#「焦ったり」に○傍点]、馬車馬式[#「馬車馬式」に○傍点]になったり、便宜主義[#「便宜主義」に○傍点]になったりしないこと、そんなことが書かれていた。「焦ったり、馬車馬式に」というところと、「便宜主義」というところにはワザ/\「○」をつけていた。
それを見て、私は須山や伊藤は、自分たちは「焦ったり」「馬車馬式」になったりするほどにさえも仕事をしていないことを恥じた。
ヒゲの家《うち》には両親や兄弟が居り、その方からも私の名宛で(私たちの間だけで呼ばれていた名で)レポが入ってきた。――自分は「白紙の調書」を作る積りであること、私は一切のことを「知らない」という言葉だけで押し通していること。みんなはそれを見ると、
「これで太田の時の胸糞《むなくそ》が晴れた!」と云った。
私たちは、どんな裏切者が出たり、どんな日和見《ひよりみ》主義者が出ても、正しい線はそれらの中を赤く太く明確に一線を引いていることを確信した。
ヒゲは普段口癖のように、敵の訊問《じんもん》に対して、何か一言しゃべることは、何事もしゃべってはならぬという我々の鉄の規律には従わないで、何事かをしゃべらせるという敵の規
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