は急に踊るときのような恰好をして――走り出した。看守が高いところから、俺の方を見た。看守の眼を盗みながら、どの位の用意と時間をかけて、それを作ったのだろう。その一つ一つの動作をしている同志の気持が、そのまゝ俺に来るのだ。
 同志は何処にでもいるんだ、何よりそう思った。一度、本を読むのに飽きたので、独房の壁の中を撫でまわして、落書を探がしたことがある。独房は警察の留置場とちがって、自分だけしか入っていないし、時々点検があるので、落書は殆んどしていない。然し、それでも俺はしばらくして、色んな隅ッこから何十という「共産党」や旗やK・Pを探がし出すことが出来た。俺の前にこの同じ室に入っていた同志はどんな人であったろう。俺はそれらの落書の匂《におい》でもかぐように、そこから何かの面影でも引き出そうとした。「書信室」へ行くと、そこは机でも壁でも一杯に思う存分の落書きがしてある。俺も手紙を書きに行ったときは、必ず何か落書してくることに決めていた。
 成る程、俺は独房にいる。然し、決して「独り」ではないんだ。

     せき、くさめ、屁

 屁《へ》の音で隣りの独房にいる同志の健在なことを知る――三・一五の同志の歌で、シャバにいたとき、俺は何かの雑誌でそれを読んだことがあった。此処へ来て初めて分ったのだが、どの監房でも皆がよく屁をしていた。――然し俺の場合一日に四十から五十、いや
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