刀打ちは出来ないのだ。清川は僚友会の「おん大」の貫禄をみんなの前で下げてしまった。青年団の職工だって、駄目なのだ。だが、こういう社会ファシストの本体というのは本当の芝居を大衆の前ではなくて背《うしろ》の方で打つところに面目があるのだから、これだけでうまく行ったと思えば大間違いなのだ。
その会合の帰り、青年団の奴が二三人で、
「お前は虎だな!」と云って、「一寸来い!」
と云うのだ。そして小路へ入るなり、いきなり寄ってたかって殴ぐりつけた。
「三人じゃ、俺も意気地なくのび[#「のび」に傍点]てしまったよ!」
と須山は笑った。
須山は直ぐ伊藤を通じて、昨日集まった僚友会のメンバーに、この卑怯《ひきょう》なやり方を知らせて貰《もら》うことにした。それが何よりどっちが正しいかを示すことになるからである。
須山に会ってから一時間して、伊藤と会うと、慰問金のことでどうして殴ぐり合いになったかと皆んなが興味をもってきくので、殴ぐり合いのことを話しているうちに慰問金の本当の意味のことが話せて都合が良かったと、喜んでいた。――慰問金のことを充分に皆に分らせることが出来なかったと思って心配したのだが、皆は理窟より前に、この仕事のつらさにもってきて、その上又金まで取られたら、「くたばる[#「くたばる」に傍点]ばかりだ」と云うので、案外にも募集は不成功に終った。工場の様子では、殴ぐられてから須山の信用が急に高くなった。職工たちはそういうことだと、直《す》ぐ感激した。その代り須山はおやじ[#「おやじ」に傍点]ににらまれ出したので、ひょっとすると危いと、伊藤は云った。
「今度の慰問金の募集は、どうも会社が職工のなかの赤に見当をつけるために、ワザとやったようなところがある……?」
私は確かにそうだ、と云った。
すると彼女は、
「少し乗せ[#「乗せ」に傍点]られた――」
と云った。
私は、何時《いつ》もの伊藤らしくないと思って、
「それは違う!」と云った――「俺たちはその代り、何十人という職工の前に、誰が正しいかということを示すことが出来たんだ。それと同時に、僚友会のなかに我々の影響下を作れるし、それを放って置くのではなしに、組織的に確保したら素晴しい成果を挙げ得たことになる。少しの犠牲もなしに仕事は出来ない。これらは最後の決定的瞬間にキット役に立つ。」
伊藤は、急に顔を赤くして、
「分ったわ! そうねえ。――分ったわ!」
と云って、それが特徴である考え深い眼差《まなざし》で、何べんもうなずいた。
私は冗談を云った。
「最後に笑うものは本当に笑うものだから、今のうちに須山に渋顔をしていて貰うさ!」
伊藤も笑った。
彼女はそれから自分たちのグループを築地小劇場の芝居を見に連れて行ったことを話した。どの女工も芝居と云えば歌舞伎(自分では見たことが無かったが)か水谷八重子しか知らないのに、労働者だとか女工だとかゞ出てきて、「騒ぎ廻わる」ので吃驚《びっくり》してしまったらしかった。終ってから、あれは芝居じゃないわ、と皆が云う。伊藤が、じア何んだと訊《き》くと、「本当のことだ」と云う。面白い? と訊くと、みんなは「さア――!」と云ったそうだ。――然《しか》し余程びッくりしたとみえて、後になってもよく築地の話をし出すそうである。伊藤に何時でもなつい[#「なつい」に傍点]ている小柄のキミちゃんというのが、
「あたし女工ッて云われると、とッても恥かしいのよ。ところが、あの芝居では女工ッてのを鼻にかけてるでしょう。ウソだと思ったわ。」
そんなことを云った。が、それでも考え/\、「ストライキにでもなったら、ウンと威張ってやるけれど、隣近所の人に女工ッて云うのは矢張り恥かしいわ!」
みんなに、何時かもう一度行こうか、ときくと、行こうというのが多いそうだ。それはあの芝居を見ると、うち[#「うち」に傍点]の(うち[#「うち」に傍点]のというのは、自分の工場のことである!)おやじとよく似た奴がウンといじめられるところがあるからだという理由だった。
