ことしか出来なかった。
 外へ出ると、母は私の後から、もう独《ひと》りで帰れるからお前は用心をして戻ってくれと云った。それから、急に心配な声で、
「どうもお前の肩にくせがある……」
と云った。「知っている人なら後からでも直ぐお前と分る。肩を振らないように歩く癖をつけないとね……」
「あ、みんなにそう云われてるんだよ。」
「そうだろう。直ぐ分る!」
 母は別れるまで、独り言のように、何べんも「直ぐ分る」を云っていた。

 私はこれで今迄に残されていた最後の個人的生活の退路――肉親との関係を断ち切ってしまった。これから何年目かに来る新しい世の中にならない限り(私たちはそのために闘っているのだが)、私は母と一緒に暮らすことがないだろう。

 その頃ヒゲからレポが入った。
 ヒゲは始めT署に五日ばかりいて、それからK署に廻わされ、そこで二十九日つけられた。須山や伊藤たちの出入りしているTのところへ、彼と檻房《かんぼう》が一緒だった朝鮮の労働者がレポを持ってきたので、始めて分った。レポには、自分はアジトでやられたこと、然しその理由はどうしても見当がつかないこと、陣営を建て直すのに決して焦ったり[
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