伊藤が、何気ないように、どうせ俺ら首になるんだ、おとなしくしていれば手当も当らないから、あの芝居みたいに皆で一緒になって、ストライキでもやって、おやじ[#「おやじ」に傍点]をトッちめてやろうかと云うと、みんなはニヤ/\して、
「ウン……」と云う。そしてお互いを見廻しながら、「やったら、面白いわねえ!」と、おやじのとッちめ方をキャッ/\と話し合う。それを聞いていると、築地の芝居と同じような遣《や》り方を知らず識《し》らずに云っていた。
伊藤の影響力で、今迄のこの仲間に三人ほど僚友会の女工が入ってきた。それらは大ッぴらな労働組合の空気を少しでも吸っているので、伊藤たちが普段からあまりしゃべらない事にしてある言葉を、平気でドシ/\使った。それが仲間との間に少しの間隙を作った。それと共に、それらの女工はどこか「すれ[#「すれ」に傍点]」ていた。「運動」のことが分っているという態度が出ていた。――伊藤はその間のそり[#「そり」に傍点]を合わせるために、今色々な機会を作っていた。「小説のようにはうまく行かない」と笑った。
私たちは「エンコ」する日を決め、伊藤が場所を見付けてくれることにした。愈々《いよいよ》最後の対策をたてる必要があった。
「あんた未だなす[#「なす」に傍点]?」
伊藤が立ち上がりながら、そう訊いた。
「あ。」
と云って、私は笑った、「お蔭様で、膝《ひざ》の蝶《ちょう》ちがい[#「ちがい」に傍点]がゆるんだ!」
伊藤は一寸帯の間に手をやると、小さく四角に畳んだ紙片を出した。私はレポかと思って、相手の顔を見て、ポケットに入れた。
下宿に帰って、それを出してみると、薄いチリ紙に包んだ五円札だった。
八
笠原は小さい喫茶店に入ることになった。入ると決まるとさすがに可哀相《かわいそう》だった。運動しているものが、生活の保証のために喫茶店などに入るのは、何んと云《い》っても恐ろしいことで、そういう同志は自分ではいくらしっかりしていようとしても、眼に見えて駄目になって行く。我々にとって「雰囲気」というものは、魚にとっての水と少しもかわらないほど大切なのだ。女の同志が自分一個のためでも、又男と女が一緒に仕事をしていて、とも倒れ[#「とも倒れ」に傍点]からのがれるために喫茶店に入るときでも同じである。ところが笠原の場合、その仕事の訓練さえも持っていないので、ズルズルと低い方に自分の身体を傾けてゆくのは分りきっていた。――だが、どうしても自分の全生涯をとして運動をやろうという気魄《きはく》も持たず、しかも他方私の組織的な仕事は飽《あ》く迄《まで》も守ってゆかなければならぬドタン場に来ている以上、センチメンタルになっていることは出来なかった。
笠原は始め下宿から其処《そこ》へ通った。夜おそく、慣《な》れない気苦労の要《い》る仕事ゆえ、疲れて不機嫌な顔をして帰ってきた。ハンド・バッグを置き捨てにしたまゝ、そこへ横坐りになると、肩をぐッたり落した。ものを云うのさえ大儀そうだった。しばらくして、彼女は私の前に黙ったまゝ足をのばしてよこした。
「――?」
私は笠原の顔を見て、――足に触って見た。膝頭[#「膝頭」に傍点]やくるぶし[#「くるぶし」に傍点]が分らないほど腫《むく》んでいた。彼女はそれを畳の上で折りまげてみた。すると、膝頭の肉がかすかにバリバリと音をたてた。それはイヤな音だった。
「一日じゅう立っているッて、つらいものね。」
と云った。
私は伊藤から聞いたことのある紡績工場のことを話した。「立《た》ち腫《は》れ」がして足がガクつき、どうしても機械についていられない。それを後から靴で蹴《け》られながら働いていることを話した。私はそして、笠原がそういう仕事のつらさ[#「つらさ」に傍点]を、自分だけのつらさで、自分だけがそこから逃れゝば逃れることの出来るつらさと考えず、直ぐそれがプロレタリア全体の縛りつけられているつらさであると考えなければならないと云った。笠原は聞いていて、
「本当に!」と云った。
私は久し振りに自分の胡坐《あぐら》のなかに、小柄な笠原の身体を抱えこんでやった――彼女は眼をつぶり、そのまゝになっていた……。
笠原はその後、喫茶店に泊りこむことになった。その経営者は女で、誰かの妾《めかけ》をしているらしかった。女一人で用心が悪いので、そこで飯を食っても同じ給金は出すから寝泊りして欲しいというのだった。それで下宿には暫《しば》らく国へ帰ってくるということにして、出掛けて行った。女主人は高等師範か女子大か出た英語の達者な女で、男は一人でなくて三人位はいるらしく、代る代り他所で泊って、朝かえってきた。大学の教授や有名な小説家や映画俳優がいて、その女は帰ってくると、一々\際《きわ》どいところまで詳しく話して、比較をやったりするので、笠原は弱った。そして昼過ぎの二時三時まで寝ていた。私は朝起きても、めしが無いときは、そこの喫茶店に出掛けて行った。朝のうちはお客さんは殆《ほと》んど無かったので、笠原の食うごはんのように装わして、飯を焚《た》かせ、腹につめこんだ。はじめ笠原が嫌がったが、終《しま》いには「この位のこと当然よ!」と云うようになった。喫茶店の台所は狭くて、ゴタ/\していて、ジュク/\と湿ッぽかった。私はそこにしゃがんで、急いでめしをかッこんだ。
「いゝ恰好《かっこう》だ!」
笠原は二階の方に注意しながら、私の恰好を見て、声をのんで笑った。
然し笠原の雰囲気はこの上もなく悪い。女主人の生活もそうだし、女のいる喫茶店にはたゞお茶をのんで帰ってゆくという客ではなく、女を相手に馬鹿話をしてゆく連中が多かった。それに一々調子を合わせて行かなければならない。それらが笠原の心に沁《し》みこんでゆくのが分った。私はまだ笠原の全部を投げ出しているのではない、機会があったらと色々な本を届けたり、出来るだけ色々な話をしてやっていたのだ。だが、彼女は今迄《いままで》よりモット色々なことをおッくうがり、ものごとをしつこく考えてみるということをしなくなった。
然《しか》し私はそんなに笠原にかゝずり合っていることは出来なかった。仕事の忙がしさが私を引きずッた。倉田工業の情勢が切迫してくるとゝもに、私は笠原のところへはたゞ交通費を貰《もら》いに行くことゝ、飯を食いに行くことだけになって、彼女と話すことは殆《ほと》んどなくなってしまっていた。気付くと、笠原は時々淋しい顔をしていた。が私はとにかく笠原のおかげで日常の活動がうまく出来ているのだから、その意味では彼女と雖《いえど》も仕事の重要な一翼をもっていることになる。私はそのことを笠原に話し、彼女がその自覚をハッキリと持ち、自分の姿勢を崩さないようにするのが必要だと云った。
だん/\私には、交通費や飯にありつくために出掛けることさえ余裕なくなり、その喫茶店には三日に一度、一週間に一度、十日に一度という風に数少なくなって行った。「地方」「地区」それに「工細」と仕事が重なって居り、一日に十二三回の連絡さえあることがあった。そんな時は朝の九時頃出ると、夜の十時頃までかゝった。下宿に帰ってくると首筋の肉が棒のように固《こ》わばり、頭がギン、ギン痛んだ。私はようやく階段を上がり、そのまゝ畳のうえにうつ伏せになった。私はこの頃、どうしても仰向けにゆッたりと寝ることが出来なくなった。極度の疲労から身体の何処《どこ》かを悪くしているらしく、弱い子供のように直ぐうつ伏せになって寝ていた。私は思い出すのだが、父が秋田で百姓をしていた頃、田から上がってくると、泥まみれの草鞋《わらじ》のまゝ、ヨクうつ伏せになって上り端《はな》で昼寝していた。父は身体に無理をして働いていた。小作料があまり酷なために、村の人が誰も手をつけない石ころ[#「ころ」に傍点]だらけの「野地《やじ》」を余分に耕やしていた。そこから少しでも作《さく》をあげて、暮しの足《たし》にしようとしたのである。そんなことのた
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